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わたしは文章に色が見える。
前回記事でポジティブになったぜウッホウッホ。とドヤ顔でその効用について語ったにも関わらず、先週は得体の知れない大波にザブンとのまれて、タシケて栗・・・と海の中をもがいておりました。笑
必死こいて水面を目指して泳ぎ、やっと顔が出せたので、
久しぶりにきちんと息を吸って吐いています。
私のメンタルは、まだしっかりと地に足がついた訳ではなくて、海の上をゆるく平泳ぎでスイスイと、泳ぐような形で安定を保ってるんだなぁ。
ちょっとした波でウワァァとなりながらも、大陸を目指して泳ぐんだ〜〜。
そうか、りくという名前は、私の目指す場所のことだったんだ。
とでも言えば、なんだか深い話のようで、いい感じに前段がしまる気がするので、
しばらくは、そういうことにさせてください。笑
(そう言えば、TBS『アイアム冒険少年』で、フワちゃんが無人島脱出してた回、作ったバランスボール✖️4個ボートがボロボロに壊れちゃったのに、ボール1個にしがみついて必死こいて泳いで、最後ゴールした姿には、泣けるものがあったな。。)
さて、そんな最近のメンタル情報は以上にして。
表題の話に入ろう。
とは言ったものの、あの〜〜〜〜。
今回の内容はとても感覚的なもので、
多分、ほとんどの人には、???と思われるものなので
つぶやきの延長みたいな感じで、ボソボソとわたしの感覚を文字に書き起こしていけたらなぁなんて思っています。
ということで、「わたしは文章に色が見える。」について、です。
本を読んだり、コピーを読んだり、エッセイやコラム記事を読んだり、noteを読んだり、誰かが書いた文章表現に出くわすと、
なんとなく、その文章に色がついて見える感覚が、わたしの中にはある。
それは、言葉が意味するもの自体の色(例えば、木なら緑)とか、作品のムードから感じとれる色(例えば、暗い話なら黒)とかではなく、作者の文章表現に滲み出る個性が、色になって見えてくる、ということである。
実際はもっと複雑で、筆者によって皆違うのだけど、、、。
ざっくりと分けると、2種類、赤っぽい暖色系の色と、青っぽい寒色系の色の文章があるように思う。
最近流行りの美容用語でいうと、イエベと、ブルベ。ていうのかな。笑
あと、カメラメーカーによる色味の違い、は、すごくこの感覚に近いです!
赤みがちょっと強めで、鮮やかで、暖かい印象・色合いの写真が撮れるキャノンと、
青みが強く、さっぱりと透明感のある写真が撮れるソニー。
(本当はニコンを例に出したかったけど、より青っぽいソニーをチョイス)
よく、あ〜この文章はちょっとキャノンっぽいなとか、ソニーっぽいなとか勝手に分類してます。
で、わたしが好きな、朝井リョウとか、綿矢りさとか、村田沙耶香は、
自分の中ではキャノンっぽいと思ってる。
ソニーっぽい文章は誰がいるかなぁ・・・。
「蕎麦湯が来ない」のせきしろさんの自由律俳句は、ソニーっぽいかも。
今思った、もっと読書家になってからこの話するべきだった。
人に対しての分析が足りなかった・・・。ああぁ。
でも、自分なりになんだろう、この色の違いは・・・?というのをずっと最近考えていて。
多分だけど、キャノンっぽい文章は、世界と対峙する自分・人間・心の内側に目がある文章?ていうのかな。
生きている社会の中で、自分を取り巻く環境や生じる様々な出来事に、人間は、何を感じるのか、この感情はなんなのか。世界に存在する様々な概念は、人間に何をもたらしているのか。
世界に触れた自分の心と頭の奥底にあるものを捉えて、言葉を通して外在化させる。そんな文章が、赤く、私は見える。
私自身、心とか人間について、黙々と考える作業が好きなので、なんとなく、このキャノンっぽい文章に親しみを感じるのかもしれない。
あ、ちなみに、それって、心情描写が多い文章を言ってる訳ではなくて。。繊細な情景や出来事の描写であっても、その書き方、筆者の着眼点、目線に、上のようなことを感じる文章っていうのかな。うーんむずい。
この前読んだ朝井リョウの『引金』についても
主人公より2つ上なことを、「若いな〜」と羨ましむふりをする同級生。
とか。
同級生の心情描写ではなくても、その同級生の、心の中がなんとなく読めるような気がする。表現というのかな。
反対に、青い文章。ソニーっぽい文章っていうのは何か。
それは、世界に存在するもの、そのもの、それ自体を繊細に見つめている文章のことだと私は思った。
写実的、といえばそうだけど、それだけじゃないというか。
そこで感じとれる対象への印象も、表現に含まれてるというか。
今目の前に見えているものや場所には、誰か、何が存在して。それはどんな性質をしているか。どんな印象か、どこが美しいのか、を
徹底的に考えて、繊細に描き出している文章っていうのかなぁ・・・。
外の世界にあるもの、生じる出来事が、
作者の表現を通ることで
その美しさや切なさが、ダイレクトに心に伝わってくる文章が、青く私は見える。
「蕎麦湯が来ない。」という自由律俳句も、そう。
すごく分かる。絵が浮かぶ。
その時の自分が何を思っていて、世界がこう見える。とかじゃなく、
シーンそれ自体の切なさが体に染み込む感覚が、青い文章からはするのだ。
こういう文章に出会った時、何がいいとか、どこが共感するとか、そういうのを抜きに、世界の美しさが心に入ってくる感じがして、とても幸せな感覚になる。
だから、結論赤い文章も青い文章も好きなのです。
ただ、赤い文章は、私がわりと心について考えたりするのが好きだから、入ってきやすいんだけど。
青い文章は、私の、世界・ものに対する探究心が足りないと、作者の見えている世界までたどり着けないことがあるから。もっと、いろんなものに触れながら、世界そのものに対する感度を上げていきたいな〜〜と思っている。
実際、作品の中の全ての表現がどっちかになってるとかじゃなくて、
青とも赤とも言いにくい文章もたくさんあるんだけど。
というか、本当の色だって、1つとして同じ色がないのと、
全ての写真に、とった人の個性があるのと、一緒です。
全部ちょっとずつ違う。
ただ、なんとなく私の言いたい、
文章による色味の違いが、少しでも伝わったら、嬉しいなぁ〜〜なんて
思っているわけですが。
共感覚にも近い感覚なので、
????てなる人がきっとほとんどなんだろうな。
いや、私は、文章表現についてはこう感じるとか、
こういう色があるとか、
はたまた、音楽が聞こえるとか
あったら、面白いから聞いてみたいです。
変な話をつらつらとごめんなさい。
ご飯を炊いてる間に書こうと思ってたのに、
うーーーむと、悩みながら感覚を言葉にする作業をしてたら
気づいたら、こんな夜遅くになってました。
お腹すいた!!
さ!豚キムチ丼食べるど!!
おしまい。