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フリーランスの「責任の重さ」

フリーランスとして独立をして早半年。
ありがたいことにこの半年は多忙を極め、
丸一日お休みの日を最後にとったのはいつだったか思い出せないほどの日々を過ごしている。

このnoteを覗いてくれている人の中に
一緒に仕事をした人もいるだろうけども
余裕のない時期で迷惑をかけた人も多くいるので
忙しかったことがありがたいとは思いつつ、
一つ一つを丁寧にやっていくことを残り4ヶ月は意識したい。

自分のキャパシティが見通せずに
無茶をしても「休んだら」と声をかける人はいない。
ただ淡々と、信頼だけが失われていくだけだ。

この淡々と、というところが恐ろしいのだ。

しかし同時に、フリーだからと言って
責任を全て自分に委ねるような関係性で
仕事に臨むことが正義かと言われれば
それはまた違うのかもしれないと気付く。

つまりは、僕のあれこれの失態を
一度たりとも許せないような主従関係で
関わり合うのがフリーランスであり、
成果に見合わなければ契約を打ち切るという
自由の代償を掲げられることが
正しいとは思えないということだ。

無論、会社員と違いフリーランスには
全て自己責任という言葉は付き纏う。

だが、「結果が全て」だと初っ端から
突き放した態度を取られるような関係を
「フリーだから」という理由で
全て片付けてしまうのは早計だと思う。

逃げだとは思わないでほしい。

実際、今一緒に仕事をしてくれている人たちは
皆、フリーだからという文句を使わない。

自分にできないこと、パフォーマンスがあげられないことにも
丁寧に寄り添ってくれる人ばかりなのだ。

共に考え、共に責任を共有しようとする
態度を示してくれているのだ。

「失敗は許されない」

確かにこの感覚はフリーランスには必要だ。

だけど、その感覚が時に自身の首を絞め
パフォーマンスを最大限出せないことが多かったと気付く。

むしろ共に考え、窮地を共に乗り越えていく
姿勢を示してくれている人へは
自然と恩返しをしたいという気持ちが湧いてくるものだ。

人は窮地に立たされた時、途端に牙を剥く。
途端に人を悪者扱いし自分だけは悪くないと
マウントを取り始める。

「フリーだから」と責任を強く相手に求める。

しかし、それが当たり前だと思ってはいけない。

僕たちフリーランスにも、仕事と人を選ぶ権利がある。

他人に甘えてはならないが、
これから先、自分にとっても相手にとっても
お互いが責任を共有でき、
共に成長できる対等な関係を築いていきたい。

さて、怒涛のエディター業を終えて、
明日は助監督業です。

頑張るぞー。

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