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産前最後の食っちゃ寝生活 - 2025年2月前半の日記
2023年9月生まれの娘くんちゃんと、穏やかでちょっとおかしな夫ゴジくん、そしてお腹にやってきた第二子とともに暮らす日々の記録。
2025/02/01
ゴジくんにくんちゃんを任せて一人時間を堪能するぞ、と意気込んでいたのに計画倒れ。里帰り出産に向けて明日実家へ移動予定だったのだが、まさかの雪予報で今日のうちに移動することになったのだ。
一人でランチとお茶をしてから美容院に行くはずが、普通に家で昨夜の残りの豚汁をかき込み、ゴジくんとくんちゃんとスーツケースを携え移動する。二人とは途中で別れてスーツケースをロッカーに預けて美容院へ。産前最後の美容院はさすがに外せない。カット・カラー・トリートメントで丁寧に整えてもらった。眠すぎてうつらうつらしてしまったけれど、ほんのひとときでも一人になることができてよかった。髪もほぼお任せだけどいい感じ。次はいつメンテナンスに行けるかな。こうしてまたひとつ「産前最後」が消えて、「産後初」に近づいていく。
軽くなった頭と重い腹と激重スーツケースを抱えてできる限りの速さで実家に向かう。駅までゴジくんが迎えに来てくれた。くんちゃんはわたしが現れても特別喜ぶでもなく、すっかり馴染んでいる。今夜はゴジくんも泊まるので、夜遅くまでママパパばあばじいじが賑やかにやっているのがよっぽどうれしかったらしい。普段なら寝ている時間にテンションぶち上げで眠くなる気配ゼロ。なんとか寝かしつけても、すぐに激しい夜泣きが始まった。抱っこはわたし以外受け付けず途方に暮れるばかり。やたらと母の部屋や玄関に行きたがるのでウロウロすると、やっと少しずつ落ち着いてきた。と思ったら、今度は完全に覚醒してキャッキャと遊びだす始末。このときすでにテッペンを越えている。え、このままオールですか? 若さがこわいよわたしは。ひたすら電池が切れるのを待ち、眠そうな雰囲気を出した瞬間にお布団へ連れ込むとパタリと寝てくれた。このまま9時くらいまで寝てくれないと採算が合いません。よろしく頼むぜくんちゃん。はあ、長い一日だった。
2025/02/02
雪は降らなかったが、朝からしとしと雨が降り続いた。外は寒そうだし、やっぱり昨日のうちに実家に来ておいてよかった。
昨夜のくんちゃんの激しい夜泣きと慣れない布団と身体の痛みで全然眠れず、さらには両脹脛をこむら返りにやられて朝から満身創痍。くんちゃんの相手はゴジくんと両親に任せ、わたしはひたすら椅子に座ってその様子を眺めていた。彼女が一人っ子としてこの場の全員の愛を一身に受けられるのも、残り数週間か、数日か。この時間を大事に過ごさないとだね。
それにしても、今日はあまりにも動かなさすぎたな。実家暮らしはリアルに食っちゃ寝生活ができてしまうからよろしくない。明日からはちゃんと適度に運動しよう。
2025/02/03
妊婦健診へ。赤ちゃんがでかくなりすぎて毎回驚かれる。お腹の見た目にも大きめらしい。もう2971gですって。まだ35週なんですけど。エコー写真によると来週には産まれるサイズのようですよ。とはいえ、大きいからといって早く出てくるわけではないそうだ。前回の出産が破水スタートだったから今回もそうなる可能性があるけれど、逆に破水がないままなら39週頃に陣痛促進剤を使ってお産を進めるかもしれないとのこと。くんちゃんのとき4時間半ちょいの超安産だったのは、小さめベイビーだったからなのかな。経産婦は初産の半分くらいの時間で産むと聞いていたけれど、巨大児なら話はきっと別。2時間で産まれるとするとゴジくんが立ち会いに間に合わない可能性が高いが、難産になることで間に合ってくれるやも、、? それはそれでうれし、くはないか。わたしも赤ちゃんもできるだけ苦しまずに安産でありたい。とりあえず身体が重すぎて痛すぎてしんどいから、できるだけ早めに出てきてほしい。できるだけわかりやすく、できるだけゴジくんが駆け付けやすいタイミングで頼みます。
