もしも寺田寅彦が東日本大震災時の日本にいたら
帰宅のため駅で電車を待つ身に吹き付ける風は冷たく、かつかなり強かったです。コートのエリを立てて背中を風の吹く方に向けて耐えましたが、童話「北風と太陽」は明らかに北風の分が悪い勝負だと感じました。
さて、……。
今回のタイトルであるが、結論を述べれば恐らく風評被害はもっと減っていたと考える。
寺田寅彦は、大正時代に発生した関東大震災時に東大の教授だった人。彼はこの震災直後に起こった朝鮮人虐殺について、彼なりの論考を書いている。そのことは前に以下の記事で触れた。
このように事実を基に冷静に考える人がいて、その内容が発生直後に発信されていたならば、福島バッシングのようなことは起こらなかった、或いはもし起こっても現状よりはもっと軽くて済んだのではないかと考える。
もっとも、どんなに科学的・論理的な主張を発信しても、一定の割合でそれを理解する意欲のない人、読んでも理解できない人がいることも東日本大震災以降のネットの書き込みから分かってきた。
彼らは彼らの脳内のみにある論理から決して離れようとしない。説得しても変わらず、最後はアンコントローラブルな存在として放置するしかない。即ち、彼らの流す根拠のないデマ、つまり流言蜚語の類いを完全にゼロにはできない。
それでも、そういう意見は多数の良識ある人達にはスルーされるだろう。加えて、例えばXではコミュニティノートを付ける機能もできたから、一定の抑止力を働かせることは可能になった。
当時、日本で風評に立ち向かった方々も決して少なくなかった。ただ、報道はどうしても中立性を意識するため、政権側に対して批判的になりがち。実数を反映しない両論併記のために、その努力の効果はかなり減殺されたと感じている。
今度新しく台湾の総統に選ばれた与党・民進党の頼清徳氏は、東日本大震災時に台南市長であった。彼は風評に苦しむ姉妹都市である日光市長の訴えを受けて、震災発生からわずか3ヶ月後に「行こう日光」と書かれたTシャツを着て、300人超の市民旅行団と日光を訪問した。
恥ずかしながら、そのような事実があったことを今回の選挙が終わるまで知らなかった。そして、風評をものともせず行動で日本の安全を示したことは、素晴らしいとも思った。
頼清徳氏は元々医師であり科学的な高い知見を持ち合わせていたとはいえ、日本を訪れるのには勇気も必要だったはず。それを乗り越えた見識の高さは寺田寅彦に匹敵すると感じたし、台湾を率いるにふさわしい人だと強く思う。
災害は不幸をもたらすと共に、人の真贋を露わにするものでもある。その時に真を見抜く力を身につけていたいと心から願う。
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