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解決が難しい苦しみに向き合い、誰もが支え合える社会の実現。めぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊先生インタビュー

みなさんこんにちは。ホスピスに特化して情報を発信しているりこです!

今回は約30年間ホスピスに携わり、述べ4000人超のお看取りをされてきためぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊さんへインタビューさせていただきました。

2017年「プロフェッショナル仕事の流儀にもご出演され、講演など幅広くご活動されている小澤先生が、なぜホスピスに携わるようになったのか、多死社会において必要とされることなど赤裸々に語っていただきました。

ぜひ最後までご覧ください!

めぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊さんプロフィール
1963年東京生まれ。
1987年東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。
1991年山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。
救命救急センター、農村医療に従事した後、94年より横浜甦生病院 内科・ホスピス勤務、1996年にはホスピス病棟長となる。
2006年めぐみ在宅クリニックを開院、院長として現在に至る。
2015年、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を有志とともに設立し、代表理事に就任。

ー小澤先生、本日はよろしくお願いします。まず小澤先生がなぜホスピスに携わるようになったのか、学生時代から振り返って教えていただけますか。

私が医師を志したのは、高校一年生の頃でした。

当時、将来どのような仕事を選んだら自分が幸せになれるのか、ということを考えていたときに、「キャンディーズ解散」という私にとってとても大きな出来事がありました。

解散時、彼女たちが発した「私たち普通の女の子に戻りたい」という言葉を聞いた時に、どんなに富と名声を得ても、本当の意味での幸せにはなれないと思ったのです。

そこで、「本当の幸せ」について考え、一つの答えに辿り着きました。

それは、自分がいることで誰かが喜んでくれたらそれは本当の幸せに近づくことができるだろう、ということ。

どんな仕事に就けばいいか考えた時に、初めは海外で困っている人のために青年海外協力隊などの仕事を頭に描いていました。

そんな時に、マザーテレサの言葉に出会いました。
「あなたは、あなたの住む地域で最も貧しい人を支えてください」と。

その言葉を受けて、私は日本で、自分がいることで誰に最も影響を与えられるか、と考え最終的に「医者」になることを決意しました。
命に関わる仕事がしたかった、そして目指すのであれば最終的に診断書を書くことができる医師になろうと思いました。

ー様々な方の言葉を自分の中に落とし込んで、葛藤がありながらも医師の道を進むことに決められたのですね。医師になるまでの道のりはいかがでしたか。

高校三年生の模擬試験は、合格可能性がことごとく5%。絶望的でした。

ですが、その時にも私を支えてくれた言葉がありました。
山口百恵さんの曲の一節、 「日本のどこかに私を待ってくれている人がいる」という言葉です。

それまでは、一人称「私」のための勉強で苦手な科目は後回しだったのですが、その言葉を聞いて「待っている誰か」のための勉強と思えるようになりました。

それからは勉強への姿勢が変わり、無事に現役で慈恵医大に入学することができました。

今振り返ってみても、学生時代の勉強は非常にハードでしたが、今患者さんと接し、看取りの時を迎えるときには、「高校三年生の時の苦しみはこの人に出会うためにあったのだ」と思えます。

ですから今何か壁に立ち向かっている人に対しても「今の苦しみはいつか出会う誰かのためにある。日本のどこかで自分を待っている人がいる」と伝えたい。
そう思えると、今の苦しみと向き合える可能性があると思っています。

慈恵医大卒業後は、山形大学の大学院に進学しました。

私が高校三年生の時の統計では、人口10万人当たり医者がたったの100人弱しかいなかった。ということは、医者ひとりの存在の意味が大きいと思ったのです。

「自分がいることで、誰かに喜んでほしい」そう思った時、それが実現できるならば、医療過疎地は当時の私にとって最適な選択でした。

ー医者ひとりの存在の意味が大きい、まさに先生らしい選択ですね。山形で救命救急センター、農村医療に従事されたのちに横浜甦生病院でホスピス勤務をスタートされていますが、ここの経緯をお聞きできますか。

