見出し画像

自分の近所ではお断り(NIMBY)を考える

NIMBY(Not In My Back Yard)という言葉がある。Wikipediaからそのまま引用すると『「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である』と定義されている。

最初は、原子力発電所に対して使われた言葉であるらしい。その後、清掃工場や火葬場、更には刑務所や障害者施設などもその対象として広がったようだ。果ては学校も入るらしい。

確かに学校は、昼休みに子供たちの元気な声が響く。そして、運動会等の行事がうるさいと苦情電話を掛けてくる人もいると聞く。学校も嫌悪施設とされるのだ。

この手の話は枚挙に暇がない。でも総論で社会の必要性は認めつつ、自分の家の近くは御免被るというスタンスは、やはりご都合主義との批判は免れまい。

この手のふるまいは、大抵漠然とした不安感、根拠の薄いイメージが元となっている場合が多いと思う。刑務所から脱獄するのはかなり困難だし、障害者施設も居住者と住民間で実際にトラブルが起こっている例は、数える程だろう。

実は、今は空き家となっている私の実家は幼稚園のすぐ近くにある。帰省時の平日には、園庭で運動する園児たちの声が聞こえてくるものの、それがずーっと続くわけではない。その最中は確かに騒がしいと思うものの、この程度なら受忍限度だと思った。

今は施設に住む母は、実家に住んでいた当時「子供たちの声もしないなんて、寂しいじゃない?」とまで言っていた。私も、それには同意する。

NIMBYは究極のところ、落とし所をどう見つけるかの話であるように思う。少なくとも、自分の利益だけを考える人達が住む地域だと認識された時点で損だと考えるのだが、いかがだろうか?

ビタ一文失いたくないという発想である限り、落とし所は見つからない。大人の態度が求められている。

昔に比べて、人に譲ることを嫌がる人が増えたように感じている。そういう社会は生きにくいし、その行き着く果ては決して明るいものとはならないだろう。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。