2025/02/04
最後に会ってから気づけば2年以上が経ってしまっていた友人と再会。映画『サンセット・サンライズ』のペアチケットが当たり、わたしと観るためにわざわざ実家近くまで出向いてくれたのだ。お互い地方移住経験があるため、この映画を一緒に観たいと思ってくれたそう。なんともうれしい限りだ。
東北の震災、コロナ禍、地方移住、空き家問題、とてんこもりな映画だったけれど、クドカン脚本と主演の菅田将暉くんの軽やかさ、爽やかでとても後味のいい作品に仕上がっていた。もちろん、地方特有の課題について現実味のない部分はたくさんあったものの、登場人物たちに幸せであってほしい、という気持ちの方が大きくてあまり気にならなかった。ほっこりじわっとあたたかい、温泉みたいな映画。観てよかったなあ。
友人と会えていなかった期間にあったことを喫茶店でぶわーっと共有し合った。彼女が幸せそうでわたしも幸せ。彼女ががんばっていること、向き合っているもの、全部応援したくなる。年下のくせに偉そうで申し訳ない、けどほんとうにそう思うんだ。また近いうちに会えますように。今度は彼女の拠点に遊びに行きたい。それまで、少し早めの出産祝いとしていただいた手作りのスタイを大事に使わせてもらおう。
2025/02/05
あまりにも暇。もう出産以外に予定がない。予定は未定なのだけど。両親がくんちゃんの面倒を見てくれるし、料理も掃除も洗濯も何もかもやってくれるのでただただゆっくりしている。これまでの妊婦健診ではわたし自身の体重について特に指摘されてこなかったけど、最後の最後で思いきり注意されそうなくらいの食っちゃ寝生活。動かず食べるだけって、さすがに太るよな。いや、じっとしているのも退屈だし、散歩に行きたいという気持ちはある。あるのだよ。けど寒いんだもん〜。なんて甘ったれである。
ただ、肉体が暇すぎるおかげで頭を動かす余裕があるのはいいことだ。考えることを後回しにしてしまっていた企画をもくもくと進めた。まだまだ思考は深まっていないけれど、まずは進めることが大事。産後はますます使いものにならないだろうしね。今のうちにできることはやっておかないと。
2025/02/06
外に出なければ〜でも寒そう〜〜と朝からうだうだしていると、父が図書館に行くと言う。せっかくの外出チャンスなので一緒に行くことに。心の奥の方に反抗期中学生の自分を飼っているわたしとしては、父に対して自ら「一緒に行く」と言い出すのはなかなか勇気がいった。照れ隠しに、くんちゃんに向かって「お散歩行こうね〜」と添えてしまう。あくまで「せっかく」であり「ついで」なのだと。まあ、そんな葛藤があったことなんて父はつゆ知らず。普通に一緒に行って帰ってきた。恥ずかしいのは思春期を引きずるわたし自身だ。
ひとまず3000歩ほど歩けたので満足。本来ならその2倍か3倍は歩かなければいけないとは思うのだけど、無理がある。お腹の重みに圧迫されてお尻が痛い。歩くたびに骨があかん感じにゴリゴリされるのだ。前回の妊娠後期はここまで痛くはなかったはず。たしかに鼠蹊部は痛かったけど、それよりも何よりも痔が痛かった記憶。座っているより歩き回る方が楽だったなあ。もちろん今回も痔はしっかり存在しているものの、それを上回る骨の痛みが帳消しにしてくれている。はあ、なんでもいいから早くすべての痛みから解放されたい。。
2025/02/07
