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季節先取りのセールに追われず、今を感じたい(※投稿後に改題しました)

今日は暑かったです。その一言で語り尽くせる一日でした。早く涼しくなって欲しいと心の中で祈りつつ、取り敢えず1週間のお勤めが終わってホッとしています。

さて、……。

Xのタイムラインを眺めていたら「先々のイベント需要を想定した案内が多い。何だか生き急がせられているようだ」という趣旨のポストが目に留まった。言われてみればなるほど、と感心した。

まだこの暑さが続くただ中だというのに、私もおせち料理の案内メールは既に何通か受け取っている。早く申し込めば割引もあるようなのだけど、いくら何でも早過ぎる。

今の季節、新学期も始まり上期決算も近い。外は相変わらず暑いばかりで楽しいことは少ない印象。だからと言って今をあるがままに感じないのはもったいない。

むしろ、その時々の空気をその時々に感じることは一期一会の大事なことだと思う。少なくとも、クリスマスケーキのことを考えながら月見団子を食べたくはない。

先手必勝が商売の基本なのは理解できなくもない。シェアを取られてからの巻き返しは難しいからだ。これに加えてまじめな日本人には先憂後楽思想が染みついている。早めの準備で後を楽にしたいと考えてしまう。

ただ、そうやって全てを先取りして対応してしまうとどうなるか。慌ただしいとされる年の瀬の準備を前々から余念なく行い、本番になったら一日中こたつミカンで過ごす。これは明らかに違う。敢えて忙しい年の瀬を過ごすのが正しい。

その時節に合った過ごし方というのはあるし、それが自身の感性を大事にすることにつながる。私はそう思っている。

テレビでは、季節の食べ物が番組で取り上げられる。それは旬だからだ。わざわざ先取りして旬を外して食べることはないはず。これもただ今の季節を楽しむということ。

今の情報過多社会では、どうしても先、更にその先と意識を向けてしまいがち。それが年がら年中続く環境下に居続ける私たちは、ただ今この時を感じて楽しむ心の余裕が失われてしまっている。

これが生き急がされる感覚につながるのであれば、その流れから我が身を外してもよいと考える。「先のことを考えろ、急げ、早く」とサブリミナル効果を仕込んだハーメルンの笛の音に我が身を委ねたらどうなるか。想像するだに恐ろしい。

忙中閑ありという言葉もある。この閑は大事だとされる。やむを得ない忙しさと雰囲気に流されただけの忙しさを仕分けて後者をキャンセルし、浮いた時間を閑に合わせて今を楽しむようにする。これはより価値がある時間の使い方だと思う。

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