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人生の深み、重みを語ることに思うこと
今日は、昨日に比べれば気温が上がりました。朝方の小雨も昼前には止んで、日が差した影響もあると思います。助かりました。
さて、……。
何かに挫折し尾羽うち枯らした若者に対し、人生の酸いも甘いも噛み分けた風体のオジサンが「生きていくってことはいろいろあるわけよ」みたいなことを言う。ドラマなどのワンシーンにありがちなプロットである。
「若いうちの苦労は身になるよ」「いい勉強をしたと思って」「いい休みができたじゃねえか」等などの前向きっぽい慰めの言葉が続くことを想像してしまうが、人生を語る言葉はそれなりに発言者を選ぶと思う。
徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」との遺訓を残した。これは家康なりに自身の人生から得た教訓で、実際そう語るだけの経験があった。だから十分に説得力を持つ。
しかしこれも、本人が功成り名遂げたという大きな結果があったから人口に膾炙したという一面を無視できない。
もしこの言葉を武田信玄が言ったらどうだろう。甲斐源氏の嫡流に生まれ、父に疎まれていたというやむを得ない事情があったにせよ父を国外に追放し、上杉謙信と死闘を繰り広げているうちに上洛時期が遅れた。結果上洛の途上で急逝することとなった。
この人生からすると、重き荷を背負ってもいないし、基本的に攻勢に出た人生。そして急がなかったことが上洛失敗の原因にもなった。ぶっちゃけ、武田信玄が同じことを言っても説得力ゼロである。
信玄本人は国を保ったけれど、その子・勝頼の代で武田氏が滅亡したのはご高承の通り。勝頼にも言いたいことはあったかも知れない。でも、敗者となった彼の言葉は関心を持たれない。
誰でもある程度生きてきたら自身の人生を振り返って思うこと、感じることはあるはず。でも、その内容が本当に正しいかはもちろん、それを語ってほしいと願われているかも考えねばならない。
家康は大成功者だから言葉に説得力を持つが、それが武田信玄には当てはまらないのは既述の通り。万人に最適な教訓なんてものは多分ないのだろう。
冒頭の若者に語りかけるオジさんも、言葉は当たり障りのないもっともらしいことを述べているに過ぎない。ただ、放っておけなかっただけだろう。その優しい気持ちは尊い。
若者も、欲しかった言葉を得られなかったかも知れないが、ガッカリする必要はさらさらない。むしろ自分を気にかけてくれた人がいたことに感謝して、静かに気力の回復を待つ。それができるようになっただけでも一皮剥けた人間に成長したと言えるのではなかろうか。
人生の深み、重みなんてものを知る人は多分少ない。仮に出会っても自分にしっくりこない可能性もある。だからそれを求めて探し回るよりも、今ある環境で自身を高めていく方がより現実的だと思うが、いかがだろうか。
お読み頂き、ありがとうございました。
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