父、暴走して、母に捨てられる。
父の電話は3回に1回しか出ない。
とにかく、面倒なことが多い上に、くだらないことばかりだからである。
たとえば、天気について永遠と語る…
たとえば、今、テレビで面白い番組をやっているからすぐ観なさいと言う。
たとえば、自分が渡した骨董品を返せと言ってくる…などである。
その日、夜10時を過ぎた頃に電話が鳴った。
そんな遅い時刻に父から電話がかかってくることは珍しい。
いつも、早朝か、昼間が多いからである。
何ごとかあったのかと思って、1回で出た。
すると、やけに丁寧な父の言葉。
「この度、お父さんとお母さんは離婚をすることにしました。色々と迷惑をお掛けしましたが、今後ともよろしくお願いします。子どもたちもみんな成人したので、それぞれにがんばってください」
同情してくれと言わんばかりバカ丁寧な言い草に、私はあえて、そっけなく答えた。
「あ、そう。わかった」
一言で電話を切って、すぐさま母に電話を掛けた。
母は、私の電話に待ってましたと言わんばかりの早さで通話口にでる。
母は、あまりの腹立たしさに、
「もう離婚する!」
と、言い捨て、海沿いの道を車で30分ぶっ飛ばし、赤橋の街の実家に戻っていた。
離婚します報告があったことを告げると
「そうよ、もう離婚よ!」
と、母はプリプリと怒っていった。
理由を聞くと、ものすごくくだらない理由だったことがわかり、唖然とした。
父が凝っている骨董品にまつわることだった。
古い看板を何百枚、何千枚と集め、家の外壁はもちろん、屋根まで全部をそれで埋め尽くしたいと言い出したというのだ。
イメージは下記のようなものである。
この構想を聞いた母は激怒したのだ。
「冗談じゃない!家の中ならともかく、家の外にそんなものを張り巡らせたら、私はいい笑いものよっ!」
と、家を飛び出したというのだ。
たしかにわからなくもない。「バラのアーチを作るのよ」などと、毎年欠かさずバラを育てていた母だから……。
しかし、もう充分に笑いものの妻だったはず、そんなことくらいで…と思った。
今まで散々、離婚する理由はあったのだ。母が赤橋の街の実家へ帰ったことも何度かある。
「子どもがいなかったら離婚してた」
などと、母が言ったときは、妹と二人で、「今からでも遅くない!」
と背中を勢い良く押したはずなのに、変な所で踏ん張り続けた母が、なんでまたそんなくだらない理由で離婚するのだろう…。
たしかに、少々 反対したくらいでは父は看板屋敷計画を実行するに、違いない。しかし、それは離婚するほどのことなのだろうか…。
しかし、もう父と母が決めたこと、喜んで離婚していただきたいと思った。
突然、出戻ってきた高齢の母に、超高齢の祖母は嬉しそうだったという。
いつまでたっても母と娘の関係はそういうものだと思うとちょっと微笑ましい。
それからしばらく、父は私に探りを入れるために しょっ中、電話を掛けてきた。
しかし、特に用事もないため、毎回同じことを繰り返すのである。
「お父さんとお母さんは離婚することにしました。色々ありましたが、今後ともよろしくお願いします…」と。
妹に連絡を取ると、同じように父から電話が掛かってくるのだと、「早く離婚したらいいのにねぇ」と、ケラケラと笑っていた。
そして、父もわかっているだろうと、妹も私も、母の居所は知らせなかった。
しかし、待てど暮らせど父は看板を買い漁る様子がない。
負けたのだ。看板より 母を選んだのだ。
看板を張り巡らせた家をちょっと楽しみにしていた私には期待外れだった。
一週間あまりの家出から母がシラっと家に帰ると、父もシラっと出迎えた。
あれから数年、母や妹と集まると、いつも男運のなさをこんこんと話すことになる。
そして、離婚しなかった母は言う。
「ここまで我慢したのだから、もとをとる」
母の言葉の横で父はウシシシシと笑って言った。
「ワシ、お母さんに捨てられるところやったの」
そして、私と妹の間で、父の電話には5回に1回出るという暗黙のルールが作られることになっていくのだった。
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