ホスピスに関わり始めたのは、「"治すことのできない患者さん"としっかり向き合いたい。それが、これからの時代に求められる」と思ったからです。

医学部の4年生の時、どんなに勉強をしても経験を積んでも、治すことのできない病気はある、という事実を前になんとも言えない感情を抱いたのを覚えています。

そして当時より、当たり前に全ての患者に対して延命治療という手段が選ばれることに対して違和感を抱いていました。呼吸が止まれば、心臓マッサージや蘇生措置をして医者を待つのが当たり前。

一般病床では緩和は二の次で、コロナが流行った時には、緩和ケア病棟は全てコロナ病棟に変わりました。

ですが私は、助かることの難しい患者に対して、心肺蘇生などをするより、もっと静かな最期があってもいいのではないかという問いを持っていました。

そしてチームとして、人一人の最期まで誠実に関わることをもっと学びたいと思いホスピスに関する様々な学びを本格的にスタートしました。

そして横浜甦生病院に移った2年後にはホスピス病棟長を任せていただき、そこから10年間従事しました。

ー病棟長として10年ご経験を積まれたのち、2006年に独立をされて今のめぐみ在宅クリニックを立ち上げられたのですね。独立されてから新たに考えが変わった点などはありますか。

43歳の時に横浜甦生病院を卒業、4ヶ月働きながら開業準備をし、2006年10月の0時から往診に入り、そこからずっと走り続けていますが、当時の考えと今の考えは少し変わりました。

これまでは、自分の手の届く範囲にいる患者さんだけを見ていた自分がいましたが、私が訪問診療で見れるのは月50-100人。自分の手の届かないところで苦しんでいる方は星の数ほどいます。

だから、私の手が届かないところで、彼らに関わってくれる、「自分ではない誰か」を増やす取り組みがしたいと思いました。

そこで、2000年から担い手づくりの活動にシフトをはじめ、2015年には一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立し、医療・介護の従事者や、学校、企業向けの講座や、自ら伝えられる人を育てる活動をスタートしました。

ー私も協会の講座を受講させていただきましたが、現場未経験の私でもものすごく分かりやすく理解できたことを覚えています。そうした講座で先生がお話しされる時には、どのような話を意識されていらっしゃるのでしょうか。

私は講義をするとき「面白い・わかりやすい・真似したくなる」を常に意識しています。面白くなければ、わかりやすくなければ、真似したくなければ、スケールはしないからです。

その上で、私は、いつか誰もが迎える「死」そのものを伝えようとしているのではありません。「人はいつか死ぬんだよ。だから、死ぬ前に後悔しないように今を大切に生きていこうね」

ではなく、生きている人誰もが抱える「解決の難しい苦しみと、どう向き合うか」を伝えています。
 
ここでの問いは、「大きな苦しみを抱え、絶望を感じる人を前に、励ましも慰めも通じない、そのような状況において、どんなことがあると、本人も、関わる人も、穏やかになれるでしょうか。」
 
同じように、「みなさんのなかにも、"どうして私だけこんな目に遭うの?"と思っている人がいるかもしれませんね。そんな絶望のなかにあっても、もしかしたら次の瞬間笑顔になれることもあるかもしれません。」
 
