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短編小説 | 女子校生

 カーテンから差し込む朝日が眩しくて目が覚める。目覚ましが鳴る数分前に瞼を開いてしまった。なんだか勿体なくて朝から気分が下がる。毎朝みんなが同じアラーム音で起きていると思うと不思議な感覚になってしまう。みんなスマートフォンに入れられた初期設定の音で起きてるはずだ。小学生のときに買い与えられた目覚まし時計はキャラクターものでものすごく煩かった。今の音は個性がない。

 サーモンピンクのシーツの上で眠たい瞼を開け、ゆっくりと体を起こす。充電器に繋いであるスマートフォンはきっかり朝7時に鳴る。それを無意識のうちに指先で止め、すぐさま次の行動に移る。
 SNSのアイコンをタップしタイムラインを眺めた。現代文のテストではマイナスもつきそうなぐらいの言葉の羅列が濁流のように流れてくる。140字にぴったり収まる文字たち。すべてを見るのはほぼ不可能で流作業でいいねを押していく。別にいいねと思わない呟きにいいねを押す理由は偏に見たよ、と伝えるためだ。心がすり減ったとしてもハートマークを赤く塗りつぶす作業をしなければ現代社会では生きていけない。
 朝の光がカーテンを通り抜け、ベッドに差し込んでいる。それでも眼を突き抜けるのは大量の情報だけだった。

 私たちの命がスマートフォンなら、充電器は命綱。コンセントと充電器、そしてスマートフォンを繋げば私たちは栄養を取らなくても生きていける。
 充電器を無造作にぶちりと毟り取り、ベッドから這い出る。充電満タンになったときの充電器ほど邪魔なものはない。
 不意に床に落ちている長い髪の毛に視線が行く。それは鏡の前に落ちていた。抜け落ちる髪の毛は若さの象徴だ。脇毛を剃り、眉毛を抜き、永久脱毛に出かけ、毛を苛め抜く。それでも髪の毛だけはケアを怠らない。
 鏡に映る私はいつだって幸せそう。完璧だ。肌の調子は抜群。でも油物を食べればニキビはできる。食べれば太るけど少し運動すれば体重は元通り。すべて若さの特権。ベッド傍に置いてある体重計にそろりと乗ってみれば、昨日よりも0.1kg減った数字が表示される。

 よし 今日も私は正常です

 値段の高い洗顔料を使って顔面を綺麗に整える。眉毛を整えて、唇を艶々に潤ませて、髪の毛を巻く。朝食を食べず厳しい体重管理をする。スカートをほんの少し短くして短い靴下を履く。肌なんか見せちゃうけど、やっぱり美しく見えるのは姿勢がいいときだ。姿勢を正して、そしてSNSの波に乗る。

 身支度を整え、リビングに足を運べばダイニングテーブルに健康的な朝食が並んでいた。オレンジジュースに食パン、ベーコンに目玉焼き。ランチョンマットの上に綺麗に並べられたそれら。ダイニングテーブルの椅子に座る父親は新聞紙に目線を向けている。いつもの朝だ。テレビの中の気象予報士がはっきりと情報を口にした。「今日は一段と暑いでしょう。紫外線対策を忘れずに」

 女子校生は紫外線に負けません 
 夏物のセーラー服は最強です

 「おはよう」を誰かに言い、「行ってきます」を誰かに言う。返事は返ってこない。いつものこと。今朝はなにを食べたっけ? まぁ、いいや、なんだって。ご飯の味に幸せを感じるよりそれが腹の肉になる恐怖の方が強いのだ。ほら、アイドルだって言ってる。今日なに食べた? なにも食べてない。
 足に馴染んだローファーはしっかりと履きじわができている。茶色のそれに足を突っ込み、玄関に備えつけられた鏡を一瞥する。長方形の鏡。一辺の長さを求めなさいとテストに出てくるような図形の中に私は存在した。価値あるセーラー服を着て。

 今年の春、女王Aは死にました

 
 どれだけスマートフォンに釘付けになっても姿勢は正しくするのが美しいというもの。二重アゴなんて絶対に作らせない。
 電車の中はいつだって臭い。朝のラッシュは他人の汗の匂いと他人の口臭が混在していてまるで地獄だ。それでもその他人に好印象を持ってもらうためにシャンプーは香りのいい物を。他人との距離は指を動かせるだけのもの。誰かの指が器用に動き、私のお尻を触る。眉根に皺を寄せながらけれどなにもしない。世の中は痴漢に声を上げる女を嫌う。冤罪だなんだ、とSNSに上げられたら面倒だ。私は無視を決め込んでSNSをスクロールした。ある呟きが目に飛び込んでくる。まるで私が投稿したかのような言葉だった。

〈痴漢うざ〉

 フォロー外の知らない誰かの言葉。こんなたわいもない呟きが自意識過剰だ、とかに変換されてしまう場所がSNS。だが、実際に今、私のお尻を揉む指先を感じるのだから自意識過剰ではなく事実なのだ。知らない誰かの呟きにいいねを押したくなった。押さないけど。知らない人だし。FF外から失礼しますは面倒臭い。
 私は電車の揺れに身を任せ文字を打つ。

〈今日って体育あった?〉

 さぁ、最短記録に挑戦しましょう
 1、2、3

 数秒するとまるで改札口を出る人だかりのように沢山の返信が飛んできた。よく知らない誰かが私に体育があるのを伝えてくれる。丁寧に何時間目かまで教えてくれた。
 アイコンを変えられると誰が誰だかわからなくなる。気分で変えるのはやめてほしい。そんな薄っぺらい友情で繋がるバーチャル世界。

 今の時代どこにいてもすべてと繋がっています

 感謝の言葉を呟く。ひとりひとりに返事はしない。だって全員に返信していたら日が暮れる。二重アゴが心配になった私はスマートフォンを鞄に仕舞う。
 誰かの指が下着のラインに触れた。この手を掴み、痴漢だと叫ぶ。運がよければお金がゲットできるかもしれないらしい。この指に私の下着の繊維が付着していれば勝てるかもしれない。小遣い稼ぎ。それも悪くないけれど私たちの価値はお金じゃない。十代の価値あるお尻。仕方ない、触らせてあげよう。

 電車を降りれば声をかけられた。同じ重みのセーラー服を着て普遍的なスクールバックを持つ女の子たち。いつめん? 安定? 私たち永遠?

