靴下功労賞 【与太話・1370字】
※記事の中に、お見苦しい画像がございます。ご了承の上、ご高覧賜りますようお願い申し上げます。
お見苦しい画像で失礼をいたしました。靴下に穴が開きました。そこで、頑張ってくれている靴下に、功労賞を贈ろうと思います。
(註:賞状の文は、文化勲章の賞状の文を参考にいたしました。)
りくのすみこ:
おめでとうございます。紺色靴下君は、長年にわたって、りくのすみこに踏みつけられながらも、りくのすみこの足を包み、守ってくれました。よく頑張りましたね。これからも、よろしく頼みますよ。
紺色靴下君:
ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます。
紺色靴下君、そろそろ限界ですかね。冬は靴下を2枚はくので、内側にはく靴下として、もうちょっと頑張ってもらおうと思っています。
先週は、拙著『蕎麦屋にて』にて「鴨抜き」を小話のネタにしました。(ちなみに、ネタは種が転じたものだそうです)。言葉の音がひっくり返ったり、意味がひっくり返ったり、ややこしいなあといったところを織り込んでみました。今回の『靴下功労賞』では靴下をネタにしましたが、「くつした(靴下)」も、かつて「したぐつ(下沓)」という名詞だった時代があるそうです。今の時代に「したぐつ」と言ったら、上で履く靴の「うわばき」に対して、外で履く靴、下で履く靴といった意味で「下靴」が思い浮かぶのではないでしょうか。もしくは、詳しいことは全くもって分かりませんが、建築関係の方ならば、橋か何かの「下沓(したしゅう)」が思い浮かぶでしょうか。いずれにしましても、今から1200年ぐらい前の800年頃では、「したぐつ(下沓)」が今でいうところの「くつした」だった場所があるということになっています。どこかのタイミングでひっくり返ったようです。
時間が歴史の教科書のように直線的に流れているとするならば、「したぐつ」と「くつした」の間に、「足袋(たび)」の時代があるということになるのでしょうか。「たび」が「したぐつ」より前の時代からあったのか、同時多発的だったのか、後の時代からなのかは、私には分かりません。
「したぐつ」時代よりさらに700年ぐらい前になるのでしょうか、倭国やら邪馬台国、狗奴国、奴国、侏儒国、黒歯国の人たちは、靴下をはいていなかったのでしょうかね。裸国の人たちは、どうしていたのでしょうね。
今は、足袋型の靴下や5本指ソックスなどもありますね。滑り止めが付いているようなものもあります。靴下をはいているように見えないようにはく靴下もありますね。私が学生の頃は、ルーズソックスと紺ハイソが流行っていました。スミスのセンロクやらセンパチ、死語ですね。あれは何だったのでしょう。そういう夢のようなものの中にいると、そのおかしさに気付かないというのは、私には一つの経験則になっています。
昨日は文化勲章、今日は文化功労者のお式がありましたので、私は靴下君に功労賞を贈りました。私は、勲章より賞状より何よりも、特別終身年金の350万円(月額にすると29万1666.7円)が、うらやましいです。
紺色靴下君に、ねぎらいの ♡ 、おコメントをぜひお願い申し上げます。
紺色靴下君が喜びます。
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