豊洲ふとうDiary
東京湾がいいねと部長が言ったから、11月19日は豊洲に釣りに行ってきました。
ゆりかもめの市場前駅を降りたのは11時を過ぎたころ。
バカみたいな快晴は今日限りで少しお休み、という予報の通りの空模様です。季節も晩秋というこの時期に、インナーにパーカー1枚という出立ちながら歩いているだけで汗が流れてきます。陽気に誘われてか行き交う人の数もそれなりにあった気がしますが、私が住む鄙びた住宅街の、取ってつけた様な歩道の10倍は下らない道幅の街路はそんなことを微塵も感じさせません。
「豊洲ぐるり公園」の遊具広場に着くと、間もなく先着していた2人と合流できました。幸先良い出だしか、と思いきやひとつ問題が。予定では公園内に出店しているという釣具のレンタル店から一式借りて始めるつもりだったのですが、肝心の店、というかトラックが影も形も見当たりません。狭い公園内のあちこちを見て回ったもののやはり梨のつぶてです。どうもおかしいということで改めて掲載されている情報を見直してみると、どうやら「ららぽーと」に向かう道の途中、ないし「豊洲公園」の中にあるようでした。目的地に向かうにはモノレールに乗り直すか、文字通り豊洲のふ頭をぐるりと回る必要があるようです。俄かにウンザリ感が漂いましたが、後続を待つ必要もあるし、他に何かやる事があるわけもないので、散歩がてら歩いて向かおうということになりました。
結果から言うとこの判断、私にとっては大当たりでした。上の写真からどれだけ伝わるかは不明ですが、この海沿いの遊歩道の横の広さは半端ではありません。幅は学生3人がダラダラ横に並んで歩いても3回はお釣りがくるほど、起伏もないので歩きやすいことこの上ないです。波の間に間にシャチの幻影を探す部長と、心地よく雑談を振るまうTと肩を並べながら、遮るものの少ない青々とした秋空の下、マスクのせいか匂いのしない海風に吹かれてブラつくのは想像する以上に爽快です。
道中たくさんの人たちとすれ違いました。ずらりと並んでフェンスの向こうに糸を垂れる老若の釣り人達、ひとり道の脇の段差に座って本を読む若者、カップル、子ども連れ、犬連れ、ランナー、etc・・・。自分が良い気分なものだからそんな風に思うのかもしれませんが、皆伸び伸びしているような、そんな雰囲気が漂っていました。そんな中ことさら印象に残ったのは、すれ違った車椅子ユーザーの多さです。私にとっては、もしかすると人生で一番多く見かけた日だったのかもしれません。彼/彼女達はいったい何処からこの公園へ来たのでしょうか?全員が湾の向こうにそびえる住宅に住んでいるというわけではないでしょうから、別の町から車か何かで来ていると考えるのが自然でしょう。しかし私の住む町では、それどころか隣の町のそれなりに賑わう駅前の繁華街でも、彼/彼女達らは日に一度見かけるかどうかといった具合です。気持ちの良い散歩道をすれ違ったあの人たちは普段一体どこにいるのでしょう?秋のよく晴れた日の、海に面しただだっ広く平坦な道は、普段窮屈に過ごしている人間の本当の姿がよく見える場所なのかもしれません。
目的のレンタル釣具店にたどり着いたのは、12時を少し回ったころだったと記憶しています。途中に似たようなトラックを見かけては近づいてみるものの、縁のないメニューと値段の立て看板を前にスゴスゴと引き下がること幾度、ようやく見つけたその店の場所は先述の「豊洲公園」の中でした。結局私たちはプランから一番遠い場所をわざわざ選んで集合していたという事です。
いい時間なのもあってご飯でも食べに行こうか、という話にもなったのですが、昼食場所として予定していた豊洲市場から結構離れた場所だった上、大分歩いたし、追っかけ組ももうすぐ来るだろうからその時皆で向かおうという事で、先に釣りを始めることにしました。とはいったものの私もTも釣りには全く心得はありません。部長の方も自宅から持ち込んできた釣り竿の肝心なパーツを忘れてきたせいか、それとも知識がどっこいどっこいだったのが原因か、3人ともどうも要領を得ず頭の上に?を浮かべて水面に垂らした糸の行方を見つめていました。その後も遠くに投げ込もうとしてみたり、団子状の餌(理由は不明ですが妙に甘い香りをしていました)を海に放り込んだりしてみたもののまるで手応えがありません。ですがまあ予想してはいたこと、魚釣りなんてこんなものだろうとあれこれと試しているところに、お客さんの元を巡回しているのか、先ほど竿を借りた釣具店の方が声を掛けてきてくれました。何の成果も得られていないこと、試行錯誤の最中にパーツの1つが忽然と姿を消してしまったことを話して謝ると、まさかここまでとは思っていなかったのか、一瞬面食らったような表情を浮かべた後、すぐに替えのパーツを持ってきてくれたうえ、丁寧に釣り竿の使い方と針を垂らすポイントまで教えてくれました。もうすぐ潮が動いてくるから食いついてくると思いますよ、と言って他のお客さんの元へ向かう店主に感謝を告げ、改めて釣りを始めます。大元の計画では竹に糸を結んだだけの、とてもリーズナブルでサステナブルな逸品を使うつもりだったのですが、致し方なくレンタルに切り替えたのは期せずして正解だったようです。
