見出し画像

表現とは何か、スカートを縫いながら考えていた

通販でスカートを買った。真ん中にスリット入ったデザインで、6回目くらいで裂けた。捨てるか悩んで一度ゴミ箱に入れた。やっぱり取り出した。裂けたところを切ってしまってミニスカートにする。切りっぱなしではほつれるので、並縫いする。思ったほど時間はかからなくて30分ほどで1周した。出来はそれなりだ。

大学1年から2年にかけてファッションショーをやるサークルにいた。その時も服を作った。ちなみに、小学生のころはプロジェクトランウェイというドキュメンタリーが好きだった。ニューヨークでファッションデザイナーの卵が切磋琢磨する。私も彼らのようになりたかった。専門学校に興味があると言ったら親に渋い顔をされて、やめた。

表現することが好きなんだね、と友達に言われた。私は大学に入り映画を撮った。中学時代には演劇をやった。声楽も1年くらい。絵も習った。サークルで服も作った。脚本も書く。ミュージックビデオを2本撮った。もちろんどれも自分の力だけでやったことではないけど。

表現することが好きなんだろうか私は。何か違う気がする。その言い方だと、何かを表現したいという気持ちがあって、その後に手段を選んでいる気がする。そうだったことはない。脚本を書くのが楽しいから書くし、手作業で服を縫うこともきらいじゃない。私はだいたい、手段のことがいつも好きなんだと思う。自分自身にすーっと没頭するときの感覚とか、人のアイデアと自分のアイデアが混じったときのきらきらとした感動とかが好きだ。

多分、どうしても訴えたいことがあるかと言われるとない。訴えたいことは、手段の中に生まれてそれがだんだん存在感を増してくる。そんな感じだと思う。

手段が好きというのは浅はかだろうか。好きなことをやれ、好きなことを見つけろ、というけど、「やりたい」の理由が「好き」だけではいけない、そんな風潮を何となく感じる。好きだからやりたい、それだけなのに、突き動かす強い衝動とか、人を納得させられる論理性とか、世の中への貢献とか、要るのだろうか。そんな私はもちろん、まだ卒業制作のテーマなんてものは決まってません。助けてください。嘘です。もう少し自分で考えてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?