昨日のくんちゃんは朝から晩まで不機嫌で、一生グズグズと抱っこを求められ疲労困憊であった。不機嫌な理由はよくわからなかったが、昼寝の時間が短かったのが大きいと思われる。今朝は起きた瞬間からご機嫌で両親とともにほっと安堵。今日こそはしっかり昼寝をさせてやるぞと息巻いたが、そんな大人の都合は通用しない。眠そうな素振りを見せた瞬間に昼寝へと誘導しようとするとギャン泣きで抵抗され、見事なまでのデジャヴを感じた。わたし、今日から一応臨月妊婦なんですけど〜。。そんな言い訳は届くはずもなく、耳元で泣き喚く10kgの1歳児をひたすら抱っこし続けたのだった。
途中で母にバトンタッチし(ありがた申し訳ない)、夕方からは福岡から遊びに来た友人とごはんへ。昨日突然連絡が入り、急遽会えることになったのだ。うれしいサプライズ。仕事の話も、子育ての話も、パートナーの話も共有できてほっこり。わたしが彼女と旦那さんを引き合わせ、結婚の証人にもなったことを会うたびに感謝される。お二人が幸せそうでわたしも幸せです。今日会えたのはほんとうにたまたまだけど、このタイミングで会えてよかった。次は福岡で会えるといいなあ。
2025/02/08
土曜日。といっても今のわたしに曜日は関係ない。ゴジくんが実家に来てくれるかどうか、それだけが大事なのに、夕方まで答えがはっきりせずイライラして過ごす。くんちゃんはパパに会いたいはずなのにね。結局来てはくれたものの、もうお風呂の時間。本人に悪気はないのだが(それは間違いない)、そのマイペースさにときどき腹が立ってしまう。ゴジくんのなかで流れる時間とその概念が異次元すぎて、わたしの理解が追いつけないのだ。
午前中、母とくんちゃんと買い物ついでに公園に遊びに行った。こぢんまりとしているけれど、遊具は充実していて多国籍な親子連れがたくさんいる。さすが都会。くんちゃんはめでたく滑り台デビュー。楽しさとこわさが半分半分、というような反応だ。母が張り切ってブランコやバネで揺れる遊具に乗せようとするも、それは苦手らしい。とにかく歩き回る方が楽しいみたいで、公園内を縦横無尽にひたすら移動しまくっていた。本人が満足ならそれで十分。わたしの運動にもちょうどいい。実家から近いし明日パパとまた行こうかね。
2025/02/09
くんちゃんにいつもより30分ほど早く起こされるも、精神的ダメージが少ないのはゴジくんがいるから。子育てパートナーとしての彼の存在の大きさを改めて実感する。
午前中、三人で昨日の公園へ散歩に行った。昨日は一人で盛り盛り歩いていたくんちゃん、今日はやたらとパパと手をつなぎたがる。せがまれるまま要求に応えるゴジくんに「あんまり甘やかさないでよ」と苦言を呈してしまったけれど、1週間パパと会えないのはやっぱり彼女なりにさみしいのかな。くんちゃんが赤ちゃん返りに片足突っ込んでいる今は、思う存分に甘えさせてあげるべきか。1歳児に自立を急かしてしまいがちな自分に、ちょっと反省。
午後はおうちでゆっくり。お昼寝をして、おやつを食べて、『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』を見ながら歌ったり踊ったりして遊び、夜ごはんを食べて、あっという間にお風呂の時間。パパに会えるのはまた1週間後だ。来週はちゃんと朝から来てよ、と釘を刺しつつ、くんちゃんとともにゴジくんにバイバイをする。くんちゃんは満足気にすぅっと夢の中へ。パパに会えなくて一番さみしがっているのは、結局わたしなのかもしれない。
2025/02/10
暇だ。今日もやることがない。朝が始まると軽く絶望する。外に出て動きたいけど、身体がしんどい。パソコンやスマホに向き合って仕事をしたいけど、くんちゃんに邪魔をされる。本を読んだりドラマを観たりするのも同様。こうしてできない理由ばかり挙げ連ねてしまうのは、心がよろしくない状態にあるということ。はあ、、どうしたものか。自己嫌悪しつつ、重い身体を椅子に沈めながら元気に遊び回るくんちゃんを眺め、夜がやってくるのをひたすら待つのだった。
