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キラキラではない時もあっていいし、それに怯えなくてもいいと思ったこと

昨日は体調が戻ってきたので大丈夫だと思ったのですが、今日は昼になってセキが出てきました。一直線に快方には向かわないものだと理解しつつも、少しがっかりしています。

さて、……。

某美容外科女医が献体を前にVサインで写真撮影をしたり、モザイクをしっかり掛けない写真をSNSにアップしたりしたことが、かなりの批判浴びて炎上している。献体に応じた人の意図に反している、感謝の心がない、倫理観に欠けている……。

いずれも全くその通りなので否定できない。この方が何を期待してこのような行為をしたのかが、今一つハッキリしない。いいねがつく、或いは賞賛されるとでも思ったのだろうか。そうだとしたら、率直にその価値観を疑ってしまう。

献体をした人は、医学の進歩・発展を願って、自らの遺体を献げたはず。人として最後にできる社会貢献だと思って行った献体という行為に対し、この女医の態度は人間の尊厳に対する理解と畏れに欠けていると私は思うが、どうだろうか。

そもそも、美容外科は人の生き死にに直接関係しないと認識。もちろん醜形恐怖症の人がいることは知っており、何らかの対応は必要。そして残念ながら美醜で他者の対応に差が出ることはあり得る。道徳的には良くないが、それは実存する。

そのようなコンプレックスの要因を解消したいという強烈な思いを持つ人がいるならば、それに応え医学的に手助けをしようというのが美容外科の本筋だと思っている。

但し、基本的に健康の維持や回復ではなく、見た目の改善や美的欲求の充足が目的なので、健康保険の適用対象にはならない。でも、他人の身体に合法的に刃物を入れる行為は基本的に医師にしかできない。

このような前提に基づく医療であるため、人に対する慈愛の心、助けたいという切なる思いの存在が求められる。それがなければ単なる金儲けの手段に堕してしまう。

このような観点から見ると、今回の美容外科医の行為は献体に対する礼儀を余りにも失している。自らの存在意義すら毀損する行為だと言える。単に死体をもてあそぶ行為との差が分かりにくくなるからだ。

普通に考えて、何も死体を背景に記念写真を撮る必要などないではないか。

加えて、本件に関わり彼女の勤め先の上司も、謝り方が下手であった。こういう時にあれこれ言い訳をすると、謝罪意思の本気度が疑われてしまう。黙って耐えるということができないんだなあと感じたし、そういう人が増えたことを残念に思う。

ちょっと世の中を俯瞰してみると、常にキラキラ輝いている自分アピールっていつから始まったのだろう。そんな人間はそもそもいないし、そうある必要もない。

死語になりつつあるが、トイレの100W電球は眩しいだけである。「引くべき時は引く」という当たり前のことを身につけられなかったのは、気の毒ではあるが、如何とも為し難い。

お読み頂き、ありがとうございました。

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辻六道🥚
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