共通テストと二次試験についてひとこと
帰宅時に空を見上げると、一面曇っていました。ちょっと赤みがかっていて、雪が降る気配を感じました。明日の朝、どうなっているかが心配です。
さて、……
大学入試もこれから佳境を迎える。共通テストはその嚆矢となるものであるが、その役割とは何だろう。そんなことを考え始めたところ、逆に国公立の二次試験は何のためにあるのかを考えてしまった。
私立大学は一発試験で合否が決まるようになっていて、特段問題がないからだ。
日本企業の新入社員採用において、一括採用を行うところがまだまだ多い。この採用時に、将来この分野で働いてもらおう、この部署で能力を発揮してもらおうとまで決めている例は、これまでマレだった。
ぶっちゃけ、エイヤーで一定の基準を超えた人間を囲い込み、後は追々勤めていく中で適性を見定める、だから複数の異なる部署も経験させるというのが普通だった。
こういう発想を大学にも当てはめるなら、よほど独創的な選抜方法・選抜課題を用意できるのでなければ、共通テストに加えて更に二次試験で学力テストを課す必要性は乏しいのではないか。
じっくり考えねばならない問いを発し、それに対してどのような答え方をするのかを見るというのはアリだけど、残念ながら受験科目という制約が出てくる。
共通テストの点数である程度の学力は示せるわけだから、それで合否を決めても特段の支障はないはず。その後の成長は入学後の努力次第であろう。それでよい気がする。
入試で力尽きてしまってはしょうがない。今の学生はそうでもないと聞くが、我々の学生時代には入試の反動から大学生活の太宗をバイトやサークル活動に明け暮れた者も少なくなかった。
所詮は入試も入学者数を定員に収めるための手段である。だから、選抜することは目的ではない。その先の修学こそが大事なことであるのに、世の人はそこを軽視している印象を受ける。
私は入試が若者の過度な負担になっている現状を憂いるし、学ぶ意欲を持ち続けられるだけの余力を持って大学生活を始められるようにすべきだと強く思っている。
こんなことをここで書いてもどうにもならないが、主張すべきことは形にすべきだと考えて一筆記した次第。
この時期に受験生がこのnoteを読むとはとても思えない。春になって読んでもし共感して頂けるなら、将来世の中がそちらに進むように導いて欲しい。
その頃、私は草葉の陰にいるかも知れないけど、後はよろしくお願いしたい。
お読み頂き、ありがとうございました。