 少女A、少女B、少女Cは私の大切な友達です

 「おはよ」と元気よくかけられた声に私はゆっくりと唇の端を持ち上げた。「おはよう」と同じように告げ、「ジャージ忘れたー」と言葉を続ける。返ってきた言葉は当たり障りのない記憶にも残らないものだった。
 言葉を使うのが嫌だ。考えるのが面倒だから入力したら続きの文字も自動で出てくるようにして欲しい。都合の悪い言葉は後から削除できて、水面下で話せるダイレクトメッセージも欲しい。既読機能は要らない。災害なんて起こらない。

 既読スルーはただの人災です

 新しいリップクリームで作られた艶やかな唇とニキビのない頬が私たちの階級。校則を守れない人たちはかなりイタイ。髪の毛は艶々な黒髪が基本。傷んだ枝毛だけの金髪にいいねはつかない。ありふれた思春期のありふれた強気はクールじゃない。水面下にある階級。水面下にある派閥。水面下にある区別。

 女王Aは失踪中

 ゆっくりと階段を上がる。女王Aを失脚させた私は教室の中で階級が上がった。少女Aと少女B、少女Cを引き連れて階段を登っていく。一段、一段を大切に踏み締めた。そして教室に足を踏み入れる。
 教室を水槽だと言う人間がいた。寄せ集められた魚。どうにか息をしようともがく魚。同じ方向を向いて整列している。教室を天国だと言う人もいた、地獄だと言う人もいた。私は戦場だと思う。死んだ者から席が空いていく。席はまるで墓石だ。死臭さえしないそれにおはようと挨拶をしていけば返ってくる挨拶。墓石はやまびこを作り出すらしい。
 1時間目の授業に間に合うように戦闘服を身につけ、登校する。みんな死なないように必死だ。そして殺そうと必死だ。

 今日の敵は明日の味方 今日の味方は明日の敵

 女王Aの墓場は献花が手向けられている。机には菊の花が花瓶に入って置かれていた。私は命令していない。誰かがしたのだ。女王Aの席の周りは不自然に空間ができている。遠巻きに眺める多数の視線。人と同じことをするのは嫌と話していた女王Aは確かに今、みんなと違う道を歩いている。そういえば女王Aって誰だっけ?

 教室は「おはよう」と「宿題やってない」が交差する。言葉を口に出すよりスマートフォンに文字を打ち込む方が簡単だ。言葉を発するより先に指を動かす。

 少女Bが昨晩の月9ドラマを語り出す。主演俳優がカッコイイどうのこうの。私は相槌を打ち同意した。ドラマの内容なんてこの際どうでもいい。この場でのドラマなんて会話をするためだけに存在するコンテンツだ。不特定多数のために描かれたドラマに共鳴することなんてできないけれど余裕があればそんなのは「カッコイイよね」と受け流せる。話題のドラマはもうすでに配信に来ているだろう。手のひらの中で簡単に観られるけれど、私はどうせ観ないだろう。興味なし。今の時代、手のひらに収まるスマートフォンでなんでもできる。時間がいくらあっても足りない。だから取捨選択は大事なのだ。

 ここは嘘つきが集まる場所 まるで仮面舞踏会

 朝礼の時間がやってくる。先生が出席者を確認していく時間になるだろう。それは敗北者を晒し者にする行為だ。先生は毎朝飽きもせず死亡者の名前をリポストする。毎日同じ呟きをリポストすることって嫌われる行為だって理解しているのかな。
 生徒たちが教室に集まってきた。青春という今しかない瞬間を楽しむ時間。青春を謳歌するためにクラス内のデスバトルが勃発する。ここでは生き残るしか選択肢は残されていない。起立、礼。たったその数文字。そんな号令より先にバトル始まりの合図は出されている。

 ……ツマラナイ。そんな言葉を吐き出した。ほとんど無意識だった。隣にいる男性は「そんなこと言うなよ」と呟く。彼の声はこんなに低かっただろうか。

 他人の墓石の上でお弁当を広げる。他人の墓石の上で自撮りを始める。スマートフォンを置いてダンスなんか踊ってみる。そんな昼休みを取ったら体育だ。でも私は今日ジャージを忘れた。
 そんなときに先生に呼び出された。先生との秘密の関係が一年続いている。私は学校でこれしか楽しみがない。鍵のかかったよく知りもしない教室に忍び込んで数分先生を待てば、隣に男性が立った。
 体育をしていないのに汗で背中に張りついたセーラー服が気持ちが悪い。埃臭く、汚い床。乱雑に積み上がった本、古びた机。その上での性行為に憧れがあった。教師との淫らな行為。みんな刺激が欲しいのだ。そして早く処女膜を捨てたい。

 処女なんて醜い! 処女は蔑まれる!

 教室で仲間と青春を分かち合う。けれどみんなより先に手に入れる処女喪失の優越感は絶品だろう。それでも先生は私に手を出さない。つまらない。でも他の楽しみがあった。

 使い過ぎて足が擦れ不安定な机と椅子。窓際に置かれたそれに座って空を眺める。暑い。夏の日差しが照りつける。がたり、がたり、音を立て机が左右に揺れる。健康的な青空と微かに耳に響く蝉の鳴く音。それに身を預けた。SNS映えしそうだ。今の世の中なにをするにも一番先に考えるSNS映え。優先順位の高いそれ。夏はSNS映えする。窓から見える青空はたまらなく刺激が強い。誰かが今日は紫外線が強いと言っていた気がする。

 隣に立つ現代文の先生が授業中よく「ここテスト出るぞ!」と叫んでいるのを思い出す。この先生との行為が赤点になるということは十分に理解していた。でも生徒と教師のセックスより問題じゃないから見逃してほしい。

 すべて若さのせいなんです

 授業のおかげでSNSは静かだ。座学のとき誰かひとりは無謀に呟く。投稿内容はつまらないけど、授業中に隠れてSNSができれば教室内でちょっとした話題になる。授業後のたった3分程度、先生を欺いたと有名人になる。たった3分程度。でも話題の中心であることに変わりはない。

