デル・ピエロ・ゾーンを見つけた男
年末年始の忙しい時間が流れ、そうこうしているうちに初詣にも行くことができていなかった。あるいは、昨年に不幸が起こったというのも1つにはある。あまり宗教に詳しいわけではないが、どうやら僕たちは不浄の身ということらしい。
ようやくになって新年のご挨拶に向かったのは、1月12日のことだった。その帰り道、この神社の成り立ちについて聞かされた。今はないが、その昔この僕が生まれた病院の隣に位置していたこの神社がどうやってこの土地に来たのか、ここはどういう場所なのか、そんなことを聞いたのは初めてだった。それはこんな話である。
当時、ここ武蔵の国には仲の悪い2つの神社があった。
お互いに争っていたのだが、遂には1つは1つを追い出してしまった。
しかし、あまり遠くに行かれても、後に謀反を起こされるのがこわいと、目の届く場所に置いておこうと、そういうことでもう1つは今の土地に追いやられた。
争いに負けてしまった神社は、全てを請け負うことになった。つまりは、全て、不浄だとか悪鬼だとかそういうもの全てを請け負ってしまう、それがこの土地に定められた運命なのだ。
僕が住むこのまちの話である。みんなが知っているとも知っていなくとも、そんなことは関係なしに刻まれた歴史。土地の記憶だ。
しかし、それを聞いた僕は何とも嬉しくなってしまった。脈々と意志は受け継がれ、僕もこの地に生まれたというわけだ。
正統の道を外され、悪いものは全部吸い込んで、反抗する精神。気分は最高だ。
一方で、サッカーをプレーしてピッチの上に記憶を刻んだ男がいる。
彼は、ゴールに向かって左45度のペナルティエリア付近に自分の“居場所”を見つけた。そこで彼がボールを持てば、誰が止めに来ようとも、華麗に、ゴールを決めてしまうのだ。
例えば、1995年9月27日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ、ステアウア・ブカレスト戦。左サイドで右後方からの浮き球パスを、走りながら右足アウトサイドで足元に止めると、一度ボールをまたいで相手DFと対峙。ペナルティエリアに差し掛かり、柔らかなキックフェイントを仕掛けると、そこからは流れるように右足からゴール右上隅に決めたのだ。
後にこの位置は、「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれる。
場所には記憶がある。
誰かが生きて、行い、作用した。そして、それは物質としてその土地に刻まれる。
たとえ、デル・ピエロのプレーを見たことのない子供やその世代がやってきたって、ピッチの上のあのゾーンにはかつて彼がプレーしたものが記憶として残されている。そして、僕たちはそれを意識せずとも受け取っている。受け取った身体は変容し、新しい時代に続いている。
理解できないこともあって、半分は呪いのように、僕たちの身に降り注いでいる。例えば、僕たちは自分の脳みそがどうやって今の姿になって、何を考えているのかといったことにすら到底理解が追いつかない。しかし、その全てには背景があるのだ。
場所に積み重ねられた記憶。こことそことを区別する、明確な何か。
どうかそのエネルギーをないがしろにしないでほしい。
都市を見てみろ。
ガラス張り、全自動、蛍光灯、その他見たことあるような広告にキャッチフレーズ。
同じ時代に違う時間を生きてる僕たちは、自分が他の誰とも違って、この地に一体何をしに来たのか、そろそろ考えなければいけない。隣の顔を見ても、答えは書いていない。コピーアンドペーストは早々に諦めたほうがいい。
デル・ピエロ・ゾーンを見つけたのは、デル・ピエロ本人以外にいないのである。
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