ノーベル賞受賞後の初講演で本庶佑特別教授が『10万個の子宮』を紹介
表紙の写真は昨年、『ネイチャー』の名物編集長の名を冠したジョン・マドックス賞を受賞した際に、2018年ノーベル医学賞受賞の本庶佑氏と京大ゲノム研の松田文彦氏に京都の料理屋でお祝いをしていただいたときの写真。そして下は、東京で開かれた同賞の祝賀会の際、本庶氏が祝辞を述べている写真です。
祝辞のなかで、本庶氏はこう言いました。
「なぜ村中さんひとりにこの問題を任せているのか。子宮頸がんワクチンの接種が止まっているのは、医学界全体の責任だ。ここにいる私たちがどうにかしないといけない」
11月5日、藤田保健衛生大学で行われた受賞後の発講演で本庶氏は、私の著書『10万個の子宮』の表紙をスライドの1枚にして紹介しました。記念すべき講演の中でこの本を取り上げてもらえたことを、医師として書き手として、とても誇りに思います。
講演では、日本はもっと予防医学にシフトすべきだという話のなかで、日本で子宮頸がんワクチンの接種が停止している現状を「国際的にも恥ずかしい」と一括。11日には厚労省を訪問し、子宮頸がんワクチンの接種再開要請を行ったことも報じられています。日本が数えきれないほどの医療問題、研究に関する問題を抱えるなか、子宮頸がんワクチン問題が本庶氏にとって大きな懸案事項のひとつであることが伺えます。
これまで、がんとの闘いと言えば、手術でがんを取り除いたり抗がん剤や放射線療法で小さくし、再発を防ぎ進行を遅らせたりすることを意味しました。しかし、本庶氏をはじめとする世界トップクラスの科学者の尽力でうまれた免疫療法により、がんは治癒の可能性をもつ病気になりました。
「治療を研究してきた人なのに、なぜ予防の話をするのか」と思う人もいるかもしれません。しかし、「予防医学へのシフト」は、本庶氏がノーベル賞を受賞してから思いついたことではなく、以前からずっと言い続けていることです。
人類ががんと闘う武器として免疫療法に並んで画期的だったのは、子宮頸がんワクチンです。ほんの数十年前まで、がんと感染症はおろか、がんとワクチンはもっとも関係のうすい医学領域であると考えられていました。しかしいまやワクチンは、がんだけでなく糖尿病や高血圧などの生活習慣病、花粉や食物などのアレルギーからアルツハイマー病に至るまで研究開発が進められています。
世界はワクチンでがんを防ぎ、それでもかかってしまったら免疫療法をという二段構えで「がん撲滅のリーチ」にかかっています。それなのに日本だけがこの流れから取り残されている。免疫療法を人類に贈り、ノーベル賞を贈られた科学者にとって、この状況は無念の一言に尽きるのでしょう。
今からちょうど10年前の2008年、子宮頸がんがヒトパピローマウイルス(HPV)によって引き起こされることを発見し、子宮頸がん(HPV)ワクチンを開発したドイツ人医師ハラルト・ツア・ハウゼン氏もノーベル医学賞を受賞しています。
ところで、わたしが京都大学で講義を持つことになったのも、実は「サイエンスジャーナリストを育てる」という目的で本庶氏が京大医学に作った大学院がきっかけです。
今年はその大学院で「本庶佑氏のノーベル賞受賞記事を”両論併記で”書く」というテーマの特別授業を行う予定です。
日本のメディアは「両論併記が原則」という大義名分のもと誤ったメッセージの報道を繰り返し、ワクチンで自らの命と健康を守るという権利を日本人女性から奪ってきました。本庶氏がPD-1を発見した時には見向きもしなかったのに、ノーベル賞を取れば「両論」を吟味するまでもなく手放しで大騒ぎ。しかも記事の多くが、週に何回ゴルフをするかとか、学生時代にどうだったとか、家族がどんなコメントをしたといった功績に関係のない話ばかりです。
受講する学生が誰もいなくなってしまうのでここだけの話ですが、今年の授業では学生さんに書いてもらった記事を本庶氏本人にも見てもらうことを伝えてあります。学生の書いた「良質の両論併記」の記事が本庶氏を唸らせることを期待しています。
話は最初に戻りますが、本庶氏がわたしの本を紹介し大臣要請を行ったという話を聞いてわたしは素直に感動しました。
それは、今年のノーベル賞受賞者がわたしの本やわたしの扱ってきたテーマに言及したからではありません。
ノーベル賞は、新しい何かを発見をするところで終わるのではなく、その発見を社会に生かし、さらには受賞を通じて社会に変化をもたらし、後に道を残すところまでを仕事と考えることのできる人に与えられたからです。
こういうスケール感をもつ研究者は日本人には多くありません。
「なぜ本庶先生ひとりにすべてを任せているのか。医療や研究をめぐる問題は、医学界全体の責任だ。私たちがどうにかしないといけない」
これが私から本庶佑氏への祝辞です。
私がジョン・マドックス賞を受賞した際には、メディアはもとより、海外の大学や学会、ワクチンやがん関連の国際機関やNGOなどありとあらゆる団体が、これ絶好の機会とばかり私の仕事に関する記事を掲載して、自分たちの組織や活動を宣伝しました。誰ひとりとして関係者を知らない団体や、名前すら知らなかった団体もたくさんあります。
しかし、「関係者ではないから」どころか、「学会員ではないから」「もう卒業しているから」「常勤ではないから」――。そんな理由で海外のような動きが全く見られない日本のアカデミアのことを本庶氏は、「アホや」と言いました。
また『ネイチャー』が『サイエンス』に並ぶ科学誌としてしのぎを削っていた90年ころ、編集長を22年務めたジョン・マドックス氏は”Does Nature overcome Science?"というウィットの効いたタイトルで京大で講演し、科学をアカデミアの中に閉じ込めず、社会に役立ててこそ意味があるという話をしたとも言っていました。
もちろん、同じ受賞でもノーベル賞です。『ネイチャー』やジョン・マドックスの名を知らない人はいても、ノーベル賞を知らない人はいないでしょう。
これから受賞式のある12月ころまでの2か月間、ノーベル賞受賞者の一挙手一投足は社会の注目を集めます。本庶氏はこれからも、子宮頸がんワクチン問題に限らず、折に触れて様々な問題に言及するはずです。
日本のアカデミアやメディアは、ノーベル賞受賞者が次々と渡してくるバトンをしっかり受け止めることができるのでしょうか。
ノーベル賞を取ったところまでで終わらせないための仕事は、「私たちがどうにかしないといけない」仕事でもあります。
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