 私は先生と秘密の関係にあるが、別に彼を好きだということではない。ジャージを忘れただけでズル休みが好きだということもない。両親は不仲、私をあまり大事にしない親だが家庭環境は悪くないし、クラスでいじめられてもいない。成績だっていい。だけど、とにかく空っぽなんだ。好きなアーティストのライブに行ったのに波に乗れなかったぐらいの強い孤独を感じる。ひとり蹲りたい気持ちになる。この気持ちは誰にもわからないだろう。

 孤独だ、とポストする? するわけない

 開けられた窓。夏の光を通し、ひらひらとなびくカーテン。目に見えるのは美しいものだけ。久しぶりに空を見た気がする。こんなに味気ない色だとは思わなかった。いつだって空は狭くて加工されている。狭い。すっごく狭い世界だ。友達のそのまた友達、元彼の元彼女、SNSを辿っていけば誰とでも繋がれる。何者にでもなれる。誰にでも会える。そんなグローバル社会なのに狭い。目線の先には切り取られた世界がある。窓枠のおかげでアスペクト比4:3の画像のように見えてしまう。その先には雲が浮かぶ青い空。窓の外からは青春の香りがする。すべてが青くてきらきらしている。でもSNSで見るものよりとてもしょぼい。無加工だ。色褪せて見える。
 この空を飛ぶ人間は多分いない。みんな知っている。空を飛んで地面に落下したら、その次はSNSに写真付きで投稿される。

 そろそろ授業が終わるころ。教室に戻ったら制汗剤の強い匂いが待っている。若者をターゲットにした甘い香りの制汗剤は一昔前仲のよい友達同士でキャップを交換することが流行ったらしい。甘い香りの制汗剤。スクールバッグにその制汗剤だけでなく、制服姿の女の子たちがCMをして話題になるスポーツドリンクなんて入れてみたらなお最高。

 私の名を呼ぶ先生の声が蝉の鳴き声とともに耳に入ってくる。「ここ閉めるから」と言う先生を瞳の中に閉じ込めた。私はセーラー服のスカートをなびかせ、椅子から立ち上がる。ぎしり、椅子が軋んだ。その瞬間に埃がきらりと舞う。窓に背中を向けて部屋をゆっくりと歩く。暑い日差しは教室に濃い影を作り上げる。くっきりと濃い影の中に足を踏み入れると、鮮明に見える世界。

「次がほしい」
「わかった」

 手渡された紙幣を若さの象徴であるスカートのポケットに忍ばせる。体が汗臭い。あとで少女Cに制汗剤を貸してもらおう。

 クラスメイトは誰も私が先生とこんなことをしているなんて知らない。誰も知らない。興味がない。みんな140字さえもきちんと読んでいないのに、現実までしっかりと見るわけがない。
 私は先生に言われ教室を出た。一歩外に出ると身体がひんやりと冷えた気がする。教室に鍵をかけながら先生は私に問い掛ける。「進路は決まったか?」そんな教師らしく尋ねる言葉に少しだけ眉を寄せてしまう。私の表情を見た先生は小さく笑い、「まだか」と呟いた。私は軽く笑みを浮かべ、先生から離れる。そしてゆっくりと階段を上がっていく。
 SNSは今何をしているか、ということを呟く場所だ。SNSが盛んな現代社会は今を大事にしている。未来なんて考えられない。
 ポケットにはスマートフォンともらった紙幣が入れられている。階段を上がりながらスマートフォンを開いた。SNSのアイコンをタップする。5分前に見たそこは相変わらず同じまま。少女Aの推しの話題以降、なにも動いていない。つまらない。

 他人の汗の香りがする教室に足を踏み入れた。そこには教科書で顔を扇ぐ生徒たちがいる。男子に「サボんなよー」と気軽に話しかけられ私はへらりと笑った。そして私の名を呼ぶいつものメンバーの元に足を進める。甘い香りがする。制汗剤の香りは青春そのもの。多種類の香りが混ざりに混ざったそれはこの言葉に当て嵌まる。みんな違ってみんないい。私は少女Cに「貸して」と声を掛けた。貸してもらった制汗剤で彼女らと同じ体臭になる。
 みんな違ってみんないい、と言いながら他者と違う者を嫌うのが教室というものだ。これも若さの特権だろう。

 さぁ、次のいじめのターゲットは誰にしようか

 先生に紙幣を渡されたのは高校1年生の秋だった。文化祭の準備中に声をかけられたのだ。柔和な眼差しを持った三十路の現代文の先生は女子たちの憧れの的で、告白をして玉砕したという女の子が数人いるのを聞いたことがある。
 柔らかな笑みを携えた高身長な彼に呼び出された私はなにを叱られるのだろうか、と考えながら頭の中で課題の提出をきちんとしたことを思い出していた。通された進路指導室、差し出された紙幣、そして耳を疑うような言葉。

 
 誰でもいいから休学になるくらい誰かをいじめて

 
 穏やかな笑みを浮かべる先生から吐き出されたドス黒い言葉に恐怖を覚えながら、けれど私の頭の中に気に入らない人間が姿を現す。クラスのトップ、女王だ。
 私は彼女の側近だが、いつも彼女のご機嫌取りの駒だった。腹が立つ。嫌いな女だ。そんな女をいじめられる。そしてその見返りにお金がもらえるなんて、なんて幸福なことなのだろうか。目の前に軽やかに落ちてきた快楽に私は逡巡することなく頷いた。紙幣が私の手の中に入る。そのまま先生は「期待している」と笑いながら消えていった。

 それから私はありとあらゆるいじめを女王に仕掛けた。手始めに裏アカウントで彼女の悪評を広める。私は彼女の側近として彼女の悪癖を知っていた。たまに万引きをしていることや、彼氏を持ちながら二股していたことなど。
 SNSの長所はたった一雫の情報を投下しただけで、それに尾鰭がついてひとり歩きすることだ。目を離した瞬間に雪だるま式に巨大な悪口になる。まぁ、短所でもあるが。
 そんな膨大に膨らんだ悪口に女王が気付かないわけはなく、次第に顔色が悪くなっていったのを覚えている。そのうち物理的ないじめに発展していく。そのころには水面下で彼女をいじめるグループができあがっており、私が手を下さなくてもところ構わず彼女へのいじめができあがっていた。ベタだが無視はとても効くことを知った。彼女の物が無くなることは日常茶飯でそれがゴミ箱から発見されるのも常だった。彼女はクラスの女王という立場から完全に墜落し、孤立した。1年生をどうにか耐え抜いたようだが、結局春休み以降クラスに顔を出すことはなくなり失踪。

