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常に本気でまっすぐな中学時代の担任 and チバロウ球児 ~私の青春、中高時代のバレーボール~

今朝、1通のLINEが来た。

中学時代の担任からだった。

コロナのこともあり、最後に会ったのは高校卒業前だろう。今でも年に何回か連絡を取り合う仲がいい、藤田先生という元担任の先生。

藤田先生が監督を務めている千葉県立千葉聾学校の野球部がYouTubeとWeb記事が出たという話だった。

千葉聾学校は、耳が聞こえない子どもたちが通う学校で幼稚園から高校まである。

千葉聾学校野球部が全国の高校野球部(硬式・軟式)4000校の中から3校に選ばれ、密着取材を受けていたということ。

記事を読んで、自分の中学時代のことがいろいろとよみがえってきた。

私が中学時代、7年前ぐらいに言われたことと同じようなことが書いてあった。先生は変わっていなかった、安心。藤田先生は有言実行する人で、自分が言ったことは決してブレないでやる。嘘をつかない先生なので私もいつも信用していたし、周りからも信用されている先生。嘘をつかない素直でまっすぐな先生は珍しいと思う、本当にまっすぐな先生。

私も同じく千葉県にある聾学校、これらの記事のあちこちに少し載っていたが、筑波大学附属聴覚特別支援学校に幼稚園から中学まで通っていた。

中学3年間バレーボール部に所属し、週6日部活に励んでいた。休みが土日のどちらかだけだった。決して強い部活でもなかったが、3年間必死にほぼ毎日バレーをしていた。ポジションはコート内の司令塔と言われるセッターだった。

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卒業アルバムから。笑

中学3年間ずっと担任もバレー部の監督も藤田先生だった。

藤田先生は、小さいときから野球一筋と聞いていたのでバレー部の顧問になったことが本当に疑問だったし、バレー部員たちと心配しあったときもあった笑(とても失礼、ごめんなさい笑)

しかし、藤田先生は3年間バレー部のことを常に考えてくれ、熱心に指導してくださった。3年間藤田先生が率いるバレー部に所属していたおかげで、私のメンタルも強くなった。顧問の先生たちと部員1つになって戦い、うれし涙も悔し涙も流した、3年間。今思うと青春だったなあと笑

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そんな藤田先生の口癖は、

「応援されるチームになる!」

「強気!!」 「強気は技術を超える!」

「声を出していけ!」

「ぶつかってもいいからいけ!」

など。藤田先生の名言はたくさんあり、ここには書ききれない。笑

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引退試合で強豪校に勝った瞬間。全員ジャンプして喜んでいる瞬間。(得点ボードのとおり、24-25でハラハラドキドキの試合だった。)

藤田先生は、担任としてもいつも

「努力の天才」

と言ってくださった。私が通っていた筑波大学附属聴覚特別支援学校は附属の高等部があり、そのまま上がる生徒たちが多いが、私はどうしても普通学校に行きたくて中学3年間ずっとその気持ちを持ち続けていた。

たくさんの周りの人たちが反対する中、藤田先生はいつも応援してくれた。

いつも生徒の夢を応援してくれる先生なのだ。

だから私もほかの人たちも藤田先生のことを応援したくなる。

それで、藤田先生は応援されるチーム作りに成功している。

私の高校受験の結果、無事に千葉県の私立日出学園に受かり、3年間日出学園で高校生活を送った。

もうバレーはやらない、中学3年間だけ。と言いつつ、高校も最初は別の部活に所属していたものの、そのあと半年間バレー部に入部した。部員たちに恵まれ、高校時代もバレーを頑張った。

バレーはコミュニケーションが重要なスポーツ。耳が聞こえない選手1人と耳が聞こえる選手たち。うまくいくのか?と思われたこともあったが、うまく行けたと私は思っている笑 秘訣は、最高のメンバーたちと監督

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卒業した今でも会っている、大好きな日出学園バレー部員たちだ。

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私の青春は、バレーボールだったともいえるだろう。

今はバレーをしていないし、オーストラリアに行けたら大学で別のやりたいスポーツがある。しかし、バレーボールはいつまでたっても大好きなスポーツだ。

バレーをやると、あの青春の一瞬がよみがえってくる。

中高時代で学んだこと、特に藤田先生から鍛えられたメンタルの強さと、今でも続いている高校時代のバレー部員たちとの関係をこれからも大切にしていきたい。

藤田先生が担任でよかったと本当に思う。

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