「ネット騒然」は注目を集めたい安易な言葉過ぎて好きになれない
今日は夕方から風が強くなりました。自転車が数台将棋倒しになっているのを見たり、電線から風切り音が聞こえたりする中での帰宅、大したことではないとは思いつつも、無事に帰着できてホッとしています。
さて、……。
最近のネット記事のタイトルに「ネット騒然」という言葉が多用されている。私は、この言葉は注目を集めてクリックさせたいという安易な気持ちがダダ漏れていると感じており、タイトルに記載した通り好きになれない。
そもそも、この表現は正確性を欠いている。というのは、ネットはインターネットの略語。インターネットは意思も感情も持たないネットワークツールに過ぎない。よって、騒然とすることはあり得ない。
ムッチャ硬いことを言っている自覚はある。実際は、インターネットを利用している人が何かの記事を見てXやInstagramに自分の評価を投稿、その数が結構な数になっていると言いたいのだろう。
でも、それをわざわざニュースにする必要ってあるのだろうか。放っておいても良さそうなものではないか。放置しないからには、何らかの意図があるのではないかと疑ってしまう。
実際、このような記事を目にすれば、少なからぬ人が野次馬根性もあって「何だろう?」とその記事を見に行く。その効果を狙ったサクラ記事だと思う。
「火のない所に煙は立たぬ」と言われる。でも、このような記事は火が付いていないかせいぜいボヤ程度のところに人の注目を燃料として集めるために仕組んだものだと私は認識している。
この注目を集めることによる利益は、記事に書かれる人にも、記事へのアクセスを集めた数に基づく報酬を得られる執筆者にもあるだろう。ここまで書いてしまうと身も蓋もなくなるが、そういう仕組みに疎い人って意外に多いように感じる。
冷静に考えてみて欲しい。昔有名だったタレントが今も美しい、或いはその子どもがきれいor可愛いorイケメン。それは「良かったね」とは思うけれど、そのことは皆であげつらうようなことであろうか。
そして、このようなサクラ記事を書かないと注目を集められないような内容であるならば、申し訳ないけど大したことではないと思う。
実際のネット上では、騒然どころか結構な意見の対立(炎上ともいう)が起こっているし、ネット記事にならなくてもハッシュタグ等で注目を集めているテーマがある。それらがネットニュースになることはまずない。その理由は、熱すぎて下手に触るとやけどをしてしまうからだろう。
そういうものをやり過ごしての「ネット騒然」は、やはり大した価値がないと思っている。
お読み頂き、ありがとうございました。
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