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3人の母?

5月8日。昨日は母の日。
突然だが、私には3人の母がいる。
1人目は、26年前に私という人間を産んでくれたたくましい実母である。
2人目は、前任校でお世話になった明るくて美しく、愛に溢れる大好きな英語の先生だ。
3人目は、東南アジアにいた時に私の身の回りのお世話をしてくれたメイドさんだ。

今日は母の日ということで、
3人の母に感謝の気持ちを込めてメッセージを送った。

まず実母には、お花を送ろうとしたのだが、
どれも母の日前には値段が高く、
母自身が「花は高いから今度でいい」
と言ってきた。
そのため、お夕飯を作ってあげることにした。

簡単に作ってあげたのだが、
料理が上手くない私は何を作ろうかさえすぐに思いつけなかった。
それでも、笑顔で喜んでくれてとても嬉しく思った。

母との関係は今でさえいいものの、
ここまで来るのには相当な努力と時間が必要だった。

特に学生の頃は、
私が華美に生活を送ってると思っていたのか
それはそれは過干渉が過ぎ、
ある時は確執がある時期さえあった。
子どもへの期待が大きく、
自分の思い通りにしたいという
完璧主義な性格を子どもに押し付け、
私と姉はその期待に応えようと、
またはそれに反抗しようと
学生時代は必死にもがいてきた。

何をするのにも、全部事後報告。
「東南アジアに行くことが決まったから。」
と言った時は、
とても驚いていたのと同時に
心配性のあまり夜眠れないときもあったらしい。

事後報告にでもしない限り、
私の人生は母のものになりそうだったから。

これまでたくさんの喧嘩やサイレント期間、
仲が良くない時期もあったが、
それでも、母との関係を良くしていこうと、
全て意図してきた。

私の実母は、
とてもたくましく、賢く、情が深い人である。
それが時に疎ましく、嫌になることさえあったが
今では私のやりたいことを応援し、
本音を聴いてくれるまでになった。
学生時代は母のことがどんなに疎ましく、
一時は「大嫌い!!」とさえ思った私でも、
今では昔の大好きだった頃の気持ちに戻ることができた。
現実は自分が意図すれば自分で創造できる。
ずっと実家を離れていた分、
沖縄にいる間はたくさんの親孝行をしていきたいと思う。

そして第二の母といえば、
私が大尊敬する英語の先生だ。

学校に勤めた1年目、
英語科主任を担当していた私は市の弁論大会の出張に行った。
その時に同じ受付で出逢ったのがこの英語の先生である。
見るからにオーラがすごくて、
その先生の周りには笑顔がたくさんあり、
美しくキラキラ輝いていた。

初対面にも関わらず私は、
「初めてお会いしたんですけど、先生本当に綺麗ですね!!」
と恥を忍んで思いっきって言ってしまった記憶がある。

初めて、
「将来先生になるなら、こんな先生になりたい」
と思ったのだ。

それから月日は流れ、出張で顔を合わせては、
「あんな先生になりたいなぁ」
なんて思って、遠くから想い焦がれていた。

そして学校勤務が2年目になると、
私が勤めていた学校でも人事異動が発表された。
そのときの衝撃は今でも忘れられず、
運命って本当にあるんだと震えたほどである。

なんと、その遠くから眺めていた大尊敬する先生が
私の学校に異動になったのである。
嬉しくて嬉しくて声が弾んで、
その日はずっとニヤニヤして興奮していた。
それから約1年、
先生と一緒に働かせてもらったのだが、
私が1日かかる仕事を10分で解決してくれたり、
授業は学ぶものばかり、
そして何よりその先生の人柄がさらに大好きになった。

いつもそばで応援してくれ、
困った時は助けもらい、
いつも私を笑顔にしてくれた先生は、
私の人生のロールモデルだ。
新しく購入した車も、先生に憧れて色を赤にし、
伸ばそうとしていた髪の毛も、
先生を真似してバッサリとボブヘアーにした。

将来は、こんな先生、こんなお母さんになりたいと本気で思っている。
先生と出逢えた運命を大切に、
勝手ながらこれからの人生のロールモデルにさせてもらおうと思う。

そして第三の母は、
東南アジアで私の母親代わりだったメイドさんである。

言葉も、文化も、宗教も、バックグラウンドも違う
どこの馬の骨かも分からない私を
1年間支えてくれた母だ。

私が帰ってきたら必ず温かいご飯を出してくれ、
洗濯とアイロンは毎日完璧、
日々の私のストレスも聴いてくれた。

特に、私の帰宅が遅い時は
眠くなりながらもずっと待っていてくれて
温かいご飯を出してくれるそのプロ意識には
頭が上がらなかった。
私がコロナにならずに帰国できたのも、
全てこのメイドさんのおかげである。

一汁三菜、毎日のお味噌汁に、野菜、元気の出るお肉料理、フルーツ、時にはその国の郷土料理を振舞ってくれた。

また仕事内容に関係なく、マッサージもしてくれた。

一緒に恋について語り合ったり、
一緒に腕を組みながらお買い物へ行き、
一緒にタクシーに乗ってモールに行ったりもした。

寂しかった海外での一人暮らしが明るくなったのは、
彼女の存在があったからだ。

どんなに仕事がキツくても、
彼女に「おかえり」と言われるだけで
心がほっとしたのを覚えている。

だから私は、彼女に出会ってから
「おかえりなさい」と「気をつけてね」
という言葉が大好きになった。
そしてその言葉の大切さが身に染みて分かった。

今日は、メッセージを送ると、
彼女からは、電話がかかってきた。
相変わらず、「戻ってきて」と言われたのだが、
いつか必ず彼女へ恩返しに
東南アジアへ帰りたいと思う。


日々を思い返すと、
この現実を創ったのも自分だなぁと感慨深くなる。

話は少しそれるが、
昔は、八方美人が災いし、
人に優しくばかりして、
無意識に自分を大切に出来なかったときがある。

そのときは、当時付き合っていた人にも
もちろん大事にされなかったし、
物事が色々と上手くいかなかった。

そのときから現実創造論を学び、

「私を大切にしてくれない人はいらない」

「私は都合のいい女ではない」

「優しくしたからといってバカにしないで!!」

という思考を取り入れて、自分を変えてきた。

それから現実がガラッと変わり、
私の周りには大切な人ばかりになった。

自分が変われば周りも変わる。

これからは、

「現実は甘くて優しい」

「そこそこな女ではなく、唯一無二の女である」

「世界に貢献出来る女になる」

というテーマを設定して、
これらを現実化させていきたい。

母の日を通して、
これまで私が健康に、楽しく、
そして人生を見つめ直し、
生きてこれたのは
3人の母のおかげである。

人は1人では生きていけないし、
色んな人の支えがあって成長できると
身に染みて感じた日でした。

私も3人の偉大なる母のように
そんな大きい女性になりたいです。

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読んでくださりありがとうございます。
日頃の感謝をこめて。
色んな人の力を借りて、これからも成長していきたいと思います。

RikuChil

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