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森の暮らしの理想と現実(時間)

田舎にあこがれ、勢いで移住してしまった長野の森の中。田舎は時間がゆっくり流れていくというのは事実だった。同じ時間が過ぎているはずなのに、なぜかここにいると、景色を眺めてぼーっとしてる時間が増える。その分、これまでできていたのに、できなくなった何かがあると思うのだが、それが何か思いつかない。ぼーっとしていても特に何かが進まなくて困るということはないということにも驚く。一方、これまで通りに仕事に向かうと時間のたつのは早く、気が付くと外は暗くなっている。横浜に住んでいた時、あれだけ時間がないと焦っていたのは何だったのか。これまでそんなに余計なことに時間を費やしていたのか。あの頃、電車が数分遅れただけで全ての予定が狂う気がしていた。スーパーのレジ待ちの列が進まないと、他人のせいで時間を無駄にした気がしてイライラしていた。一刻も早く帰宅し、一刻も早く寝ないと次の日がつらい…人をおしのけてでも早い電車に乗り、足早に帰っていた。もちろんリモートワークの恩恵は大きい。が、リモートワークで往復の通勤時間が自分の時間に戻ってきてからも、やはり忙しさは軽減されなかった…いや、忙しいと思っていた。

移住して感じたのは、人々が焦っていないこと。車のクラクションもめったにきかない。レジでイライラしている人もいない。それに加えて、こちらにきてから期日厳守を示されたことがない。個人商店が多いせいだろうか、たとえば口座引き落としの手続きが終わるまでの支払いを、ついでの時にまとめてでもいいよって言われたりする、ドッグランの開始時間前に行っても気にせず入れてくれる。もちろんこちらものんびり待たないといけない場合もある。屋根の修理も足場を組んで数週間で終わると思っていたら、3か月もかかった。その間の足場のお金がかからないかと、こっちがヒヤヒヤしていたが、大工さんは全く気にしている風もなく梅雨は休み、盆は休み、しかしとても丁寧な仕事をしてくれた。

そういう社会に身を置くと、こちらのとげとげした感情もなくなる。今までのいらつきや緊張はなんだったのだろうと改めて思う。あの朝の殺伐とした、やれ肩が触れた、やれ押したというだけで喧嘩になるラッシュはどこの国の話なのか。
しかし例えばドッグランで出会う人も、スーパーで出会う人も、実は首都圏から来ている人だったりもするわけだ。日常生活でなければ、自然の中にいるというだけで、のんびりした性格に変わることができるのか。都会は狭い地域に大勢の人がいて、お互いに触れないように注意していて、それで細かいルールや暗黙のルールもできていて、ヘッドフォンやスマホで自分の世界以外はかかわらないように、そして迷惑かけないように、緊張して生きているのかもしれない。自然の中にいると、人と人との物理的な距離ができ、その間に自然の風が入ることで、余裕が生まれるのかもしれない。

人は自然に包み込まれていると本来ののんびりした時間軸に戻れるということかな。これまでと違って時間の流れが本当に心地よい。

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