くんちゃんの癇癪が一番ひどいタイミングは、「眠いのにうまく眠れない」ときだとばかり思っていた。眠いなら寝ればいいのに、、なんて不毛なことを思いながらなだめるも、だんだんこちらが疲れてきて結局泣かせたままにしてしまうのが常。そんな話をすると、母は「眠いけど、ギリギリまで遊びたいんだろうね」と言う。目から鱗である。眠い=寝たい、とばかり思っていたけれど、そうじゃない場合もあるのか。眠いけど、寝たくない。まだまだ遊びたい。彼女の身体と心が闘っている。それがくんちゃんの癇癪の正体なのだ。完全に見誤っていたなあ。正体が判明したところで、対応に逐一気が滅入ってしまうのに変わりはないのだけど。
明日は何をしよう。世の中は祝日らしい。
2025/02/11
早朝、トイレに行こうとしたらくんちゃんが起きてしまい撃沈。毎日休みだし平日も休日も関係のない生活なのに、祝日に早起きしてしまうととても損をした気分になる。いや、くんちゃんは悪くないのだよ。もちろんお腹の子のせいでもなく、わたしの膀胱ちゃんが貧弱だからね、しょうがないね。
ここのところ頻尿に拍車がかかっている。夜中は1〜2回、日中は1時間に1回、ひどいときは30分に1回はトイレに行っている。さっきトイレに行ったばかりなのに、すーーぐまた行きたいような気分になるのだ。妊娠中期頃は単なる脳の勘違いであることがほとんどだったのだけれど、後期に入った今は、実際トイレに行くとしっかり出てきたりするから不思議。いくらなんでも新陳代謝よすぎるだろ。
今日で36週と4日。あと3日で正期産だ。膀胱が圧迫されているのも、出産が近づいている印のはず。でもなんだかいまいち近づいている感がない。なぜならこの期に及んで時折胸焼けがするからだ。赤ちゃんが降りてきて胃が空く、とは真逆の現象が起きているのである。くんちゃんが37週3日と早めに産まれてきたこともあり、今回も早いだろうとたかを括っていたけれど、もしかしたら下の子ちゃんはお腹が居心地いいタイプ? 大きさとしても育ちすぎちゃってるし、くんちゃんはまだまだ一人っ子を謳歌したそうだし、お腹にいた方がみんなハッピー的な?? まあ、好きなタイミングで出てきてくれていいのだけど、ね。心の準備をしっかりして待ってるよ。
2025/02/12
暖かくなる予報だったので散歩にでも行くか〜、と思っていたのに面倒くささが圧勝してしまって結局行かずじまい。一応、罪滅ぼし的にスーパーに行って軽く買い物だけした。けれど、さすがにそれだえでは全く罪が滅ぼされた感じがせず焦る。明らかに摂取カロリーが消費されていないし、成人女性としても妊婦としても運動が足りていない。
そこで苦し紛れに試みたのが、くんちゃんと一緒に家の中を歩き回ること。くんちゃんは一日中動き回っている。過ごし慣れた空間でも毎日飽きずにあっちへこっちへウロウロウロウロ。ひとところに留まるなんて、食事中と睡眠中くらいじゃなかろうか。
案の定、運動不足を察した(?)くんちゃんがわたしの手を取り楽しそうにあちこちぐるぐる連れ回す。そのうえ今日はなぜか掃除機を一緒にかけることにハマったようで、ルンバのごとく隅々まで延々と掃除するのに付き合わされた。コードレス掃除機を片手で持ち、くんちゃんの身長に合わせて中腰で歩き回るのはなかなか骨が折れる。しかしながら、かなり歩数を稼げただろうから達成感も得られていい運動になった。明日もこの調子で室内散歩をがんばろう。あと、ついでに『からだダンダン』体操をガチでやってみることにした。ちゃんとやれば結構いい運動になるはずだ。まあ、外に出て歩けばいいだけの話なのだけど、ね。
2025/02/13
