看取りを体験する(その1)
今日は久々に出社、職場の同僚が口々に「ご愁傷様です」と言ってくれました。ありがたくもあり、そっとしておいてほしくもあり、それらが入り混じった感情は父の時と同じだなと、当時のことを思い出しました。
さて、……。
以前のつぶやきで以下のように触れてはきたが、今回からシリーズで目の前で人が息を引き取る看取りについてもう少し詳しく書きたいと思う。グロいことは書かないが、苦手な方は離脱をお勧めする。
職場での勤務の終わりが見える頃、母がお世話になっている施設から電話があり「サチュレーション(血中酸素濃度)がかなり下がっているので、入院して検査を受けるようにさせたい」と言われた。断る理由はなく応諾。
実は、これは初めてのことではない。以前にも何回かそういうことがあったが、その度に乗り越えてきた。だから、この時点ではそれほど切迫性を感じてはいなかった。
ただ、病院の入院自体は施設の職員の手続きで可能だけど、家族意思の確認がある。そのための書類を病院が作成しており、それは家族でなければ記入できない。
そのため、上司にことわって早退けさせてもらい帰宅途中、今度は病院から電話があった。「かなり状態が悪い。サチュレーションが70を切ることもある。早く来て欲しい」。
医学的な知識はないけれど、これは危なそうだと感じた私は、家に帰らず直行することにした。家に電話して妻に私の着替えと実家の鍵を持ってくるようお願いし、途中の乗り換え駅で落ち合うことで、できるだけ所要時間の短縮を図った。
流石にここまでの体調悪化は初めてであり、これまでの「もしかして」というふわっとした感覚から蓋然性が高い「そのとき」が現実化してきたのを認めざるを得なかった。
新幹線の車中では落ち着かなかった。それでも、新横浜で乗ってきた隣席の人がシュウマイ弁当を食べ始め、そのにおいに「あ、自分は何も食べていない」と気付かされたりもした。
乗り換えのわずかな時間を活用して駅の売店でおにぎりを買い、快速列車に飛び乗る。病院に到着したのは19:20頃だった。
当然一階の受付は業務終了しており、言われていた階のナースステーションに行って「辻の家族の者ですが」と声を掛けた。実は皆さん忙しそうだったのだけど、若い男性看護師が対応してくれた。
(続きます)