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イソップ童話「ロバを売りに行く親子」の話【熊谷俊人X村中璃子】対談①

昨年11月、「新型コロナとワクチンから考えるリスクコミュニケーション」のタイトルで、熊谷俊人千葉市長と対談を行いました。ちょっと難しいテーマですがご興味をお持ちの読者の方も多いと思うので、今日から内容を6回に渡ってnoteで公開していきたいと思います!

村中: 今日はお忙しいところ、ありがとうございます。対談をさせていただく前に、「ロバを売りに行く老夫婦の話」というのをご紹介をさせていただきたいと思います。オリジナルはドイツのイソップ童話「ロバを売りに行く親子の話」ですが、それをアレンジしたものが先日、Twitterで話題になっていました。

ロバを売りにある老夫婦が市場に行きます。2人がロバに乗っていると、「2人で乗るなんてロバがかわいそうだ」と批判を受けます。次に、おじいさんだけが乗っていると、「おじいさんだけ乗っているなんておばあさんがかわいそうだ」と批判を受ける。今度はおばあさんだけが乗っていると、「おじいさんを置いて自分だけ乗るなんてひどい女だ」とまた批判される。2人とも乗らないでいると、「あいつらはロバの正しい使い方も知らないバカだ」と言われてしまう。このように、物事は何をどうやっても必ず誰かから批判を受けるということが、コミュニケーションの基本的な難しさなのではないかと思っています。

この話が話題になったきっかけは、2020年6月に行われたトヨタ自動車の株主総会です。2020年上半期のトヨタの利益はプラスではあるが、前年比では8割減となったことを、メディアが「8割減」と大きく取り上げたことを株主に問われた豊田章夫社長は、先ほどのロバを売りに行く老夫婦の話に触れながらこう答えました。

「要は、“言論の自由”というものは何をやっても批判されるということだと思います。最近のメディアを見ていますと、“何がニュースか”を決めるのは自分たちであるといった傲慢さを感じざるを得ません。1億総ジャーナリストと言われるくらい、だれもが情報を発信できる世の中で、情報によって傷つく人もいれば、元気にすることもできます。大切なことはその情報を伝えることによって何を実現したいかということです。もっと言えば、どんな世の中を作りたいか、ということです」

今日はこんな話もヒントにしながら、熊谷さんとお話したいなと思っています。今回、コロナで色々なことがありましたが、いかがですか?

熊谷: 本当にまだまだ終わらないなという感じがしますが、日本は行政・公衆衛生・国民・医療体制のいずれもレベルが高いなとも感じています。それに対して国民が自信を持てていないのは残念ですが、いつか時が来れば、正しい総括をしてくれるでしょう。

村中: ロバを売りに行く話もそうですが、どんなことでも全員が納得するということはなかなかないですよね。そんな中、少数派の極端な意見がクローズアップされ、メディアやSNSで拡散され、それがまるで民意であるかのように社会で独り歩きしてしまうようなことがある。こういった点を、政策を司る立場からどうコントロールしていくか、何かアイデアはありますか。

熊谷: まさにそこが政治家の腕の見せどころでしょう。わたしたち政治家はものすごく多くの国民と接しますから、声なき声も含めて平均な意見がどれくらいかというのは、政治家としての感性が鋭ければ鋭いほど分かるはずです。行政もマスメディアも、能動的に国民の声をキャッチしに行かなければ、声の大きいものばかりを拾ってしまう。受動的であればあるほど、大きい声のウエイトを高く感じてしまう。政治家は本来、能動的に情報や感覚を取りに飛び込んでいかないといけない。何が平均値で、声が大きいがごく少数の意見なのか、それとも本当に多くの人たちの声なのか。今はそれが感覚として分かるだけでなく、SNSによって見えやすくなっている。そういう意味では、われわれ政治家にとっていい時代になったとも言えます。

村中: 一方でSNSを1日中ずっとやっている、SNSを専門的にやっている人たちによって印象が操作されたりもする。メディアも視聴率やビューを意識しているので、専門家の相場観や国民の感覚からまったく外れていると分かっていることであっても極端な意見を積極的に発信するということもよくあります。わたしも市長も、そういう部分もあるメディアを使ったり、メディアに出ていったりしなければならない立場にありますが、この部分が非常に難しいなと感じることがあります。

熊谷: ジレンマを感じますよね。“賛否両論”と書かれたとき、いやいやと。ものすごく特定のグループが、平均値ではない主張を単にくり返しくり返し発信しているだけというケースもあります。もちろん、それも1つの意見として、民主主義としては尊重するべきでしょうが、まるでそれが多数かのように報道されてしまい、実態とは違っているということもよくある。それが一部の特定の人たちによる集団的行動によって顕在化されたものなのか、それともやはり国民の大多数の思いなのかということは、本当はマスメディア、報道・発信する側が見極めるべきなのでしょうが、そうなっていないこともある。

次回 【伝えたいことを伝えるためにする「信頼貯金」】に続きます!

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