九州エリア初のホスピス住宅「ビーズの家」代表インタビュー。「その人らしさが続く場所」実現までの裏側
本noteでは、ホスピスの見学レビューや業界で活躍している方へのインタビュー記事を投稿しています。
今回は、株式会社beads代表取締役の山﨑大輔さんにインタビューをしました。
山﨑さんは、九州エリア初のホスピス住宅「ビーズの家 南片江」を立ち上げ、末期がん患者や難病の方を受け入れる住居を展開しています。
ー本日はよろしくお願いいたします!まず山崎さんのご経歴やこれまでのご経験についてお聞かせください。
大学卒業後、2005年に株式会社リクルートに入社し、人材領域事業を担当していました。
入社後は求人メディアリクナビの営業を、その後はリクナビネクストで営業企画、リクルート上場後は分社化された人材会社の経営企画マネージャーを担当していました。
全体的に経営企画の仕事が多く、その経験は今も生かされています。
入社から10年経った2015年に株式会社ファイブグループへ転職しました。
ファイブグループ代表の坂本憲史さんとのつながりが元々あり、経営企画の相談に乗っていたのですが、ある時、「うちに来ないか」とお声がけをいただきました。
当時、リクルートでリクルートジョブズの経営戦略を作るマネージャーとしてアルバイトの求人掲載の仕事に携わっていたのですが、「アルバイトの求人をたくさん載せることは、世の中にとって本当にいいことなのだろうか」と違和感がありました。
非正規雇用マーケットに対して、自分の中で更にリアリティを深めたいと思っていたタイミングだったこともあり、自分がその業界に一度入ってみて、経験してみようと思ったのです。
ファイブグループ社では、経営戦略はもちろんのこと、新業態の店舗立ち上げや、現場のお店に1店員として入ったりしながら働いていました。
入社当初、代表と「100億の会社を一緒につくろう」という話をしていたのですが、2019年に100億を超えたこと、そして、その後コロナがきて飲食業界が大ダメージを受けたことが重なり、飲食企業の社会的価値に対して傾倒していくようになりました。
実際に現場に立つことでお客様の様子も把握しながら店舗経営について学び、それらの学びは今の「ホスピス」という施設事業を営むに当たっても、大いに生かされています。
私自身が、CSV経営を体現したく、自分でやってみたい気持ち生まれた始めていたこともあり、ファイブグループ社を退職することにしました。
ーリクルートで経営企画、ファイブグループで店舗経営を経験されてきたのですね。それからすぐにホスピス立ち上げに踏み切ったのでしょうか?
いえ、当時は、正直やめた後に何をするか、具体的に決めていたわけではなかったですし、「ホスピス」をやるなんて思ってもいませんでした。
福岡に遊びに行った時に友人から「ホスピスというのがあって、これからの社会に必要で需要が伸びるらしい」という話を聞いて初めてホスピス事業について考えるようになりました。
「病院でも自宅でも過ごすことができない看取り難民は今後47万人にも膨れ上がる」という社会課題を聞いた時に、ちょうど40代に差し掛かり社会のために活動したいという思いがあった私は、2022年3月にホスピス事業に踏み切ることにしました。
「ホスピスを立ち上げる」と決めてからまずしたことは、事業計画書を作ることでした。ただ、事業計画書をつくるためには、「ホスピス」や介護業界に対しての理解を深める必要がありました。
そこで私が取り組んだことは3つあります。
1つ目は介護の資格を取得すること、2つ目は施設を建てる土地を探すこと、そして3つ目はあらゆる医療現場や介護施設に実際に足を運んでみることでした。
「ホスピス」を立ち上げると決まってからすぐに、介護職初任者研修と介護福祉士実務者研修の資格を取得するべく、学校に申し込みました。
自分が現場のことがイメージできない事業が成功するとは思えなかったことや、今後入ってくるメンバーや投資家に対しての誠意を見せられると思い、自ら資格を取得することを決め、約10ヶ月ほどで2つの資格を取得しました。
土地探しについてもわからないことだらけでした。
施設を立ち上げる場所に、まだ施設数が少なかったこともあり福岡県を選びましたが、私は山口県下関出身、福岡にゆかりがあるメンバーも少なくて、文字通り0からの立ち上げでした。
どこで施設を立ち上げられそうか、不動産や土地探しに精通している人に話を聞いてみたり、とにかくいろいろなところを回りました。
そして、ある農地を使わせていただけるという話をいただき、土地の契約まで進むことができたのです。
しかし、物件契約が確定して銀行融資も受けられる見通しが立った時に、私は言いようのない不安に駆られました。
私はエクセルやパワポ、お金周りのことはわかるけど、何時に家を出て出勤して、毎日の仕事をどうこなすのか、イメージが全く持てないのに責任を背負えるのか、と。
メンバーに打ち明けると、「飲食事業の時代には、どうしていたのか」と問われてハッとしました。
「店舗に立ち、サービスを提供していた」と気づき、それから、知人の伝手を辿って数々の介護施設で修行をさせていただきました。
2ヶ月ほどの期間ボランティアをさせていただいたり、訪問診療に帯同したり。周りの方々から紹介いただいたら、どこへでも話を聞きに行ったり、現場で修行をしたりして、徐々に現場感を掴んでいきました。
ー現場を見に行ったり働いたりホスピス立ち上げまでの時間をフル活用されていたのですね。物件契約から建築まではどのようなプロセスを踏まれましたか?
