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66.最後の「ありがとう。」
今日の朝、ふと思ったことをthreadsで呟いた。
これでレスのやり取りで、自分の心の中で蓋をしていた思い出を思い出した。
そう、主人が亡くなる最後の会話の最後が「ありがとう」という言葉だったということ。
人の最後を看取るという経験を40代で経験する事は自分では全く思っていなかった。人を看取るということがこんなにも辛く、儚いものというものかという事も全く想像がつかなかった。
ただ、主人の最後の時間は刻々と近づいているのは、認めたくないけど、心のどこかで分かっていた。分かっていたから、どこか冷静な自分がいた。
ただ、あの時は、自分がしっかりしないという気持ちと子ども達の気持ちのケアもしないといけない。そして、自分がしっかりしないと義理の母も子ども達も送迎ができない。自分が悲しむのが後という気持ちもあった。
でも一番の理由は、心の拠り所がどこに置けばいいのか分からなかった。
最後の入院の時に担当の先生に
「これで最後の入院になるよ。」
と言われた瞬間の自分の頭が追いつかなかった。
「最後の入院ってなに???」
とずっと自分の頭の中をくるくると回っていた。
でも、どこか冷静に判断しないといけない。
どこかで自分自身を”しっかりしないと!!!"と正していた、正していたけど、今度は、彼の入院の準備もしないといけない。
病院と自宅の行き来で慌ただしく過ごしていた。
この時も緊急で決まった入院。
だけど、ベットが空いていないから他の病院に移されるかも?とギリギリまで不安定なまま、結局、今までお世話になっていた大学病院で最後を過ごすことができることになった。
ただ、今度はこの状況を色んな人に伝えないといけない。
子ども達の保育園、学校に連絡しないといけない。そして、遠い友達にも連絡しないと。
ただ、悲しむ気持ちを置き去りにして、
久しぶりに連絡する友達に次々と連絡した。
そして、最後だからお見舞いに来たいという友達の申し出も、コロナ禍だからお見舞いも家族だけで友達も無理だった。
だけど、病院側は残されている時間が少ないことが分かっていたから、
特別に面会を許してもらった。
ただ、彼の最後という時間だけが刻々迫っていた。
「最後、どこで過ごすか?」という事はまで話し合っていた。
病院にするのか?自宅にするのか?
最初は、病院といっていたが、本人の希望で自宅で過ごすことが決まった。
でも、私の中では自宅で過ごす事もできないでは?と当たって欲しくない予感をしていた。が、やっぱり、この予感は的中してしまった。
色々、予定していた自宅ケアでの手配も同時に無くなってしまったのだ。
私の中での看取りは、これで良かったのか?しばらく考えることがあった。
最後かもしれないから、個室でゆっくり家族で過ごせることになったので家族を迎えにいっていた。
だけど、彼の時間は許してくれなかった。
彼の時間はその時で止まってしまったのだ。
彼がちゃんと話せる時に話せた会話の最後が、
「ありがとう」が最後の言葉だったということを思い出した。
「ありがとう。」
時々、優しく、冷たく感じる言葉だけど、
最後の締めのように出る言葉。
そして、彼の人生の最後に出た言葉。
だから、自分の中で「ありがとう」と思ったらどんどん口に出して言ったほうがいい。
人には時間が決められている。
それが、長いか短いかは私たちは分からない。
でも、その時間の中で出会う時間に「ありがとう」と色んな人に伝えていったらどんなに幸せだろう。
私みたいに「ありがとう」が一方通行で終わってしまう人もいるのだから。