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子供と親の居場所を福岡につくりたい。NPO法人福岡子どもホスピスプロジェクト代表インタビュー

本noteでは、ホスピス特化型メディアとして、ホスピスの見学レビューや業界の動向をレポートしています。

今回は、NPO法人福岡こどもホスピスプロジェクト代表理事濵田裕子さんへインタビューをしました。


本記事では、濱田さんがこどもホスピスを立ち上げるまでの経緯や現在のご活動状況についてまとめました。

福岡こどもホスピスプロジェクト 代表理事 濵田裕子さん
山口県下関市生まれ。
聖路加看護大学卒業後、淀川キリスト教病院看護師(内科・ホスピス)、北海道大学医学部付属病院看護師(小児科)、札幌市豊平保健所非常勤保健師を経て看護教育に携わる。
九州大学在職中(2014年)にNPO法人福岡子どもホスピスプロジェクトを立ち上げ、重い病気や障がいがあってもゆたかに暮らせる社会をめざし、福岡に子どもホスピスを創るべく活動をし、小児緩和ケア、グリーフケアにも関わっている。

ー本日はよろしくお願いいたします。まずは濵田さんのこれまでのご経歴やホスピスで働いたご経験についてお聞かせください。

聖路加看護大学を卒業した後に、日本で2箇所目にホスピスを導入した淀川キリスト教病院に就職し、内科に勤めたのち、ホスピス病棟で1年ほど勤務をしました。

淀川キリスト教病院にホスピスを導入した柏木哲夫先生の著書を大学時代に多数読んでいたこともあり、ホスピスに興味があり、働きたいと思っていたのが淀川キリスト教病院への就職の一番の理由でした。

ですが、20〜30代など若い方も亡くなられていく姿を見て、「人間にはいつ死がくるかわからない。私もやりたいことをできる時にやろう」と思うようになりました。当時の私のやりたいことは「北海道に住む」ことで、北海道に転居することにしました。

転居後、北海道大学附属病院小児科にて看護師として働き、結婚後、仕事を辞め、出産。
当時は、子育て支援制度も十分ではなく、第一子出産後は、非常勤保健師として、働きなから、3人の子どもを育てました。

非常勤保健師として訪問指導(現在の訪問看護のような仕事)に携わり、在宅療養の患者さんと関わること自体は楽しかったのですが、非常勤では発言権もなく、常勤で働きたいと就活をはじめました。

看護職として現場に戻りたいと思っていましたが、縁あって、北海道医療大学で小児看護学の教員として働き始めました。
その後、産業医科大学、九州大学で看護教育を継続し、現在は、下関市立大学看護学部に勤めています。

ーこれまで小児から大人のホスピスまで幅広い看護経験を積まれてこられたのですね。その中でなぜ「子供ホスピス」の立ち上げに至ったのでしょうか。

大きく理由は二つあります。

一つは、患者さまの人生に寄り添い最も関わることができるという点です。
もともと一般的な仕事に比べて、人の人生そのものに関わることができる看護職の仕事がとても好きで、自分にあっていると感じていました。

中でも、淀川キリスト教病院でのホスピス勤務経験から、人生の最期を一緒に過ごすことに大きな責任とともに、看護師としてケアに関わることができるやりがいも感じていました。

二つ目は、我が子が小児がんになったことです。
息子が14歳の時に小児がんの一種にかかり、近所のクリニックに1か月通っていましたが、症状は改善せず、大学病院に連れて行った時には、頸椎の一部が溶け、脊髄損傷の一歩手前と言われ、即入院でした。

診断がつくまでの検査期間は、まさに薄氷を踏むような状況で、命は助かっても、私はもしかしたら一生、この子の介護をしなければならないのかもしれない、と親としての覚悟もしました。

幸い、息子は、成長して社会人になっていますが、当時、闘病中のお子さんのお母さんから、色々相談を受けることもありました。

また、息子が再発した時に仕事を辞めた時期があり、その時に海外で子どもホスピスを視察する機会がありました。

対象児は、LTC(命の脅かされた状態の子ども)という広い概念で、子どもの身体的苦痛だけではなく、心理社会的苦痛や家族にも焦点をあて、子どもの今を大切にしており、このような施設が日本にもあったらと身をもって感じました。

