きみと見る風景
日曜日のベストは、少し伸びきった午後の端っこで、気の知れた友との再会をアルコールと共にささやかに祝うことから始める。
特に、ここ最近の夏の気候のおかけで時間はたっぷりあるから、店を変えながら杯を重ねる。
場所が変われば、話題も変わる。
街の空気を吸い込みつつ、気がつけば人が増えたり、あいつどこ行っちゃったんだとかなったりしても、とにかく流れていく。きっとあいつは今頃、夢でハバナのビーチだ。
そして、最後には酔いを覚ますための風呂に行く。サウナと水風呂があれば文句なしだ。7日目の身体がゆっくりと洗われ満たされていく。
夢のひとつやふたつを語っては、今日見た月は忘れないでおこうなんて思う。
きっと誰もが、自分たちが今日はこの街で一番イケてるなんて思えた夜があっただろう。その時笑い合った友の表情や見上げた景色を、僕たちは心の大事なところに閉まっておく。
日本の伝統的な建築では、建物の中から自然がどう見えるかが一番に考えられているらしい。普通、デザインでは外からの見た目が大事で、外観で建物がどう見えるかを考える。
しかし、それは西洋的なもので、日本では元より中からどんな景色が見えるかという視点で建物をデザインしてきた、と言っていたのは隈研吾だ。
それぞれの場所にある個性、そのトポロジーが世界を彩る。
ピッチの上には、サッカーをプレーする人間にしか見えない景色がある。
あるいは、サッカーを通して世界を見たらどうだろうか。そこで生まれた音楽や絵はどんなものか。そうやってスタジアムがデザインされた事も、おそらくないだろう。
最近、僕がサッカーを続けていることを話した時に、
「それは素晴らしいことだよね。誰にでもできることじゃないから。」
と言われた。
そうか、サッカー選手として見る景色は特権なんだ、と思った。だからこそできることがあり、もっとサッカーはサッカー周辺、あるいは全然関係のないところとも繋がっていかなければいけないと思った。
中から外を見れば、きっとやるべきことがたくさんあるはずだ。
サッカーを愛している仲間を大勢知っているから、あるいはサッカー以外にもそうやって何かに夢中になって日々と戦ってきた多くの人たちにも同じように、これは僕からのスピーチだと思って聞いてほしい。
全てのプレーヤーたちよ。世界は、1人でどうにかするには広すぎるかもしれないが、きみは偉大だ。ステージはきみのものだ。大げさじゃなく、今この場所から明日は生まれていく。
はっきり言って僕はきみのプレーに魅了されている。僕らが手を組んだらと考えるだけでワクワクする。一緒に夢を見て、成長し、いつか世界をどうにかしたいと。
僕らはこの試合に勝たなければいけない、きみもそう思うだろう?