※本当にどうでもいい余談ですが、私たちが公園を徘徊することになった原因は公園の名称の紛らわしさのおかげでしょう。どういうことなのか説明すると、この公園について調べた際、Web検索でトップヒットするページ名が「豊洲ぐるりパーク」なのですが、これはこの一帯の公園の正式名称である「豊洲埠頭内公園」を言い換えたものになります。この「豊洲埠頭内公園」、東京湾に突き出した埋め立て地の周囲をぐるりと囲んだ遊歩道が中心となっている公園なわけですが、途中節くれの様に幾つか広場となっている場所があります。そのうちの一つの名前が先述の「豊洲ぐるり公園」というわけです。
もうお分かりになったかと思いますが、私たちは「豊洲ぐるりパーク」と「豊洲ぐるり公園」を混同してしまっていたのです。一望できる程度の敷地の中を、あちらこちらと探し回ることになった理由はここにあったわけです。
しかし何度考えても素晴らしいネーミングセンスです。やはり豊洲ともなると常人には真似できない感性を持った方がいらっしゃるのでしょう。「豊洲ぐるりパーク」と「豊洲ぐるり公園」の間に存在しているだろう、絶妙なニュアンスの違いを読み取ることは私にはとてもできません。一つ懸念があるとしたら、英語に直した際にどうやって区別をつけるのかというところでしょうか。
確かそれから少しばかり立った頃だったと思います。「なんか引いている気がする」と、Tが握った竿を持ち上げると、銀色の小さな奴がピチピチと身をくねらせながら宙に浮かんでいました。嬉しさと興奮と妙な焦りから、手袋を付けるのもトングで掴むのも忘れ、素手で針を外しにかかりますが、もちろん慣れていないので一向に抜ける気配がありません。身を捩らせて逃れようとする、妙に目が大きくて顎が細い魚を押さえつける手に銀色の欠片の様なものがくっ付きます。結局うまいこと外すことはできず、申し訳ないと思いながらも引きちぎるように針を抜き、海水を張った籠の中に急いで放り込みました。しかし手際が悪すぎたのでしょう、暫し体の片側を真上に向けながら弱々しく旋回した後、間もなくすっと底に沈んで動かなくなりました。罪悪感に感傷的になりかけますが、しかしアタリは待ってはくれません。Tが再び引き上げた竿先に掛かっていたのは、またも同じ魚ですが今度は2枚抜きです。それから先も次々と、確変に入ったTのロッドからは銀色の魚が同時に3匹、4匹とジャラジャラ流れてきます。途中ダイエットのため散歩をしているというご老人に話しかけられたり、私の軍手に針ががっちり食い込んで抜けなくなるというトラブルがあったりしなければ、青いビニール製のドル箱を一杯に出来ていたことでしょう。
さて、上の写真に写る魚はいったい何なのかというと、たまたま釣り上げる様子を見ていた先程の釣り具屋の店主曰く『カタクチイワシ』だそうです。有名な魚で私も名前こそ知ってはいますが、どこに住んでいるだとか、何に使っているだとかはよく知らないというありがちなヤツです。水産庁がH25に公表した資料によりますと、日本海北部を除く日本周辺全域に分布していて、食性は主に動物プランクトン。寿命は2年ほど、1年弱程度で成熟し厳寒期を除く周年で産卵するという、正しく海の生態ヒエラルキーの堂々たる土台といった存在です。産業用途としてはいわゆる普通の煮干しの原料であり、ドラ猫が掻っ攫うでおなじみのメザシの正体でもあります。また稚魚は私も好きなシラスとして食され、他の魚の餌としてはカツオ漁や養殖などに用いられたりしているとのこと。釣りという視点で見ると、サビキ釣りで上の写真の様な行列を初心者でも拝むことができるメジャーな存在のようです。ただ食用であれば構わないのかもしれませんが、非常に繊細な魚のようで鱗は手で触っただけで簡単に剥がれ落ち、釣り上げてもすぐに弱って死んでしまうようで、同じく神経が繊細な人間には少々相性が悪いかもしれません。食いもしない魚の口やらエラやらを刺し貫き、手を痛々しく剥がれ落ちる鱗で汚しながらバケツに放り込んでゆっくり来世へ旅経つさまを眺めるのも、そのまま海に投げ入れて見知らぬ振りを決め込むのも、突き抜けるような空の晴れやかさとはとても縁遠い気分になれること請け合いです。
