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標準治療は最高の医療であると認識すべき

今日は喉が痛く熱が出たことから、おとなしく寝ていました。熱の上がり具合から考えて、インフルやコロナではなさそうです。久々に昼寝、たまにはよいものだと感じました。

さて、……。

日本では、国民皆保険制度により医療費の過半は健康保険が負担してくれる。もちろんそれには健康保険料を毎月支払うことが必要。でも、いざという時に備えるのがまさに保険なので、やむを得ないものと理解している。

病気になった、ケガをした際にお医者さんに掛かる。この時には大抵皆が保険の適用となる治療を受けるはず。それは標準治療である。

ウィキペディアの標準治療の項は以下のように記載されている。

標準治療(ひょうじゅんちりょう)とは、科学的根拠に基づいた、利用できる現時点で最も効果的な治療。
大規模な臨床試験の結果をもとに専門家が科学的根拠に基づき検討の結果、その時点で治療効果と安全性が最良の治療であるとコンセンサスの得られている治療法を指す。日本では、基本的に健康保険が適用される。

Wikipedia「標準治療」より引用

標準という言葉が誤解を招くが、特別に効果が出る治療が別にあるわけではない。上中下の中、松竹梅の竹だと受け止めるのは誤りである。学問だけでなく治療にも王道はない。

しかし、それでも世の中には標準治療を疑い、それ以外のものを探す人が出てくる。特に金銭的に余裕があって、ガンに掛かった人などにその例が散見される。

標準治療は、上で引用したWikipediaの記載の通り「科学的根拠に基づいた、利用できる現時点で最も効果的な治療」なのだけど、万能ではない。その治療を受けても、命を失うことはあり得る。

そして、治癒したつもりでも再発する等して予後不良となることもある。5年生存率はガンの発生した部位によっても異なる。

見方によっては、治療後の未来ですら客観的な数値で示す標準治療は、あくまでも科学的だと言える。それは医療として正しい姿勢だと思う。

でも、正しさが希望につながるか。残念ながらそうはならない。5年生存率が低いと、何とかならないかと考えてしまう。そこに標準医療以外のお誘い文句が視界に入ると、急に目の前が開かれたような気持ちになって惹きつけられてしまう。

俗に、代替療法と呼ばれるものがある。これは、標準治療を代替するものと施術者は主張するけれど、そもそも医療ではない。

まず、科学的なエビデンスがない。体験者の感謝の言葉が添えられている場合があるが、それがその施術によるものなのか(言い換えると、施術以外に何もしなかったのか)がハッキリしない。しかもサンプル数が圧倒的に少ない。

自信があるのであれば、それらの結果をもって学会に論文を投稿してもよいはずなのに、やっていない。特許申請中などともっともらしく効果があるように装っていても、申請だけなら書類を整えれば誰でもできる。

○○先生だけができる、というのは治療ではない。誰がやっても同じ効果を出せなければ、治療法として成り立たない。

健康な状態であれば、大抵このようなものには引っかからないのだろうけれど、精神的に追い込まれてしまうとワラを掴んでしまう。

実際、標準治療の5年生存率の低さから、そのような代替療法を選択した場合に、本当に治癒する可能性は限りなく低い。しかも費用が高額。やがて体調が更に悪化すると「これ以上ここでは対応できない」と放り出すところもあると聞く。

それで標準治療に戻っても、手の施しようがない状態で緩和ケアに移行せざるを得ないということも。

代替療法は療法と名乗ってはいるのだけど、それに値するものではない。大人のお医者さんごっこに過ぎないし、それに付き合うべきではない。

私がもし何らかの不治の病に冒されたなら、怪しいものにはすがらずに標準治療のみを受ける。そして残りの生を充実させることに力を注ぎたい。風邪を引いただけで大げさだけど、こんなことを考えた。

お読み頂き、ありがとうございました。

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辻六道🥚
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