頭を下げるは意思が介在、頭が下がるは感情に起因
今日は、腹圧を掛けても良くなったので、久々にジムに行きました。もっぱら筋力系で、自転車やランニングマシンは使いません。使っている方が多いですが、それなら外を走れば良いのに……と思ってしまいます。
さて、……
サラリーマンをやっていれば、頭を下げることはいくらでもある。失敗してお詫びする時はもちろん、頼み事をする時、助けを求める時等々その機会は少なくない。
「頭を下げる」のには意思が必要。これに対して「頭が下がる」というのは、人としての自然な感情に基づく反射に近い動作だと思っている。
誰かの言動が琴線に触れて、心の奥から湧き起こるパッションとして頭を下げたくなったのであれば、それは「頭を下げる」よりも「頭が下がる」の方が適切だろう。
三菱財閥の祖・岩崎弥太郎は、武士階級出身の部下達の「人に頭を下げることが情けない」との言葉に対して「人に頭を下げると思うから情けなくなるのだ。人ではなくお金に頭を下げるのだと思えば情けなくない」と言ったとか。
本当にそうなのかは私も分からない。でも、お金に頭を下げて、人に頭を下げないというのはちょっと奇異な気がする。私は、人はお金よりも価値があると思っているからだ。
もしかしたら部下達は尊大・横柄な態度の客が少なくなく、生理的に頭を下げたいと思えなかったのかも知れない。でも、そこは自らの意思で補って、身過ぎ世過ぎとして頭を下げるべきだと弥太郎は言いたいのだろう。
ただ本件は、取りようによっては面従腹背をすればよいと言っているのと大差ない。当時は許されても今ではこんなストレートな言い方は通用しないと考える。会社の経営方針・企業理念に書けるか? を考えれば自明である。
ちなみに、意思で補うにしても、大きな覚悟を固めなければできないというのであれば、自分でハードルをある程度下げることは可能である。
どんなに気に入らなくても、あらゆる点が気に入らないということもないはず。少しでも褒められる、認められる点を探し出すことで、頭を下げるハードルは多少は下がるはず。そういう姿勢と努力は必要だろう。
なお、人知れず社会に貢献している人、刻苦勉励している人等に対しては頭が下がる。でも、そういうことはパッと見では分からない。そういう情報が入らないと難しいのだけど、中々入ってこない類いのものである。
記録や実績として表に出て、初めて知るケースが多い。でも、そういう人はみんなに知られる前から同じようにやってきていたはずである。それを声高に言うことはまずないだろうから、知られることはかなり少ない。
ドラマではたまたまそういう場面に出くわして、その人となりを知って見方を改めるシーンがあったりする。でも、実生活でそういうことはまず起こらない。
だから、頭が下がる経験をするのは希有な例なのかも知れないな、と気付いた。
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