というように、自分ごととして感じてもらえるような問いを投げかけるようにしています。

このような講座を通じて、誰もが半径5mの身近な人の苦しみに気づき支え合える社会を実現したいと思っています。

なぜなら、苦しみを早期に見つけることができたら、それだけ小さな力で対応できるためです。

火事は小さな火だったらコップ一杯でも火は消えます。ですが燃え広がったら、消防士でなければ消せなくなる。それまでに甚大な被害が生じるかもしれません。

人間も火事と同じ。苦しみが大きくなって、学校に行けない、職場に行けない、地域の誰にも会えない、そうなってからでは解決には時間がかかります。

実際に、自分の部屋の中に閉じこもって、どこにも行けない生活を送っている人はかなりの数いますし、不登校の子供は今34万人いるのです。

苦しいとはいえなくても苦しみがまだ小さなうちに、その苦しみに気づける人、分かってくれる人がいたら、もしかしたらその人の人生は救われるかもしれない。

ですから、このホスピスマインドは予防医学と似ています。

高齢の方や、病気を患っている人に限らず、社会が様々変化する中で、心の健康と向き合い健やかに暮らすことができる人を増やし、誰もが支え合えることができればより幸せになれる人が増えると私は確信しています。

ーホスピスマインドが予防医学と同じとは新たな発見でした。確かに苦しみを小さなうちから見つけ、苦しみを抱えた本人が「この人はわかってくれる人だ」と感じられる人が増えればきっとその社会はより豊かなものになりますね。そのほかにも小澤先生が普段患者さんに接する上で意識されていることはありますか。

患者さんと接する上で、「苦しいという気持ちが穏やかになること」がゴールだとすれば、それを実現するために、「ノイズを入れずにそばにいる」ことを意識しています。

例えば、Aさんが「入試の時に高熱がでた。もう受験ができないと思った。その時に亡くなった母が救ってくれたんです」とお話しされたとします。

私は「入試の時に高熱がでたんですね。受験がもうできない、と思ったんですね。その時に、お母様が助けてくれたんですね」と反復します。

するとAさんは「違うんです、"救ってくれた"んです」と否定します。

私が「救ってくれた」を「助けてくれた」と言ったこと、これが"ノイズ"に当たってしまうのです。

不登校の生徒からの電話相談を、事例として挙げてみます。

電話が来たときに「どうして学校に行きたくないの?」と聞くとガチャっと切られてしまうという話をよく聞きますが、

このような場合は、「学校に行きたくないんだね」まずは否定せずに相手の言葉をそのまま認めることが大事なのです。

このように患者さんのそばにいる時は、常に自分がノイズを入れてしまっていないかを確認しながら接するようにしています。

ーつい自分の意見を交えて「ノイズ」を入れてしまいがちですよね。私も今度実践してみようと思います。では最後に、今後の小澤先生の展望をお聞かせいただけますか。

今後の私の展望は主に2つあります。

1つは、在宅医療業界の質を高めることです。

都内の訪問診療では患者さんを"奪い合っている状況"で、その質たるものはかなり怪しいと感じています。

医学教育で習ってきた問題解決思考はすべて正解があって、正解探しをしている。いい点数をとる、試験に合格するための勉強をしてきた医師が大半なので、患者さんには説明して書類を渡しておしまいのケースが散見されます。

そのレベルで事業者の数が増えて行っても、患者さんが本当に幸せにはなれないと感じています。

そのため私は、解決が難しい人生の最後に何があれば人は幸せを実感できるか、の質を高める教育を推進していきたいと感じています。

2つ目は、「脱小澤」です。

小澤ではない人間に、このホスピスマインドを学んでもらい伝えて行ってほしい。
そのために地域の子ども支援団体とコラボをするなど、私の手の届かないところで苦しんでいる人にも届く仕組みを早急に作りたいです。

私じゃなくて、あなたにもできる、そう伝え続けていきたいです。

左:樽本、右:小澤先生

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以上、めぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊先生へのインタビュー記事でした。

小澤先生は24年12月に新著『あなたにもできるスピリチュアルケア』を出版されました。本文章でも少し触れた小澤先生のホスピスマインドをより具体的に知ることができると思うので、ぜひ読んでみてくださいね。

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私は「大切な家族を安心して任せられるホスピス」を立ち上げ中で、そのための情報収集など細かに行なっているので、ホスピス選びに悩んでいる方は、無料相談を受け付けています。

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