 私は彼女を痛めつけた数ヶ月で先生から莫大なお金をもらった。そしてそれは高級ブランドバッグに変身した。2年生に上がると女王の側近だった私は女王Bとして玉座に座る。

 先生がなぜ誰かをいじめることを私に頼んできたのかはわからない。訊いたこともない。訊く必要はないと思った。教師から金をもらい、同級生をいじめてるだなんて大問題であり、彼にどんな理由があれど私はなにも理解することはできないと思ったからだ。私たちの思春期特有のセンチメンタルと同じ。教師だってなにか憂さ晴らしをしたいのだろう、そう感じている。ただ、嫌いな女を目の前から消せた。そして金が手に入った。そのメリットだけを実感したらいい。

 そんなことを思いながら放課後にひとり廊下を歩いていた。階段を上がりながら先生が望む次のターゲットを誰にしようかと考える。最近調子に乗っている少女Bをターゲットにするのはどうだろうか。女王Aを積極的にいじめていたのは彼女だ。自らが手を下していただけに女王Aが失踪したことを自分の手柄だと勘違いしている。彼女は少しその毛がある。自分中心に世界が回っていると思っている節があるのだ。別に彼女に憤慨はしていないが、目障りではある。先生が望むなら彼女をターゲットにしてもいい。

「え、」

 そんなときだ。目の前を見知った後ろ姿の女性が通過した。柔らかそうな髪質のボブカットをふんわり揺らしながら歩く女性。女王Aが廊下を歩いている。失踪する前は虚でおぼつかない足取りだった彼女は今や軽やかに学校の廊下を歩いているのだ。なぜ? という困惑と玉座を奪われる焦りに駆られる。健康そうに微笑む彼女はあるひとりの男性の隣に立った。その男性は私の金銭援助者だった。現代文の先生は柔らかな瞳で女王Aを見つめていた。

 こいつら相互フォローだったのか

 殺意が芽生える。私の居場所を簡単に奪っていく女王Aが嫌いだ。私だって女王になれる素質があるのに、いつだって話題の中心はあいつで、あいつはそれをさも当たり前だと言わんばかりに享受している。自分が崇められるのは当然だという素振りが腹立たしかった。そんな女が私が秘密の関係で繋がった男と一緒にいる。死んでほしい。殺したい。目の前から消えてほしい。私の人生から抹消したい。そうやって奥歯を噛み締めていれば、ふたりはとある空き部屋に入っていく。嫌な予感がした。女の勘だ。

「……ま、っぁ、せぇん、せ」

 部屋に近付いて建てつけの悪い扉の隙間から中を覗いてみる。猫撫で声をあげる女王Aがそこにいた。頬を紅潮させ、セーラー服のスカートの形が崩れる。
 悪いことをすることは若さの象徴だ。みんな刺激が欲しいから、馬鹿みたいなことをする。他者より先に大人になりたくて、だから……。頭ではわかっていても腹立たしさの方が先行する。私より先に処女を失ったこの女が憎たらしい。なにをするよりも私より先。こいつはそういう奴なんだ。

「かぁ…ぎぃ、しめ、て…」

 ……しね! 死ね! 死ね!

 私は若さの象徴である制服を脱ぎ捨てた。明日のためにハンガーに制服をかけるのは忘れない。鏡に映る自分の姿を確認した。前髪を上げて顔を整えていく。生まれ持った二重に似合うアイラインを引く。大人をターゲットにしている化粧品で顔を整える。安価で真っ赤なリップは子供っぽい。少しだけシックな濃いめの色を唇に乗せた。もちろん、すべて先生からもらったお金で買ったものだ。校則にバイト禁止がある学校だけど、親からもらう少ないお金では生きていけない。世の中は思春期の女の子はお金がかかることを知った方がいい。お金が無ければ教室内では生きていけない。だから私はいじめをする。お金が手に入るから。私は稼いだお金で買った高級ブランドバッグにデパコスが入っている化粧ポーチと稼いだ紙幣が入る財布を投げ入れた。

 玄関にはヒールの高い靴が置いてある。学校に履いていっているローファーを乱暴に足で玄関の隅に寄せそのヒールのある靴を履く。あ、香水つけてない。そう瞬間的に思い出し、バッグから取り出した香水を首に吹きかけた。

 母は夜に外出する娘になにも言わない。気付いていてなにも言わないのだ。リビングからはテレビの音が聞こえてくる。どうせバラエティ番組だろう。母は無難な人間である。ただの専業主婦。このグローバルでフェミニズムな社会なのに外に出ようとしないただの人間だ。戦う気のない人間。不倫ぐらいしてくれたほうが魅力的。暇を持て余した彼女に付き合ってリビングにいてあげるほど私は腐ってない。腐った人間が大人ってやつなら私はなりたくない。

 母の墓石はリビングにある

 父はそんな墓石に興味さえないみたい。夜まで働き、ただ家にお金を入れる。それだけの人間。父は社会の奴隷である。

  クールな冷たい家族でしょ?