また、子供の場合、病気の種類がとても多く、小児がんの予後不良(2~3割)の場合は、余命宣告をされますが、先天性疾患などは、予後不良と言われても、医師でさえその時期はわからず、生後すぐに亡くなるだろうと言われた子どもが何年も生きることもあります。

大人と比べて、子どもは予後予測が難しいということがあります。さらに子どもは、予後不良疾患と言われても、日々成長しています。どんな状態のお子さんや家族にとっても、日々を生きる小さな希望が必要です。
子どもと家族の”今”を大切にする場所が子どもホスピスです。

一方、日本の大人のホスピスは診療報酬の関係から、余命6ヶ月でがんとエイズに限られ、積極的な治療はしない方針。

その方針に子供のケア(小児緩和ケア)を当てはめてしまうことはできません。例えば、小児がんの場合、症状緩和目的で抗がん剤をする場合がありますが、大人のホスピスでは抗がん剤は積極的治療とみなされできません。

また、血液のがんである白血病は、最期まで輸血が必要ですが輸血も積極的治療になります。
また、先天性疾患等で人工呼吸器や経管栄養などの医療ケアが必要で、在宅で親が24時間ずっとケアしないといけない、というケースもあります。

そういった方々が感じる心理社会的苦痛を少しでも緩和して、家族や両親が後から振り返った時に、できる限りのことをしてあげたと後悔を少しでも減らしてあげたいと思ってます。

空にかかるはしご~グリーフの会~の様子

ーホスピスでのご経験と、お子様のがんが重なって、子供ホスピスの必要性を感じられたのですね。現在ホスピスを立ち上げられている最中だと思いますが、現在の状況や施設のイメージをお聞かせください。

まずは2〜3組を受け入れられるホスピスを福岡で立ち上げるために、開設場所を探しているところです。市や議員とも掛け合っているのですが、なかなか場所が見つからず難航しているのが現状です。

ハードルの一つとして、「実績と信頼」があります。
今は仮施設として、場所を間借りして実際に対象の子供を受け入れ、実績を作るところから始めているところです。

ちょうど、プロジェクトメンバーの理事が子供の発達療育支援施設を営んでおり、土日は使用していないので、その施設を利用して難病のお子様やその両親を受け入れ、居場所となるような場所を作る予定です。

その他にも、今できる支援として、小児がんの在宅療養中のお子さんや、先天性疾患で入院中のご家族等からお問合せをいただくこともあり、親子の夢を叶えるお手伝いをしたり、病院と交渉し親子の思い出を作れるようなサポートなどもしています。

また、お子さんを見送ったご家族のサポートとして”空にかかるはしご~グリーフの会~という集いの場を定期的に開催しています。
私が施設を立ち上げることにこだわっている理由の一つとしては、これらのサービスを柔軟に提供したいという思いがあります。

昨年、中国地方に住む小児がんの末期で在宅療養をしているお子さんのお母さんから、お兄ちゃんの卒業祝に福岡に家族旅行に行く夢を叶えてあげたいから協力してほしいと連絡がありました。

施設がないので、ホテルをあたって願いを叶えるために尽力したのですが、ホテルだとチェックインチェックアウトなど時間の縛りがあったり、そのお子さんは、麻薬で痛みをコントロールしていたので、その時の状態次第で、柔軟な対応が必要でした。

この時に、拠点となる箱があれば融通がきいて、もっとやりたいことを叶えてあげやすいと思いました。

団体を立ち上げて10年になりますが、こうした方々に対しての居場所を作れるよう、1日でも早く施設を立ち上げられるようにメンバー一同努めていきます。

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以上、、NPO法人福岡こどもホスピスプロジェクト代表理事濵田裕子さんへのインタビューでした。

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私は「自分の家族を預けられる」ホスピスを立ち上げ中です。
そのための情報収集など細かに行なっているので、ホスピス選びに悩んでいる方は、無料相談を受け付けています。

下記メールアドレス宛にお気軽にご相談ください。
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