前例踏襲って悪く受け取られ過ぎだと思う
春とはいえ、温かいと暑いの際まできていると感じます。いずれ暑さが勝ってジャケットの上着を着なくなる日も近いでしょうね。
さて、……。
前例踏襲という言葉がある。この言葉について、あなたはどう感じるだろうか。基本的に好感情を抱く人は少ないのではないかと思っている。
「何も考えていない」「今まで通りでやろうとする安易さ」「工夫をしようという気構えがない」……というような批判が共連れになりがちだと感じる。
でも、ちょっと考えて欲しい。前例も作った人が必ずいる。なぜならその業務に前例がなかったからこそ対応を考えて決めたはずだから。これは事実的にも論理的にも正しい自信がある。
何もない中で、何とか対応しようと類例を調べ、あれこれと対応策を考えた。その過程でこれでいこうという案が生まれ、組織としてそのやり方の採用を決定した。だからそのやり方が定着した。
即ち、前例通りにやろうとするのは、過去の人たちが必死に考えて検討した結果をありがたく使わせてもらっているとも言える。そしてその検討結果は、基本的にそう大きく外したやり方にはなっていないはず。
よく「ゼロベースから業務を見直そう」という提案がなされる。今まで通りのやり方がイマイチで、だからもっとよい方法を探すべきだというご主張も理解するのだけど、この検討には少なくないマンパワーを必要とする。
しかも、何もその業務の経験がない人間が検討しても、まず何も出てこない。万一出てきても的外れになっているだろう。問題の本質、その業務の肝は何かが分からないからだ。それでは改善策までたどり着けない。
そうなると、ある程度その業務に習熟した人間をあてなければならないが、あなたの会社において、業務に習熟した人間のマンパワーに余裕があるだろうか。
多分ないと思う。元々、今まで通りの業務遂行に見合う人員しか配置されていないのだから、当然である。
一方で、私たちも革新的な業務軽減策があるのではないか、という期待をどこかに持っている。業務は、基本的に面倒なことが多いからだ。だから、何も検討しないままということもない。
このような状況が複合的に合わさった結果、突き詰めるには至らず、何となくそれっぽいけど小手先に近い改善案が出されることになる。
それを基に社内で決定権を持つ人間まで上申されて改善案が成案となり、以後はそのやり方が新しい方法とされる。
こんな感じで何となく不完全燃焼となりながら、新しい前例が積み上がってゆく。日本の企業ではこのループに陥っているように感じているのだけど、いかがだろうか。
不完全な改善なら前例踏襲のままの方が混乱を避けられてよいケースもあると思う一方、それもなかなか勇気がいる。その狭間で悩み続けるのがジャパニーズビジネスマンなのだろう。本来は、やるならもっと本腰を入れて突き詰めるべきなのだけど。
お読み頂き、ありがとうございました。