 私はかつかつと存在を示すように玄関をヒールで踏み鳴らした。長方形の鏡の中には美しい私がいた。私は行ってきますを言わないで玄関を出る。金銭援助者に腹が立っていた。数時間前に見たあの光景に苛立ちが止まらない私は少女Aたちに声をかけ、遊びの約束を取りつけていた。

 今の世の中遊びの延長線にクリエーションがある。SNSの発達で誰でも何者かになれる時代がきた。楽器をはじめた高校生がSNSに弾き語りを投稿しミュージシャンらに発見され認められ、世に出るなんてことが簡単に起こる世の中だ。スマートフォンに搭載されたカメラで写真を撮り、動画で自己表現をしている我々世代は誰だってアーティストなのだ。
 だから夜に出かけることもただ遊ぶだけじゃなくて、目的があって外出していた。最近SNSで知り合った他校の女の子がイラストの個展を開催するとのことだった。彼女単体ではなく、数人で場所を借り個展を開いたとのことでこういう場所でコミュニティーが広がっていく。世界は変わった。美大に行かなくてもイラストで食べていける人間がいる。年齢の壁は取り払われ、実力とフォロワー数で仕事をもらっている人間がいる。誰にだって投げ銭を送れる。

 SNSで知り合った少女Dに少女A、少女B、少女Cを紹介した。挨拶もそこそこに流れる動作で飲み物が提供される。少女Dは「額に入っているから気にしないで。データはあるから汚されても大丈夫だし」と自らグラスに口をつけた。その言葉に私たちも蒸し暑さで渇いていた喉に水分を伝わせる。なにを間違えられたのか口に入ってきたのはアルコールだった。別に指摘する必要はない。無料で提供されるものだ。お金を払っているわけじゃない。だから私たちは目を合わせながらもそのままお酒に口をつけつづける。

「写真撮ってもいい?」
「もちろん! 是非拡散して」

 少女Bが少女Dにそう訊く。訊く必要のない質問だ。この個展ははじめから写真撮影を可にしているし、第一この個展は写真を撮られることがメインなのだ。写真とハッシュタグ、タグ付けを狙った展示会であることは明白であった。拡散、拡散、拡散。数多情報が溢れる世界、知られることが大切。それが大前提なのだ。
 スマートフォンを少女Bがかかげた。自撮りをする体勢になった少女Bの周りに私含め4人が集まる。少女Bが一番輝く角度で持たれたスマートフォン。お酒だけが見えないように少女Aと少女Cが頬を寄せた。ギリギリ少女Dのイラストが入る位置での写真撮影。肌が綺麗に見えるエフェクトがかかったレンズは写真上で少女Dのイラストの色味を変化させているだろう。消したいものは消す。それがニキビであろうと映り込んだ人だろうと変わらない。私たちが綺麗に写ればそれが一番だ。多少世界が歪んでも色味が変わっても気にしない。だってほら、昼間見た無加工の空は味気なかったでしょ。それと一緒。

 少女Aとデジタルイラストを見ていればスマートフォンが手の中でぶるりと震えた。少女Bがさっきの自撮り写真をSNSに流したらしい。通知にはあなたをタグ付けしましたという文字が並んでいる。開いてみれば最高に輝く私たちがそこにいる。私たちの煌びやかな瞬間を色んな人が見ていいねを押していく。こうして拡散されていくダイバーシティ。最高に楽しい。
 同じ写真がまた違うSNS上にあがる。親しい友人限定に写真を見せられる機能を搭載したSNSに「無料のお酒出してくれたー」という小さな文字付きで投稿されている。友達のアイコンが緑色にひかると少しだけほっとするのだ。少なからず私は誰かの親しい友人なのだという安心感を抱ける。

 不意にそのSNSの投稿を眺めていれば女王Aのアカウントを見つけてしまった。いまだ相互フォローだが、親しい友人からは外した。多分少女Bも同じだろう。だからこの場所でのこのやりとりを女王Aは知る由もない。
 私がいじめを仕組んでから女王Aのアカウントは動いていなかった。だが今晩は違うようだ。24時間で消える投稿がされていた。開いてみる。数時間前の投稿だった。無加工の足元の写真だ。たったそれだけ。でも女王Aが身につけているものは学校指定の靴下とローファーだった。これは返り咲きを意味していた。生唾を飲む。

「ねぇ、見た?」

 そんな140字よりもはるかに短い言葉を落とした少女Bはスマートフォンを手にしながらこちらを見つめてくる。なにを意味しているかは明白であった。

「見た」

 この数文字にいろんな感情が乗っている。あぁ、いやだ。やめてくれ。気分を下げるようなことしないで。今最高だったのに。言葉にしたらこれくらいだけど、その中に誰にも言えない残酷な感情が沈澱している。腹が立つ。焦る。殺したい。やめて。

 24時間で消える機能は閲覧履歴が残る。だから女王Aも私たちの存在に気付くだろう。閲覧履歴が見たくなければ通常投稿にしたらいい。あえて狙ってこの場所での投稿なのだろう。まるで戦線布告だ。

「どうするの?」
「どうしよっか」

 この言葉の意味を受け取れないほど少女Bは馬鹿じゃない。

「どういうこと?」
「どういうことって?」

 質問を質問で返されたその瞬間、窓の外にある空に浮いている雲から鳥が1匹出てきた。それを眺められるくらいには冷静だった。入道雲はまるで綿あめみたいな形をしている。先生の背後にあるそれを見つめながら会話を続けた。

「昨日の放課後のこと」
「……あ、あー。言ってなかったっけ?」

 一瞬どのことか判断できないというような素振りをしたが、瞬時に理解したようで軽く頷く現代文の教師。クズ教師はテストの丸つけをしているようで私に目線も移さない。解答用紙を眺めながら軽やかに赤色を躍らせる先生は同じように軽く口を開いた。

「弱った女の子が好みなんだ」
「……」
「青ざめ不穏な顔付きをした女の子に大丈夫か、と優しく声をかけ、ガチガチに固まった防衛を解きほぐす。そんな女子校生とする⚫︎⚫︎のが好きなの。その子を社会復帰させるのも好きだね」
「かなりの変態でキモすぎる」
「その変態に金をもらっているのは誰?」

 きゅ、ッと赤ペンが解答用紙にチェックマークをつける。バツ印であるそれがまるで今の私を表しているようで居心地が悪かった。先生の語気の強い言葉がどちらが優位であるかを物語っている。証拠ソースがないこの状況で先生の行動を非難する私は危ない橋を渡っているのだ。だからってこのゲームの主人公があの女であるなら私はこの会話から簡単に退場はできない。あいつが主人公だなんて許せない。

「君は私を非難するが、君の立場が危ういことはわかっている? 私の証拠はなにひとつないけれど、君はIPアドレスを調べられたら一発だ。そのまま開示請求。彼女が望めば裁判」
「…っ、先生に脅されたって言う」
「冗談だよね? 世間が十代の子供と三十路のおじさんのどちらを信じるのかなんて君にもわかるだろ?」

