フロムこころとあたま(というよりわたし)
今日は何にも手がつかなくてあまりいい一日じゃなかった。
自分でそれをしたい気分だと思って選んだ行動にいざ体を乗せたときに、体の内側からうっすらと拒否反応がにじむ時がある。あのいやな居心地の悪さ。これが丸一日続いた。
自分で選んだものを自分が拒否する。自分と認識しているもののどこまでが心でどこからが頭なのかわからない。
チャットモンチーの「こころとあたま」という曲がある。多分出会ったのは高校生の頃、そのころはあまりにも身体中心に生きていたので思い出せるものは観念的で、五感のどれにも紐づいていない感覚的なものばかり。人が言葉によって、名づけによって世界を認識をしていくというのは本当だなと思う。
そう、それでチャットモンチーの話だけど「こころとあたま」というタイトルに当時の自分は衝撃を受けた。
当時の自分は確固たる「じぶん」が絶対にあるということに一切の疑いがなかった。
せめて、心と体、というとことから始めてほしいのに、そこに現れた、心と頭を区分したうえで、さらにそれが自分にとって操縦不可能性があり!さらに!その心と頭に対して「ずっと寄り添っていて、二つで一つでいてね」と願う自分がいる!!そんな世界観の曲に当時の自分はかなりショックを受けた。
難しい言葉を使わずに詩を書くことがむしろ聴き手に、強く今後を変えるかもしれない影響を与える。
そう思うと絵本作家は世界を作れるんじゃないかもと思うし、実際そうなのかもしれない。
以来、何度も「こころ/あたま」について何度も考えているけれど、この二つの区分すらできないでいる。
「自分で選んだものに自分が拒否反応を起こす」そんなことが起こるたびにせめてこの区分だけでもできていれば「わたし」を責めずに心/頭に対して𠮟りつけて、明日からは大丈夫だと安心できるのになと思う。
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