自己紹介~離婚できない男~中編
こんにちは、不眠症です。
今回のnoteでは、別居してからの5年間、いったいどのように過ごしていたのか、について書いてみたいと思います。
ワーカホリックな離婚できない男
離れ離れになる子供たちのことが気がかりということはありましたが、であれば経済的に支えるしかなく、転職して給料を上げてやろうと思い、新職場ではめちゃくちゃ働きました。笑
もともとハードワークするつもりで都内に部屋を借りていたので、朝早く会社に行き、仕事が終わるまで帰らないという毎日でした。
ひどいときには朝出勤して次の日の夜帰る、なんてこともありました。
そのおかげで何度か昇進し、別居を始めたときと比べると今では額面給料は別居開始時の約2倍ほどにまで伸びました。
キャッシュフローの悪い離婚できない男
別々になった子供たちの家計と自分自身の部屋、また健全な生活を維持するためには、なにせお金がかかり、キャッシュフローはマイナスでした。
幸い、別居前にそこそこの貯金は作れていたので、不足分はそこから充当しながら、生活していました。
給料は上がっているけど、キャッシュフローはマイナス、、、。
なかなかメンタルに来る状況ですが、それこそもう給料を上げるしかないと思ってがむしゃらに働きました。
転職した会社が途中でM&Aされ、資本が外資になっていたこと、また会社の業績が比較的順調だったことや、外資の分かりやすい給与システムもあって、給料が順調に給料があがっていたのは不幸中の幸いでしょうか。
それでもキャッシュフローネガティブな時期はずいぶんと続きました。
離婚調停しても離婚できない男
別居してから早5年。
別居3年目から4年目にかけて離婚調停を行ったのですが、こちらは不調に終わってしまいました。理由は、、、
『当時の賃貸マンションの契約は仕事都合で都心に寝床を確保するためのものであって、別居には当たらない』
いや、もう3年以上一度も元の家に足を踏み入れたことすらないのですが、それでも別居にあたらない、とは、、、。
とはいえ、もう結婚の実態も何もないわけで。
離婚の成立を目指すなら裁判してみるしかないんですよね。
毎月婚姻費用として一定額のお金を送金し、そしてこの4月からはさらに長男の私立高校の授業料を支払うことにしました。お金を支払うだけの関係であるにも関わらず、『別居』として認められず、離婚はできません。
なんならもうすぐ東京では年収上限なしの私立高校の授業料実質無償化が始まろうとしていますが、子供たちは神奈川在住なのでこちらは高校授業料の無償化には年収制限があり、現在の私の年収では何の補助も受けられません。
(ひょっとしたら年収が上がらなかったほうが、経済的には楽だったのではないだろうか、とすら思えます。このシステムなんとかならないんですかね。)
最後に
調停が不調に終わったとはいえ、泣き寝入りするわけにはいきません。一歩でも、半歩でも前進するために、前を向いて歩きたいと思います。
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また、自己紹介 前編 『そうだ、離婚しよう』も併せて読んでいただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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