どん底に聖☆おにいさん
今年に入ってから心身ともに調子がよかったのだけれど、やっぱりそれは突然にやってくる。
昨日はちょっと、というかかなりしんどかった。
腹立たしいくらい不快なことと、悲しくてつらくてどうしようもないことが同時に起きたのだ。
わたしは「怒」の感情が薄いので、それが芽生えたとしても突発的なもので持続はしないし、「むかつくー!」と冗談まじりに叫びながら発散することができる。
なので今日という朝を無事に迎えられたときには、前者はもはやどうでもよいものになっていた。
一方で「哀」に関しては敏感すぎるあまり、うまく扱うことができない。
恐れにも近い感情へと成長し、その後の人生を大袈裟に憂えてしまう。
現に後者のできごとが起き、一頻りわんわん泣いた後、「わたしはなぜこの地で、こんな暮らしをしているのだろう」と自問した。
起きた事実の把握と久々の号泣ですでに疲れきった頭の中には、自答にたどり着く余力は残されていなかったのだけれども。
咳をしても、爆笑しても、号泣してもひとりだということをひしと感じ入る。
伝えた後の相手の反応がこわくて(厳密には伝えることで相手を困らせてしまった後、自分がどう対処すればよいかわからないのが恐怖の源である)、このできごとを誰かに共有することもできない。
誰かに話すことで少しは気持ちは楽になるかもしれないけれど、実際まだそこまで心の整理がつかないし、軽々に誰かに話そうとする自分を許すことができない。
昨夜はいつも以上に夜が長かった。
この状態で思い詰めても何も進まないことはわかっていたので、とりあえず図書館で借りていた本を読む。
来週の火曜日までに残り2冊を読み切らねばならないのだ。
本の内容がおもしろいのはもちろんのことだが、ほかのことは何も考えてはならない、という謎の強迫観念が集中力を発揮させ、あっという間に読み終えた。いい小説だった。
それでもまだ眠るには早い。
そしてこのぽっかりと空いた心になにかを流し込みたかった。
家にいるときは基本的に無表情のはずだが、いつにも増して顔面が凝り固まっているのを感じ、なんとなくNetflixを開く。
こんなときに不謹慎だとどこからかお叱りを受けそうな気もしたが、今のわたしには、くだらない笑いが必要だった。
本能がそれを欲していたように思う。
流し始めたのは染谷将太と松山ケンイチが主演の「聖☆おにいさん」。
予備知識として持っていたのはギャグ漫画が原作ということくらいであらすじも全く知らなかったけれど、たぶんちょうどいいくだらなさだろうと思って選んだ。
ほんとうにくだらなくて、助かった。
緩急がなくて、ずっと「緩」だった。わたしが笑っても、笑わなくても、ふたりのぬるっとした空気感が流れている。
ただただそこでしょうもないストーリーを繰り広げてくれているだけで、ありがたかった。
福田監督の作品は、くだらなくてしょうもないものが多い(褒めてる)。
素面で観ると少し寒気がするときもあるけれど、このくだらなさは昨日のわたしのようなどん底にいる人のために存在するのだろうと、初めて当事者として知ることができた。
はちゃめちゃな作品を世に送り出し続けてくれることを、心から感謝した。
気持ちのいい朝だ。
後ろ髪を引かれながらずるずると布団から出て、洗濯をした。
喉の痛みが増していたので、はちみつと生姜とレモン汁をお湯に溶いたものを飲んだ。
こうやってなんでもない1日が始まり、終わり、また明日がくる。
昨日に取り残されないように、聖☆おにいさんを摂取しながら心の栄養を補給しよう。