ひとりごと。
小さい頃、朝起きると外に連れ出され、
お父ちゃんに、頭を小突かれながら走った。
帰ったら、算数のドリルと、百マス計算。
夜は古典文学の暗記。
意味なんか分からずに、言われる通りやらされてたあの時間が、
私を運動のできる女の子にしてくれて
勉強もそこそこな女の子にしてくれた。
それがどんなに、私に自信をつけてくれてたのか、今更分かるようになってきた。
正直、運動会は楽しかったし、
中学くらいまでって、運動神経が良いだけで、クラスでも明るくいられるところがあったような気がする。
あの頃の努力があったから!
なんて思ったりもしたけど。
やらされて、出来たことなんだよなぁてふと思ったりする。
大人になると、だれも、
やれ!!なんて言ってくれない。
赤ペン先生のように、やったことを採点をしてくれる人もいない。
自分で決めたことを、嫌だ!!て思ったら、自分でやめちゃえる。
選択肢がなかったころは、
嫌だけどやらなきゃいけない環境にいれば、無理やりでもやるしかない。
追い込んでやった先に、変化があった。
そう思うと、大人は自由だから
たいへんだ。
だから、自分で、自分をきつく律して
もう嫌だ!を超えた先まで努力できる人が本当に凄いと思う。
小さい頃から、自分で決めて、
自分の意思で勉強も運動もしてきた人は、
きっと大人になっても、自分で自分を高められるんだろうなぁ。
わたしは、自分の意思で
自分の限界を超えて頑張ったことがあったかなぁ、、、。
働く力って、学生の頃必要だった能力と全然違くて戸惑うことが多い。
私は、処理能力が低いから、
ちょっとのことでワタワタするし
抜けてしまうことも多い。
クラスで、すごいと言われるのは
運動神経が良い人だったりしたけど
会社ですごいと言われるのは
当たり前だけど、仕事ができる人で。
これまでも、不器用で、人よりうまくできないことが沢山あったけど、
社会に出て、仕事ができる、がいちばんの基準になって
はじめて、自分ができない奴だって思いしることになった。
一夜漬けして臨む暗記テストみたいな
普通の努力じゃ、なかなか、
うまくいかないって
壁にぶつかっては落ち込んで。
ふと、運動も勉強もそこまで悩まずできたのになー、なんで仕事はうまくできないんだろとか、
私が運動神経良かったみたいに、仕事できる人は、普通に自信持って暮らせるんだよなーーとか僻んでみたりしてたとき
私が運動神経良かったのは、別に遺伝でもなくて
スパルタ教育で、ベースアップが出来てたからだったわって思い出して。
結局努力なんだよなって思って。
自分で頑張るってたいへんだなーって思って。
はーあって思いながら
つらつらとnoteに吐き出してみた。
やれば変わるって分かってるからこそ、
不器用なことを、脳のせいにできない悲しみと
向き合って、前に進むしかないんだな。
なんて、思う10月の秋の長夜です。
いつか、自分の意思で、
自分の限界を超えて頑張ってみたい。
胸をはって、
頑張ったから!今があるって言いたい。
そんな日を夢見て、明日も頑張ろうと思います。
ただの、弱音吐き出し投稿ですみません。
書きたいことがいっぱいあるから、
またぼちぼち更新していこうと思います。
いけたらと思います笑
おしまい