2025年の目標、あるいは枷

 本日は二〇二四年最後の大開運日(さらっと調べただけなのでどのぐらい凄いのかはわからないが)ということで、来年の抱負・目標を立てることにした。

 まずは、事業にしたいと思っていることについて。
 私は、何を目指しているのか、何をやりたいのかイマイチ確立していない。趣味はあるが、金になるかはわからない。仕事にしたい(しても苦痛ではない)ことを自分でも理解していない。
 だから、趣味で使った金の元を取ってみようと思う。
 私はハンドメイドが好きだ。作品を見ることも、作ること自体も嫌いではない。それに限らず、クオリティを考えずに黙々とこなす作業が好きだ。
 故に、作品を原価と少しお小遣いが入ればいいな、程度で販売しようとしているのだ。 
 ビジネスにするならば、ある程度は需要を考えなくてはならない。そのため、作品を一ヶ月に一回はショップに作品を追加して販売したい。そして、ある程度人が求めるものを理解したいし、自分で好きな作業を見極めたい

 次に、勉強について。
 先日書きなぐった通り、私は簿記の勉強をしている。
 はじめは来年の(二〇二五年)一〇月に準二級の試験を受けようと考えていたが、それについて全く詳しくない者がいきなりとるのは難しいと気が付いたため、その時期に三級の試験を受けるよう準備することにした。
 合格したらその半年後に準二級の資格を取りたい。
 また、先述のハンドメイド事業について、いくら小遣い稼ぎとはいえ、お金の計算ができないと駄目だと気づいた。そのためには、記帳の仕方を学ぶべきだと思った。
 これは親に言われたからではない。自分で思いついたからやっている。それだけでも、お盆頃に止まりかけていた私の未来に対する展望は、重量制限ギリギリで動いている手動のトロッコが如く、ゆっくりだが進んではいる。
 傍から見れば、動いていないかもしれないが、私にとっては大きな進歩なのだ。

 閑話休題。
 一日の勉強ノルマとして、最低二十五分は頑張りたい。ポモドーロ法というものがある。三十分一セットで、二十五分間が実働時間で休憩を五分挟むという時間管理法だ。
 今まで勉強してきた中で、この方法が私に一番合っているように思う。
 そして、自然音BGMなどがあると最高だ。無い時に比べて、とても集中できる。
 これを活用し、サボらずに毎日頑張りたい。

 最後に、このアカウント、文章を書くことについて。
 文章を書くことは好きだ。書かずにはいられない。別に誰かに読まれたいわけではないが、もし、読んでもらえるとして、正しく(私が伝えたかったことを何も捻じ曲げられず、綺麗に)伝わっているかどうかは別だ。
 故に、書く力、まっすぐに伝える力を鍛えたいと思った。
 そのため、アルバイトのない日は、短くても文章を書いて投稿して、野球でいうところの、ノックの様に練習をすることにする。
 一日最低でも百文字。つぶやきでも可。上限はなし。投稿をしないものの、何かしら書いたときは、進捗を投稿する。時間は基本午後五時。それが難しい場合は午後七時。投稿することが難しそうな日は、正午までにその旨を投稿する。

 ここまで書いて、決めた。私は来年、目標だけに縛られて生きていく。
 それ以外は何も枷がない状態で、何にも縛られずに生きていきたい。当然ながら法や秩序というものが社会的ルールとして定められているため、そこから逸脱することはできないが、私の中にある私のための枷というものが確実に存在する。
 学生時代に積み上げてきたものや、人との信頼関係、ネガティブ思考に、ポジティブ思考……すぐに思いつきはしないけど、確実に何かに縛り付けられている。
 いや、そう考えること自体が「縛り付けられている」ということなのかもしれない。
 ともかく、日々の苦しみから、生きている以上逃れられない恐怖が、私の中を支配しようとしている感覚がある。
 それに勝つ、唯一の方法は、走り続けることだ。或いは、走ることによって、目を背け、忘れているだけかもしれない。
 だが、私は目の前をまっすぐ見つめるしかない。走ることしかできない。
 『闇の中へ駆けだし、姿を消す』などという大それたことはできないが、一時の苦しみから逃げることはできる。少なくとも、今の私には変人のふりをして、ダウナーな気配など感じさせないようにして、自分の中にある苦しみから目を背けることしかできないのだ。

 今回のまとめとして、「来年は、そんな苦しみすらも私を構成する一部だと認め、その苦しみを枷と感じないようにする」という結論を仮設定し、締めとさせていただきたい。


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