 先生はようやくこちらを見上げた。軽蔑したような視線を寄越す。普段穏やかな表情を持つ人間が浮かべるそれは腹の底を握り潰されるような恐怖感を私に植えつけた。
 頼っていた若さの特権はデメリットに早変わり。若さの前では太刀打ちできないなにかがあって、若さはただの愚かしさだと知る。フォロワーは買えるが年齢はどう足掻いたって購入できやしない。

「君がこてんぱにいじめてくれたおかげでとてもいい経験ができたよ」
「…、先生。お願い。あの子はやめて。教室に戻らせないで」

 強気であった私の言葉はわずかに震えていた。わずかどころではない。震えに震えており、絶望が背中を滑り落ちていた。私の玉座が奪われる。私の存在が消え去られる。女王Aが戻ってきたら、私の反乱など忘れられる。

「私は誰でもいいと言った。彼女を選んだのは君だ」

 私が彼女を選んだ。その事実は私を泥濘の底に突き落とす。私が死ぬか、彼女が生きるか。国に女王はふたりもいらない。どちらかが死ぬまでの殺し合いだ。メアリー・シュチュアートとエリザベス1世の争いも最後は片方が片方を処刑した。斬首だ。

 結局私はなにも成果を上げられずに先生から離れた。空き教室から出て廊下に備えつけられた窓に背中を押しつける。かきん、金属バットに球が当たる夏らしい音が聞こえてきた。健康的なその音を体内に入れながら、けれど私の外側は不健康に冷や汗をかきはじめる。毛穴からぶわり、と汗が滲み出るのだ。その汗が下着を汚していく。
 冷静さを維持するように暗示をかけていたが、昨晩は眠れなかった。暗に少女Bにいじめを続けようと話したがそれがうまくいく確率を考えはじめたとき恐怖を抱えた。自宅に帰り、ベッドに潜り込んだ瞬間、熱帯夜のくせに足先が冷えるのを感じた。
 女王Aは女王になったときから自分に自信があった。女王になったから自信がついたのか、元々素質があったのかは判断できない。卵が先か鶏が先かは知らないが、彼女には絶対的な自信が備わっていたのだ。それを失わせたことが私の勝利に繋がったが、彼女がその自信を自らの力で立て直したのであればそれは脅威に繋がる。一度折れた骨はより頑丈になると言うだろう。それだ。
 いじめを行なった事実が公になることよりも玉座を奪われることの方が恐ろしかった。努力して手に入れた場所だ。

 スマートフォンを取り出す。女王Aの24時間で消える投稿を眺めた。やはりそこには足元の写真が投稿されていた。そのとき不意に気付く。その次に新たな投稿がされていることに。心臓がビートを刻む。BPMが早い。最近の流行りの曲に負けないBPMだった。

「っ、」

 制服姿で少女Aと写真に映る女王Aがそこにいた。女王Aは少女Aをタグ付けしている。これがどんな意味を持つのか判断がつかない。女王Aが無理やりに少女Aと写真を撮ったのかもしれない。それにたった24時間で消える投稿だ。けれどもこれが私に不利になるものだということは理解できた。そして気付く。少女Bの親しい友人だけが見られる投稿が見れなくなっていた。
 
 かきん、金属バットが野球ボールを打ち上げる音が鼓膜に届く。それがまるで銃声のように聞こえた。

 SNSのフォロワーはひとりも減らなかった。けれど、いつまで経っても少女Dの個展で撮った写真が投稿されることはなく、FFの子たちのアイコンが緑色に輝くことはなくなった。外されたのだ。指一本で親しい友人枠から外された。それと同じく女王Aのアカウントは活動的になった。元々5人でつるんでいた私たちは、今や私だけを外したグループになっている。少女A、少女B、少女Cは従える女王を軽やかに変えた。水面下で物事が動いた。日本の政治家も見習ったほうがいい迅速さだ。

 6時50分。最近はアラーム音が鳴るより先に目を覚ましてしまう。寝不足だけど寝られなかった。夜が怖いのだ。寝てしまえば明日が来る。
 7時、スマホの画面の上部からタイマーという文字が降りてくる。それを指で消せば現実が降りてくる。朝だ。学校に行く日だ。そんなことを考えながら流作業でSNSを開いた。これが自傷行為だということは十分理解していたけれど、確認しなければ気が済まなかった。すべて冗談であってほしいと願ってすべてのSNSを眺める。けれど、やはりそこには水面下での反乱が起こっていて、玉座から引き摺り降ろされた世界が広がっている。
 最近はエゴサをすることが増えた。フルネームで悪口が書かれていないかを必死に探す。出てくるわけないと知っているはずなのにだ。だってそんなものダイレクトメッセージか鍵がついた裏アカで行われる。

 私は充電器からスマートフォンを切り離す。充電は満タンになっていない。まるで今の私のようだ。
 怠い足先をベッドから出す。どうやら昨晩は制服のまま寝てしまったようだ。前日のままの姿が鏡に映る。価値あるセーラー服には皺がくっきりとついていた。この皺、シャワーを浴びている間までにどうにか取れないだろうか。これじゃ、十代の価値ある制服の価値がなくなる。
 鏡の前に髪の毛が落ちていることに気付く。毛は身体かは切り離された途端に気持ち悪さを発揮する。生えている毛と床に落ちている毛では触りたいと思う気持ちも変わってくる。私は落ちているそれを拾い上げ、ゴミ箱に捨てる。まるで今の私のようだ。女王Bの威厳たる姿の私は鏡の中に存在しなかった。あ、……ニキビがひとつできている。
 私は絶望を感じながら目線を逸らし、恐る恐る体重計に乗る。0.1kg増えていた。

 値段の高い洗顔料を使って、顔面をしっかり整える。身体を念入りに洗い、きちんと眉毛を整えて、たっぷり唇を潤ませる。時間をかけて髪の毛を巻く。いつもと同様に肌を見せてしっかり姿勢を整える。そしてSNSを閉じる。

 みんな知っている。多分、みんな知っているのだ。私がいじめの首謀者であることを。もしかしたら現代文の教師との関係も知っているかもしれない。私の両親は不仲で私を気にもしないとか、そんなことまで知っているのかもしれない。知っているけれど表立って言わない。みんな知っている。だって狭い世界だから。

