優しさが取り柄になっている人の苦しみについて
序文
こんばんは、リルえもんです。
最近Vtuberの方の雑談配信やその切り抜き動画をよくみているのですが、その中で一つの動画が琴線に触れました。
それが『優しさが取り柄となっている人』についての動画です↓。
私自身思い当たる節があったので、自分を顧みながらこのテーマについて自分なりに考えてみました。
配信自体は4年以上も前なので、今更話題にするのも変ですが、良かったら読んでいってください。
卯月コウの主張
卯月コウの意見を要約すると、
・大前提として「優しい」はめちゃくちゃ良いこと
・ただし、弱い人にとっては唯一のアイデンティティになってしまうことが多い
・自分の取り柄を守るために常に優しさを強要されてしまう
・他者や社会の冷たさに絶望を感じやすくなる
・結果として社会に絶望して塞ぎ込んでしまう
視聴者の反応を見ても、この意見は概ね賛同されるものと思います。
「優しいやつ=弱いやつ」と主張したいのではなく、「優しい」が唯一のアイデンティティになっている点が危ういと主張していることに注意してください。
ChatGPTの主張
「優しさをアイデンティティとすること」について、とりあえずChatGPTにメリットとデメリットを聞いてみました。
デメリットは卯月コウの主張と概ね一致していますが、ChatGPTは他人や社会に絶望するリスクよりも、自分に絶望するリスクを大きく考えているように見えます。過度な自己犠牲や責任感が負の感情やストレスを生んでしまう。これももっともな意見だと思います。
私が気になった点
「優しい=素晴らしい」は前提として良いのか?
両者の意見で共通するのは「優しくすること自体は素晴らしい」という揺るぎない前提があることです。確かにこの前提がなければ人間社会やコミュニケーションは崩壊してしまうでしょう。
でも現実は優しい人間がみんなから評価されるわけではないですよね。お節介や自己満足と取られたり、逆に相手に距離を取られてしまったり…なんてことは日常茶飯事だと思います。特に卯月コウが例に取り上げたような「弱い人」にとっては。
この矛盾が「優しさがアイデンティティの人」の絶望に一番繋がっていると思うのです。
「なぜ自分はこんなに優しいのに、他人から愛されないのか?」
「優しい人は素晴らしいと口では言うのに、結局優しくない人の方がみんなに愛されるのか?」と。
優しさがアイデンティティの人は、他者からの優しさを拒む
卯月コウの話の中で「優しい人は世の中のいろんな部分が許せなくなる」という話がありました。自分は優しくしてるのに、他人や社会が冷たいことに絶望してしまう・・・たしかにそういう人もいると思いますが、それは「優しさがアイデンティティの人」ではないでしょう。
だって世の中がみんな自分と同じくらい優しかったら、優しさが自分のアイデンティティでなくなってしまうではありませんか。だからむしろ他者から優しくされた時は拒否するはずです。
「私は負担に思ってないから全然大丈夫だよ、気を遣ってくれてありがとう」と。
考えたこと
なぜ「優しさ」がアイデンティティの人は苦しいのか?
「情けは人の為ならず」という諺があります。
諺の本来の意図とはズレるかもしれませんが、優しさって受ける側以上に施す側にメリットが大きいものだと思います。人に優しくすることで、自分は社会の一員として善い行動をしたと自己肯定感が上がりますし、相手にお礼を言われることで承認欲求を満たすことができます。
だから、人に甘えることって人に優しくするのと同じくらい大事なことだと思うのです。一方が一方だけに施す関係より、お互いがお互いの窮地を助け合う関係の方が信頼できるのは火を見るよりも明らかです。一方的に優しくされる関係では対等な信頼関係は築けません。
しかし、「優しさ」がアイデンティティとなってしまうと他人に甘えることができないのです。なぜなら、「優しさ」を自分だけの取り柄と思ってるせいで、他人にとっては自分に優しくするのは負担になると思い込んでいるからです。
普通に考えれば、「自分も頼られて嬉しいんだから、相手も頼られたら嬉しいだろう」と単純明快な結論にたどり着くはずです。ところが「優しさ」こそが自分のアイデンティティだと思う人は、自分では頼られて嬉しいことでも、相手は自分と違って「優しくない」のだから、頼られたら嫌だろうと思い込むわけです。だから人に甘えることができないのです。
このように、人に甘えることができないと自分ばかり負担が増えるのに信頼関係はあまり築けない状況に陥ります。これは苦しいですよね。
結論
結論は卯月コウと同じで、「優しさ」をアイデンティティとするのは茨の道であるということです。
決して間違いではありません。
実際、甘えん坊な相方を見つけて一生尽くす人生を歩む人も結構見かけますし、それはそれで幸せだと思います。ただ、もし他人と対等な信頼関係を築きたいと思っていたり、人間関係に不利益を感じたりするのであれば、意識を変えた方が良いのではないかと思います。
冒頭に書きましたが、私自身「優しさ」をアイデンティティとする意識が少なからずあり、この文章で「」で書いた内容は私の心の叫びでもあります。意識は易々と変えられるようなものではないですが、勇気を出して行動することでちょっとずつ変わってくるものではあると思っています。まずは身近な人にちょっと頼み事をしてみることから始めてみては…?