建築が始まってからも、また壁にぶつかりました。図面を見せながら担当者に「こちらでよろしいでしょうか?」と聞かれるのですが、いいのか悪いのか全くわからないんです。(笑)
私の中で理想の施設像は明確になっていて、雰囲気は伝えられるのですが、図面を通じてやりとりするとなると想像以上のハードルがありました。
そこで、私たちと建築担当の間を繋いで翻訳してくれる、建築士の方にチームに入ってもらい、修正改善を進めていきました。
当時、私たちが一番大切にしていたのは、「家」へのこだわりです。
今後病院はどんどん少なくなり、在宅がどんどん増えていく。
一方で、ご家族の支援が得られない人は自宅に帰ることができず看取り難民が増える。だけど、みんな最後は自宅で過ごしたいと思うんです。
だから私たちはそんな方々が「自宅のように過ごせる家」を作ろうと決めて、内装もできる限り「家」に近づけました。
食堂ではなく、キッチン。
共用スペースではなく、リビングダイニング。
基本的には、食べたい時間に食べるし、寝たい時間に寝る。
内装を整える時にも「家だったらここに手すりはないよね」という会話が生まれます。
そのようにして、だんだんと「ビーズの家」の形ができてきました。
ー私も「ビーズの家」に入って一番に感じたのは、「家のようなあたたかみ」でした。アットホームさ、というよりも「家そのものがここにある」という感覚です。それは、「ビーズの家」が掲げているコンセプト「その人らしさが続く場所」にも表現されていますよね。
そうですね。ただこのコンセプトにまとまるまでも紆余曲折がありました。
経営メンバーの四人で経営合宿に行った時に、「こんな施設が作りたい」と長時間話し合ったのですが、結局言葉としてうまくまとまらなかったので、コーポレートアートを作ったんです。
ですが、いざ採用しよう、ホームページを作ろうとなった時に、「言葉としてコンセプトがないと難しいよね」という話になりました。
そこで知人のクリエイターさんに相談をして、合宿で話したことや私の思いを共有して、一緒にキャッチコピーを考えてもらいました。
それが「その人らしさが続く場所」というコンセプトでした。
言葉が出来上がった時、「これだ!」と腑に落ちたあの感覚は今でも忘れられません。
ーコンセプトが決まり、ようやく採用や集客を本格的にスタートされたのですね。施設運営の走り出しは順調だったのでしょうか。
ありがたいことに、施設内覧会は2日間で550人が来場され、看護師・介護士の採用もうまくいきました。
そして満を持して迎えた、12月10日オープン日。
初めの1週間、なんと入居者は0人だったのです。
それでも職員はみんな出勤しなきゃいけない。
「これは、やばいぞ…..」と思ったあの時の感覚は何とも言い難いです。
それでもみんなでオペレーションの確認や準備を進めている中で、一本の電話がありました。
なんと「1時間後に入居したい」という入居依頼。
末期がんで病院では治療ができず、自宅に帰っても訪問診療医の先生に「自宅でみるのは限界な状況」と言われ、まさに行き場のない状態でした。
ですが、こちらとしてもまだ受け入れ体制が整っていません。
ベッドも食材も何もないのです。
一瞬「受け入れは難しいかも」ということも過ぎりましたが、「そういう方の受け皿としてホスピスを作ると決めたのに、こちらの都合で断ってる場合ではない」と思い直し、「1時間でお迎えする」と決めスタッフ総動員で準備に取り掛かりました。
そして、「ビーズの家」に一人目のご入居者さんが入りました。
職員フル稼働で、入居者が一人なので、これ以上ないくらい手厚いサービスを届けることができました。(笑)
ーそれはこれから先も忘れられない一人目のご入居でしたね。二人目以降のご入居は順調だったのでしょうか?