 身支度を整えてリビングに入ればそこにはいつもと変わらない朝の景色が存在していた。母はキッチンにおり、こちらも見ようともしない。父も新聞に目を落としたまま。私だけが知る景色。若者だけが見える世界。私は両親から視線を外し玄関に立った。皺があるローファーを履く。スクールバッグが鉛のように重い。ローファーは履き慣れているはずなのに足先が痛かった。みんなこの恐怖を知っているのだろうか? 長方形の鏡の中、あのときの女王Aと同じ暗い顔をした女がいた。誰かに「行ってきます」を呟く。

 いつもとなにも変わらない電車の中。SNSのタイムラインもなにも変わらない。私のアカウントはそこに存在しているし、私は変わらず痴漢されている。でも今、痴漢がうざいと呟いたところでなにか返事がが返ってくるとは思えなかった。水面下で確実に変わった私の価値。たった数日ですべてが変わる。なにもかもががらりと変化していくのだ。それがダイバーシティというものなのだろうか。私はまたSNSを眺める。昔に撮った少々A、少々B、少々Cの4人での写真がしっかりとそこにはあった。アーカイブされることなく存在していた。

 それは確かに永遠でした

 みんな刺激が欲しいだけ。だからいつか私が映る写真はアーカイブに移動される。私という人間がつまらなくなるそのときに。
 ゆっくりと深呼吸をして窓の外を見つめる。勢いをつけ学校へ向かう電車。永遠に着かなければいいと願う。他人の体臭、口臭なんて気にならない。いくらでも乗っていられるから永遠に着かないでくれ。私がまだ女王Bだったころに見た空とまったく同じ色の空が窓から見える。この空を飛びたかった。ローファーが擦れ、靴擦れを起こしたように足が痛い。それを脱ぎ捨てて飛びたかった。
 どれだけ乗っていたのか定かではないけれど学校がある駅に着いた電車。いつもより乗っている時間が長く感じたそれを私はしっかりとした足取りで降りた。いつもとなにも変わらない。「おはよう」と声を掛けられ私は顔を上げる。少女A、少女B、少女Cはいつもと同じ表情でそこにいた。「おはよう」と唇の端を上げて微笑む。私はまだミュート無視の対象者ではないらしい。

 うまく笑えた 私は今日も正常です

 いつだってみんな匿名性を孕んで活動している。裏アカウントで戦っているんだ。みんな水面下で笑っている。そしてみんな他人を殺す凶暴性を持っている。

「おっはよー」

 女王Aが姿を現した。艶やかな髪の毛が揺れる。蒸し暑いのに彼女は汗ひとつかいていなくて、フローラルな香りが私の鼻腔を通り抜けた。少女A、少女B、少女Cが女王の周りを囲む。女王Aの存在にいいねが押されていた。そのまま流れる動作で4人が固まる。私は彼女たちの半歩後ろを歩く。
 私は少女Bがいつものようにドラマの話を始めるのを心待ちにした。電車の中で一通りネタバレを調べたのだ。今の私なら会話についていける。

 あぁ、アカウントを消すように死にたい

 死臭がする。私の身体から発生する死臭だ。教室内にふわり浮遊する私の死んだ匂い。教室に入るとすべての人と目線が合った。教室に訪れた一瞬の静寂。たったその1秒が私の体に虫を這わせる。死体に這うウジ虫だ。私がこの教室で殺されたのは明白であった。だって私の机の上に菊の入った花瓶が置かれているから。生唾を飲む。それでもどうにかおはようと挨拶をした。やまびこは存在しない。私は私の墓石に座る。
 お金がない。才能がない。勉強ができない。コミュニケーション力がない。家庭環境が悪い。教室ではそんなものは通用しない。言い訳なんてできない。ただ、生きていくしかない。そんなグローバルな教室。その教室で私は殺された。ただそれだけのことだ。

 私は菊の花が入った花瓶を机から下ろし床に置く。花の柔らかな香りが鼻腔を抜ける。鼻がつん、と痛んだ。涙が出るまえのあの独特な痛み。それでも奥歯を噛み締めて必死に耐えた。耐えるのだ。女王Aが君臨していたころに戻るだけ。

 教室に先生が現れた。相変わらず欠席者をリポストするが、内容は違っていた。女王Aが学校に登校したから彼女のことはリポストされない。リポストされなければ、女王Aが学校を休んでいた時期があったなどということはみんな忘れていく。いじめがあったなんてこともみんな忘れていくだろう。女王Aだって「そんなことあったね」くらいになるかもしれない。現代文の先生が辞職することも絶対にないだろう。私が金をもらっていたことも公になることはないだろう。すべては水面下で行われたことだ。表面になんか出てこない。いじめの実態なんて解明されない。そもそもいじめの証拠がないのだから。私のIPアドレスを調べられる権利があるのは女王Aだけだ。だから彼女が葬れば葬りさられる。

 幻聴が聞こえる。まるでフリック音のような耳障りな音だ。クラスメイト全員、先生の言葉を静かに聞いているのに全員の敵意を感じる。無音が煩い。嫌だ。煩い、黙れ、黙れ、黙れ! だまれ!
 SNSには私の悪口があふれているだろう。本人が見ていないならそれはいじめじゃなくて、そして悪口じゃなくてただの会話になるのだろうか。いじめはただのコンテンツだ。会話を続けるためのもの。

 これからみんな「シャドウバンになっているよ」という体で私をミュート無視していくのだ。クラスメイト全員にミュートされたら、私はどうなるのだろうか。自業自得。わかっている。

 すべて若さのせいなんです 

「大丈夫?」

 放課後、ひとり廊下を歩いていればかけられた言葉。今の私はその言葉を言われたら途端に泣けてしまう人間だ。けれど蝉の鳴き声とその聞こえた言葉に背筋が震えた。涙は出ない。ただ震えた。現代文の教師の声だったから。低いねっとりとした声。まるで「今はつまらなくないだろ?」と言われているような声だ。私は恐る恐る振り返る。そこには恍惚とした表情を浮かべる男性がひとり立っていた。