朝起きた瞬間に感じる暖かさ。ここのところずっと寒かったのに、明らかに様子が違う。よっしゃ今日こそお散歩チャンスだ。己の直感を信じ、面倒くささに負けないうちに準備を済ませ、なんとかくんちゃんを連れて外に出る。
が、外にはとんでもない爆風が待ち構えていた。いや、ほんとうは家にいるときからわかってはいたよ。砂埃が上がる景色が窓から見えていたよ。けれど今日はお散歩をしっかりして自分を褒めてあげたかったのだ。心が折れたらすぐに帰ろうと決めてなんとか前に進む。目指すは新宿御苑。くんちゃんを出産したときにも作った年パスを再度発行し、身の危険を感じるほどの暴風を受けつつとりあえずスタバへと向かった。わたしはすでに心折れそうだったけれど、くんちゃんは風に手を伸ばして楽しそう。子どもは風の子ですね。残念ながらわたしは風の子でもなんでもないので、スタバで軽く一服した後、即帰宅した。なぜこんな日に外に出たんだと後悔の念が暴風のごとく押し寄せたが、人並みに歩いたしよしとする。それを免罪符に帰宅してからはひたすらゆっくり過ごした。明日は今日より暖かく風は弱いみたいだけど、なんやかんやと言い訳をして家に篭るのだろうな。
2025/02/14
バレンタインデー、だけど何も関係ない。ハロウィンと同じくらい興味がない。SNSを見ていると意外と世の中が盛り上がっていて驚く。みんな季節イベントを楽しんでいて素晴らしいなあ。きっと生活にハリが出るよね。
「平成女児チョコ」なんてことばがトレンドに上がっていたけれど、たしかにそんなものを作っていた時代がわたしにもあった。好きな男の子を想ってがんばって作ったのに、結局渡す勇気が出ずに義理チョコとしてそのへんにいた男子にあげちゃったりしたな。甘酸っぱい思い出。ハリしかない毎日を送っていたあの頃は、当たり前だけど「今日もハリがあるなあ」なんて思わないのだよね。
今日は予報通りとても過ごしやすい一日。なぜ昨日散歩に行って、今日行かないのだろうか。自分でもわかりません。そんな非合理的で怠惰で悠々自適な生活を送れるのも、残りわずか。ハリは一切ないが、大人になった今、これこそが究極の贅沢ともいえるだろう。今日から正期産に入ったようだけど、妹ちゃんにおかれましてはもうしばらくお腹の中にいていただいて、お互いのんびり過ごしませんか。「早く出てきてほしい」と言ったり「まだ出てこなくていいよ」と言ったり、勝手なママでごめんね。許してね。
2025/02/15
土曜日。先週ゴジくんに「来週は朝から来てね」と釘を刺したはずなのに、昨夜時点で14時到着予定だという。午前中に掃除洗濯をしたいから、とのことなので一旦は納得したものの、結局実家に来たのは17時。どういうこと? しかも遅くなるという連絡が来たのは15時過ぎ。どういうこと?? ゴジくんの時間に対する甘さ、というよりわたしとくんちゃんに対する甘さにさすがに呆れ果てた。到着時に苦言を呈すると多少は申し訳なさそうにしていたが、その後はあっけらかんとしていて怒る気力も失せてしまった。が、心の中では続々と湧き出てくる罵詈雑言。マイペースすぎる彼に期待するだけ無駄だし結局自分か傷つくだけなので、期待すること自体を諦めたくなる。けれどほんとうに諦めてしまったら家族として終わる気がする。あーあ、出産間近のこんなタイミングでモヤモヤしたくないのになあ。
明日はゴジくんにすべてを任せて4時間ほどおでかけ予定。用事を入れた先週あたりから、両親と「出先で破水しないでよ〜」「その頃には産まれてたりして笑」みたいな話をしつつ、まあきっと大丈夫だろうという根拠のない自信があった。が、さっきトイレに行くとゼリー状のおりものが出現。調べると粘液栓というもので出産が近いサインらしい。ま、まじか。頼む、まだ明日は出てないでくれ、、!
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