偏見からくる「褒める」の立場
とあるSNSにこんな言葉があった。
褒めるのは格上がすること
賞状を渡したり、世の中のヒエラルキー
褒める = 相手を下に見ている
……なんですと。
褒めたら、無意識のうちに上下関係が発生する?
目からウロコ。そんなの今まで認識したこともない。雷に撃たれたかのような衝撃をうけた。
世の中、ノーベル賞やらアカデミー賞やら、色々ある。もちろん、本人の努力が報われての賞状だが、それを与える側はその事柄を成し遂げていない。
「よくやった。世のためにありがとう」
そんな言葉が賞状に込められているとしたら?
確かに上から目線だ。
親が子を褒める。
「すごいやん! 上手にできたね〜!」
思ってもみない、良い意味で予想を裏切られる。
だから、褒めた。
……いや、ちょっと待て。
子どもに出来ない前提で、思い込みをしてないか?
子どもも大人と同じことはできる。
ただ、筋力と身長が追いついていないだけで、感情と世を見る目は最初から備わっている。
「できて当たり前」とまで行くと、さすがに酷ではある。が、地球上で生きる知識がほとんどない前提で、安易に褒め過ぎるのも考えものかもしれない。
じゃあ、逆にライバル。
同等の知識を持っていて、同等の立場。
……褒めることはあるのか?
無いとは言いきれないが、どちらかと言うと共有しあう関係と言えそうだ。
「これ作れた!」
「マジ? ここ、どう工夫したら上手くいった?」
「そこ難しかったんよ〜。まず──」
褒めると言うより、お互いの成長のために支え合う。ここに上下関係はなく、相手を下に見ていない。お互いをリスペクトしつつ、高め合う。
「褒める」というのは、薄っぺらい感情かもしれない。
もちろん、苦労した人が報われたいがために、「褒めて!」ってなることはある。それは本人の求める意思があるため、関係性のバランスによるものだ。
ケースバイケースではあるものの、偏見からくる「褒める」だけは、少し自分の立場を見直した方が良いかもしれないと思わされた。