「顔色が悪いけれど大丈夫? 話聞くよ」

 優しい言葉。一見そう聞こえるがそこに欲望が孕んでいることを私は知っている。あぁ、私が水面下で転落した理由がわかった。先生がハンターとターゲット、両方を変更したのだろう。私の代わりに私の近くの誰が先生からお金をもらいハンターになった。そのハンターが私をターゲットにしただけ。銃口を向ける人間であった私がいつの間にか銃口を向けられる側になった。それを仕組んだのはまぎれもない彼なのだろう。

 私は怯えて足が動かせなかった。鯖落ち。私はこの教師に狂わされた。いや、違う。本当の私を暴いただけだ。私が狂っていたのだ。

「行くよ」

 そのときだ。動けない私の腕を誰かが強く引く。艶やかな黒髪を持った女王Aが私の前を軽やかに歩いている。私は彼女の力で先生から離れた。菊の花ではない、なにかのフローラルな香りが私の鼻腔を通り抜ける。それは確かに彼女からした。いい匂いだった。そのまま女子トイレに連れ込まれた。女王Aはすべての個室を確認していく。この女子トイレは私たちだけだった。

「真希」
「……、」
「私たち仲よかったよね。中学時代からの仲だった」

 梨奈の口から出てきた言葉は冷たいものだった。それでも冷静さを孕んだものだ。そう。彼女の言うとおり。私たちは中学生時代の仲で取り巻きはおらず、いつもふたりで行動していた。梨奈と真希。いつも一緒だった。高校に入ってからそこに少女A、少女B、少女Cが入ってきて大きな国になった。いつからか梨奈が国をまとめる長になったのだ。気に入らなかった。

「私をいじめていたの真希でしょ」
「……」

 今更違うなんて白々しいことは言えない。自分が選んだ選択だ。私は首肯する。

「……先生から誰でもいいからいじめてくれ、ってお金をもらった」
「あの人そんなキモいの? やば、うける」
「…だから梨奈、あのひとと付き合うのはやめたほうがいい。私に忠告する権利ないけど、あのひと危険」
「なんで?」
「弱っている人を助けたいんだって。だからいじめを仕組んでいる」
「わかった。ありがとう」

 梨奈はこの数ヶ月どんな人生を歩んだのだろうか。凛々しく立っている彼女にそんなことを思う。成長したように思う。目の前にいる梨奈は確かに女王の風格があるのだ。漲る自信。いじめに遭っていた瞬間からまるで脱皮したかのように雄々しく存在している。
 気付いてしまう。自らの矮小さ卑劣さ。太刀打ちできない格の違いをまざまざと見せつけられる。私は彼女に嫉妬して、暴走して、頼まれたんだ仕方なかった、という言い訳をしながら欲望に飲まれた。梨奈に苛立ち梨奈を殺したくて、ふたりで高校を同じ場所に選んだことを忘れ去った。梨奈は私のライバルで敵でよき親友だった。

「真希。私はあなたのことを一生許さない」
「、っ……う、ん」
「死にそうだった。死のうと考えた。死んだ方がマシだと思った。そんな目に合わせた真希を一生許さない」
「ごめんなさい、…」

 素直に出た言葉。愚かだったと理解できた。馬鹿だった。自分が同じ目に遭いそうだからという理由じゃない。そんな保身に走っていない。ただ心の底から申し訳ないと思った。いじめはコンテンツじゃない。いじめは若さの特権じゃない。犯罪だ。

「真希が私を助けなかったから、私も助けないよ。わかるよね」
「う、ん」
「……助けないけど死なないで」

 空が夕焼けに変化していく。翳りを見せる世界。私たちを包み込む日差しはまるでいいねを塗りつぶした赤色のような色でトイレに差し込んできた。

「これからどんどん死にたくなるよ。私はあんたを許していない。助けもしない。けど、死なないで。あんたがいない世界は少しだけつまらないから」

 みんな刺激が欲しい。つまらない世界をなにかで塗りつぶしたい。いいねを押すだけじゃ足りないのだ。
 梨奈は穏やかに笑っていた。その表情は中学生時代に見た優しい笑顔そのままで、私は完全に悟った。大切な友達を自らの醜い嫉妬、醜い愚かさで失ったのだ。一生大事にするべき友情を自らの手で切り裂いた。
 私を改心させるには梨奈の穏やかな「つまらないから」その言葉だけで十分だった。
 

「……真希。もし本当に駄目だ、死にたいと思ったときに思い出して。この世はなににでもなれる。何者にでもなれるけれど、何者にもならなくていいんだよ。母からの受け売りだけど覚えておいて」

 その言葉だけを置き去りにして梨奈は去っていった。彼女が消えた瞬間に抑えていた感情が濁流のように決壊した。涙が溢れる。欲しかった言葉だった。この世は肩書きを手に入れることは簡単だ。インフルエンサー、クリエーター、なんでも簡単になれる。フォロワー数は大事でSNSをサバイブできる能力が必要だ。でも別に何者かにならなきゃいけないことなんてない。

 私は真希だ。梨奈にはなれない。それと同じで梨奈も私にはなれない。そんな簡単なことを忘れていた。

 学校から帰ってきて一番はじめに行ったことは、先生からもらった金で買ったものをすべて処分することだった。デパコスの化粧品、高級ブランドバッグ、アクセサリー。私の愚かさの証拠をゴミ袋に入れていく。煌びやかなものが無くなった部屋は普段見るより色褪せていた。無加工の味気ない部屋だ。でもこれでいい。生き直しだ。

 SNSを開く。裏アカウントを消していく。水面下に潜る必要のないようにすべての裏アカウントを消した。正真正銘、本名でやっている表アカウントだけを残す。

 そのとき不意に梨奈の呟きが見えた。「学校楽しい」その140字より短い数文字。沢山のいいねがついている。私も同じようにハートを赤く塗り潰した。これは流作業のいいねじゃない。私のマイナスの感情もプラスの感情もぐちゃぐちゃに混ざり合った重たいいいねだ。大切ないいねだ。

 誰も私を助けない。自分で這い上がる。広くて狭いこの世界を自力で生きるのだ。自分だけを信じてこの世界で生きてやる。私は絶対に空を飛ばない。私の人生は140字には収まらないだろう。青春は140字では収まらない。だから価値がある。だから大事にするべきだ。

 私は現実を生きる。SNSを閉じた。

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