大学ハンドボールの終わり。
久しぶりの投稿がいきなりの大学ハンドボールの終わり。いきなりですみません。
これくらいの頻度で、残そうと思った時に残すが僕のやり方。ぜひ見てみてください。
早速ですが、大学ハンドが終わりました。実質引退です。
一言でまとめると、充実。
中学、高校と違って一年長い期間ハンドボールができる環境で自分のしたいハンドボールができていたので文句なしで充実してました。
最後のインカレはベスト16で終了しました。
一年から振り返っていこうと思います。
※4年から読んでみても面白いかも知れません。
1年 楽しみ
1年、新たな環境でハンドボールをするという楽しさもそうだが、
一番の楽しみは地元の友達と試合を行えるということ。
高校を県外に出てたため、地元の友達と試合をすることがなかったから、楽しみでしかなかった。
大学のリーグ戦は春季と秋季の二季に分かれていて、1年の春季では試合に出ることができませんでした。同期が試合に出てるのを外から見ていてとても悔しかった。
大学のデビュー戦は春リーグが終わった後の西日本インカレ。強豪校との試合で自分のできる仕事を何もこなせずに終わるという、不甲斐ない結果からスタートした。
秋季リーグではユニフォームをもらったが、全試合に出ることができなかった。体調不良であったり、怪我などで離脱する試合が出てきてしまった。今まではトーナメントしかなかったので、リーグ戦を戦い抜く厳しさを学ばされた期間だった。
2年 恩返し、悔しさ
私が2年の時の4年生にとてもお世話になった先輩が一人いた。
中、高、大と同じ学校に行き、高、大の推薦のきっかけをくれた方。この1年間はその人に恩返しの気持ちでハンドボールに取り組んでいた。その人とハンドボールをするのがとても楽しかった。衝突する機会もあったが、それも含めて楽しかったと心の底から言えるくらい充実してた。
また、当時のキャプテンの方もとても尊敬できる方。大会直前に怪我をしてしまい、大事な試合に毎回いませんでした笑。
試合に出れないから、勝って一緒に喜びを共有したかった。
インカレで先輩の引退が決まった試合の時、シュート確率3分の0。不甲斐なさ過ぎた。勝てる試合を自分のせいで落としたと言われても何も言えない。
「お疲れ様。ありがとう。」
不甲斐ない私にキャプテンがかけてくれた言葉。
何も言えなかった。とても申し訳なかった。その試合に勝てればメダルも見えるくらいチームも仕上がっていた。
大学ハンドの中の一番の悔い残り。
これから残り二年間、この悔しさを忘れないように全力でハンドボールに取り組んだ。
3年 自らの為に
この年はある出来事をきっかけに”チームの為”ではなく、”自らの為”にハンドボールを行ってきた。これはあまり良い方向転換ではなかった。
このチームで勝ちたいと思えるような気持ちがなくなってしまい、自分の結果だけを求めて取り組んだ。それがちょうど半年ぐらいでこの気持ちの変化が現れた。
コロナウイルス感染症の影響で試合が中々できない状況が続き、日常生活にも影響が出てしまうくらい上手くいっていなかった。
その中でチームとのプレーを放棄し自らのしたいことを行ってきた結果。先輩を見て背中を追っかけ続けていた私にはモチベーションを保つことが難しい日々を過ごした。
ある意味違うことへの挑戦をした良い年でもあり、一日一日考えさせられる苦しい一年ともいえる年だった。
4年 最上級生として
大学最後の年。徐々に最後という実感が湧いてきて、一日の練習により集中して取り組む機会が増えた気がする。また最上級生としての自覚が少しずつ出てきて、チーム全体を見ることが増えた。4学年いるのもあり実力差が生まれ中々練習の強度が上げれなかったり、 人数も多いので集中力を欠く人間も出てくる。その中最上級生としてベクトルを同じ方向に向かせるのにはとても苦労した。
最後の学生ハンドボール生活に後悔が無いように、自分なりに努力をしてきた。いつも以上に練習のアフターで自主練をしたり、いつも以上にケアを入念に行ってきた。大会までに自分の持っている力すべてを発揮できるようにコンデション調整を行ってきた。
結果として順位は16位。満足はいっていないが、悔い残りはない。
私が地元の大学を選んだ理由はインカレの上位を占めている大学(関東、関西圏)のチームに地元のハンドボールで試合に勝つという目標が大学に入る前から明確にあった。私の大学は東海圏では強かったが、全国レベルで戦えるような実力はあるとは言えなかった。
愛知県のハンドボールは組織でハンドボールを行い、独特なハンドボールをする印象があると思う。中学の時に優勝を経験していて、その経験をカテゴリーが上がった状態でまた愛知のハンドで優勝(giant killing)したいと感じ、地元に戻ってきた。
結果は伴ってはこなかったが、自分たちが4年間してきたハンドボールが上のレベルで通用するプレーということが証明できたと思う。
いい経験になった。
最後に
ハンドボールをできる環境を整えてくれたすべての方々に感謝の気持ちをnoteの場をかりてお伝えしたいです。
私が3年次の約1年間、コロナウイルス感染症の影響で試合すらまともに行えなかった環境下が、最後の年になって一番のターゲットのインカレも無事に開催されたことをとても嬉しく思います。
試合が行えなかった先輩達の思いを背負いながら戦ったインカレ出場校の学生は、とても活き活きと、楽しそうにハンドボールをしており。気持ちのこもったプレーが多くみられました。
まだメジャーとは言いにくいですが、ハンドボールを通じて誰かの気持ちを動かせるような、大きなスポーツになればと感じています。
今後も何かしらの形でハンドボールに携わり、ハンドボールをメジャーなスポーツと認知されるように、又、私を通じてハンドボールをしたいという人達ができるような活動ができたらと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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