戦後74年の「安全」と「安心」:国策、長崎大のBSL4を不安視する住民
ウイルスなどの病原体は、バイオテロの手段や生物兵器になる。それらから国民を守るのがワクチンや抗ウイルス薬であり、それをつくるために必要なのがBSL4だ。1月26日、長崎大学が、エボラ出血熱など高度に危険な病原体を取り扱う実験施設、BSL4の建設に着手した。住民はその存在を不安視し反対しているというが、BSL4の建設は初めてのことではない。すでに30年以上も前からBSL4が、東京の武蔵村山市に存在してることをご存知だろうか。今回は、武蔵村山にBSL4が建設された戦後の歴史を振り返り、市街地の中心にBSL4ラボを持つ海外の研究施設も取材しながら、戦後74年の安全と安心について考えてみた。
「動物実験の死体を焼く煙だね」
当時、同級生とそう噂していたと話すのは、1978年に武蔵村山に引っ越してきたという40代男性。「国立予防衛生研究所村山分室」、通称「予研」の隣にある小学校の教室の窓からは、いつも煙の上がるエントツが見えた。母親からは「あの敷地内で遊んじゃダメよ」と言われていた。
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