そうこうしているうちにフィーバータイムも終了し、凪の時間がやってきます。そして1時もまあまあ過ぎた頃だったでしょうか、私たちが釣りをしている場所に後発組が到着しました。さてご飯だと内心意気込んでいた私に、やってきたAとKが告げたのは我々はもう軽く食べてきたから大丈夫、という衝撃の宣告でした。合流した時間こそ1時をとっくに回っていましたが、後発2人は12時半には既に豊洲についており、どこにいるのか分からない私達を探し回っていたのです。もちろん連絡をつけようとはしていたものの、こちらもこちらで先述の名前詐欺に引っ掛かっていてどこにいるのかよく分かっていないし、魚の針を外したり、お話し好きのお爺さんと喋っていたり、軍手に絡んだ針を外そうとして結局ハサミで切ったりと何かと忙しかったのです。時間も遅い、連絡がちゃんと取れていたわけではない、きっちり約束していたわけでもない・・・そう言われれば全てその通りです。しかしさぞ気持ちの良い食後の散策だったのでしょう、清々しくにこやかな雰囲気の二人を横目に、鈍色に汚れ血とぬめりで生臭くなった手をぢっと見つめる私の心に、ドス黒いものが沸き上がるのを責めることができる人がいったいどこにいるでしょうか?(反)
日の入りの時間までそんなにあるわけではないという事で、昼ご飯はスキップして釣りを続けることにしました。しかし持ち手を変えても、場所を変えても、餌を撒いても、いくら待てども竿が引かれる気配はありません。かかったところで嬉しいかと言われればそうでもないですが、余りにも暇なうえ寒くなってきたし、何より止め時が見つからないというのが問題です。レンタル代は割ればそこまで高価ではないとはいえ、交通費やら諸々もかかっているし出来れば一回くらい・・・というのもまた本音といったところです。駄弁りながら竿を垂らす私たちの後ろを色々な人が通り過ぎていきました。おもむろに私達のバケツの中を覗き込んでは、拍子抜けしたような顔で去っていく大人、残念そうにこちらを見つめる子どもの姿はなんだか腹立たしいような面白いような、何とも不思議な気分です。
突然ですが、釣りとディズニーランドの無視できない共通点とは何か?と聞かれたら何だとお思いになるでしょうか。勘のいい方ならすぐお気づきになるかもしれません。答えは「ほとんどが待っている時間」だという事です。行こうと思うなら必然、暇つぶしを用意しておかなければなりません。とはいえ現代人にはスマホがありますし、そうでなくても本やら音楽やら、とんでもないマニアなら自分の知識と目に見えるものを照らし合わせて楽しむという方法もあるでしょう。もちろん友人や恋人を持っていくという方法もありますし、むしろそちらの方が一般的でしょうが、ただ無視できないポイントがあります。それは何を話しながら待つのか、という事です。口から先に生まれてきたような天性のお喋りや、そうでなくても一般の人ならばなんの問題もないかもしれませんが、極一部の人間にとってこれほど過酷なミッションはありません。叩いて埃の出ない人もないでしょうが、塵埃に塗れている私の中でも特にひどい自覚があるのがこれです。釣り好きに誰かと話していないといられない人間もそうないとは思いますが、家族のように親しい人間以外と行くときは注意しましょう。ちなみにこの汚れを綺麗にする方法を私は常に募集中しています。タートルトーク辺りに延々へばり付いていればいいのでしょうか?
夕日が美しく雲を染めながら沈んでゆき向こう側の空から段々と夜へと変わっていこうかという最中、竿を持っていたKが俄かに騒ぎ始めます。引き上げられたその先には見覚えのあるフォルムが1つぶら下がっていました。苦節3時間、夕方からバイトを控えていた部長の姿は既にありません。安堵もあって思わず歓声があがります。しかしこれで満足するのは素人、再びのラッシュに突入だと再び竿を垂らすものの結局これ一匹限りで終わりました。しかしまあ上々でしょう。昼間とはうって変ってひどく冷え込んだ空気に身震いしながら、私たちのフィールドワークは終わりました。
P.S.
部長へ
あの時無くなったと思っていた黒いハサミですが、私のポケットの中から無事発見されました。お騒がせして大変申し訳ありません。この記事を書いている際に思い出しましたので、次お会いした時にお返しします。
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