F1型落ちフェチのマシン探訪①斜陽の名門最後の傑作
現代のF1ではほとんど存在しない
「資金不足や本戦使用の開発失敗等の理由でマシンを使いまわす」いわゆるシーズンを跨いだ
Bスペック(さらにはC・Dスペック)まで投入されたマシン
に、筆者はたまらなく魅力を感じるのです。
この記事では、マシンのスペックや戦績にはあまり触れずに
筆者がテレビ中継等で感じた魅力を話していきたいと思っております。
では今回は・・・
ロータス107。
1992年第5戦サンマリノGPで披露され、1994シーズン途中まで使用されたF1マシン。
これまたB.C.Dスペックまで存在するロータス102(1990〜1992序盤)が、比較的直線基調のフォルムだったのに対して、
107はデザイナーのクリス・マーフィーにより
102のフォルムを踏襲しつつ、曲面を随所に取り入れて
無骨さのなかに、どこか流麗さを併せ持つ
デザインとしてのインパクトが特段強い訳ではないものの何故か沼ってしまう魅力を感じるマシンです。
初年度の1992年シーズンは、久々の完全新規のマシン故かあらゆる箇所にトラブルが多発し
完走率は決して高くなかったものの、
マシンの性能自体は度々上位争いに食い込める程には高いものがあり、
カストロールのロゴが全面に出たグリーンとイエローのマシンを駆るミカ・ハッキネン(1998年、99年ワールドチャンピオン)が
ベルギー・スパフランコルシャンのケメルストレートで火花を散らして激走する姿が
鼻血がでる程激しく美しい!!
・・・失礼しました🥲
この92年型107に惚れ込んで、タミヤから発売されていたプラモを何台も組んだのは良い思い出です。
翌、1993年は車両規定の変更に対応した上で、前年実戦で使えなかったアクティブサスペンションを装備したBスペックを投入。
戦績としては、エースドライバーのジョニー・ハーバートが荒れたレースで堅実にポイントを獲得するも、前年のような速いという印象は希薄な印象(アクティブサスペンションが全然ダメで、ハーバートが「穴に埋めたい」とコメントしたそうな)。カラーリングもロックタイトのレッドが加わったのがあまり好みでは無かったかな。
ただし、このマシンにも思い入れがあります。
それは・・・この年のセカンドドライバー、
アレッサンドロ・ザナルディ。
とにかくクルマを壊す、壊れる、燃える。
派手に火を吹いたサンマリノGPなど、ザナルディの印象がいろいろ強すぎて・・・
ベルギーGPの大クラッシュはゾッとしたし
命に別状がなくてホッとしたけど
107Bは個人的にはザナルディのマシンだと思ってます😅
そして1994年、ロータスはこれまで107の心臓部だったフォードV8から無限ホンダV10へスイッチ。合わせて専用のニューマシン109を投入・・・する予定だったが
チームの資金難が悪化し、開発の遅れから107を無限ホンダV10に合わせてCスペックへ改造。
そもそもパワー不足ながら軽量・コンパクトなフォードV8のマシンの運動性能への寄与を期待して設計された107に、重く大きい無限ホンダV10をむりやり積んだものだからマシンバランスは大幅に悪化、剛性不足に陥りフレームを補強した結果マシンが更に重くなる悪循環に陥ってしまいます(同じ失敗は1991年のティレルもやらかしています)。
カラーリングも、カストロールのスポンサー離脱で
もはや付け焼き刃的に小口スポンサー(ほとんどがバブル崩壊後の日本企業)で埋め尽くされている
消滅寸前のチームの典型の様な姿で、当時は
107にはこんな姿にはなってほしくなかった・・・
という、悲しい気持ちになっていた記憶しかなかったですね・・・。
(1992年に消滅した同じく名門チームのブラバムも最期のマシンは小口の日本企業スポンサーの寄せ集めカラーでした。)
1994年のロータスについては、
サンマリノGPスタート直後のペトロ・ラミーの派手なクラッシュ(107C)や
フランスGPでザナルディのマシンが派手に火を吹いて
フジテレビ実況の(当時)古舘伊知郎氏に
「横浜中華街のようだ!!」と言われてた印象しかなく😅(この時は109が投入されていました)
かつてF1を革新的な技術をもって席巻したチーム・ロータスは結局この年限りで姿を消してしまいました。
没落していく未来しかなかった名門が奇跡の復活に全てをかけた最期の傑作・107。
その使命こそ果たせなかったものの、復活への微かな光と沈みゆく様を見せたそのマシンは
栄華を極めたチーム・ロータスの美しくも残酷な幕引き役として
グランプリクレイツにその名を刻み込んだ名車だと思うのです。
今後も不定期で筆者お気に入りの型落ちマシンをご紹介していければと思っております。
ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。