それが、入居問い合わせは多いのにほとんどの方が入居対象外で。2月くらいまでは累計4人ほどしか入居がなかったんです。
もちろん「なんとかしなければ」と焦る気持ちもあったのですが、私たちにとって初めてのお看取りをさせていただいた時のことが「私たちがやっていることは間違っていない」とずっと私を支えてくれていて。
それはご入居後1ヶ月で旅立たれた方の話です。
退院前カンファレンスで「ビーズの家」でどのように過ごしたいかと聞くと、「俺はもう短いから静かに生活できたらいいよ」という感じだったんです。
その気持ちを尊重しつつ、私たちもどうしたらその方の人生最後の時間が彩りあるものになるかを考えていました。
盆栽をやってきた方だったので、プランターと鉢植えを買ってきてウッドデッキで「私たちが植えるので、やり方を教えてください!」と言って、教えてもらったり、
ベッドから起き上がることができなかったら、介護ステーションまでベッドを運んでみんなとの時間を感じていただいたり。
そして私たちにとって初めてのお看取りの時を迎えました。
出棺時の音楽が「上を向いて歩こう」だったんですよね。
ご家族が「ビーズの職員の方々と一緒に『上を向いて歩こう』を歌っている楽しそうな動画を見て、これが一番いいんじゃないかって話になったんです」と話してくださり、本当にありがたいなと思いました。
実はこの方、亡くなる前によく手記を書いていたのですが、葬儀後にご家族の方から見せていただいた手記に「我が生涯に一片の悔いなし」って書いてあったんです。それを見た時は感動しました。
そしてご家族からも「ビーズの家に任せてよかった」と声をかけていただいて本当によかったなと思いました。
この時の経験から、なかなかご入居者が増えない時にも、自分たちがやっていることが間違っているんじゃないか、と疑ったことはなかったです。
それから病院の退院調整がピークを迎える新年度、お盆、年末などを迎えて、徐々に入居数が増え、それからはコンスタントに来ていただけるようになりました。
ーきっと「ビーズの家」の職員さんの献身的なサポートや寄り添いが、ご本人にもご家族にもしっかり届いていた結果ですね。それでは最後に、山﨑さんの今後の展望をお聞かせください。
「ビーズの家」を一つのモデルケースとして、福岡から全国へ広げていきたいと思っています。
そして2030年までには九州中四国あたりに一気に展開していきます。
施設の数を増やしていきたいというよりも、良い看取りとは何か、や、その人らしい人生の最終段階はどういうものなのか、ということを世の中に発信する使命を持っていると思っています。
そのために、今後も乗り越えないといけない問題が山ほどあるのですが、一つ一つ乗り越えていきたいと思っています。
ーーーー
以上、「ビーズの家」代表の山﨑大輔さんへのインタビューでした。
「ビーズの家」では、経営管理、店舗開発、ホスピス住宅経験者の方の採用を強化しています。この世界に共感していただけた方はぜひ下記メールアドレスか、「ビーズの家」までお問い合わせください!
━━━━━━━━━━━━━━━━━
このnoteではホスピス業界の最新情報や実際の見学レビュー、インタビュー記事などホスピスに特化した情報を発信していきます!私は「大切な家族を任せられる」ホスピスを立ち上げ中です。
そのための情報収集など細かに行なっているので、ホスピス選びに悩んでいる方は、無料相談を受け付けています。
下記メールアドレス宛にお気軽にご相談ください。
→ info@nokos.co.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━
他の記事はこちら↓