列車を待ちながら。
その日、時刻は23時にもなろうとする頃。各駅停車しか止まらない駅の周辺は通行人もまばらで、ぼくはイライラしながら、ゲイアプリで知り合い、待ち合わせをした男の子が来るのを待っていた。
約束は21時で、それがそもそも待ち合わせをするのに非常識な時間だけれど、バイトの都合でやむをえないという。そのうえ、結局、相手は2時間遅刻してきたのだ。
大幅に遅れるというLINEをもらった時点でさっさと帰ればよかったのだが、一言説教してやろうと思って、ぼくは彼を待った。向こうもぼくより20歳も年下だった。大人として、指導してあげないと。
「すいません……!」
やがて小走りに、彼はやってきて――アプリの画像で見ていたよりも、ずっと男前でタイプだったので、ぼくは、
「ううん、ぜんぜん!!」
とすべてを許した。
終電も近くて時間がなかったので、駅のベンチで、慌ただしくもいろいろ話した。彼はアルバイターだが、いつかエアラインで働きたいと思っているということ。そのために英語の勉強をしているということ。バイトはいろいろ掛け持ちしていて、ひとつは空港が職場なので、移動だけで2時間くらいかかるということ。
「でもいつかは、結婚したいとも思ってるんです」
ぽつり、と彼は言った。
ぼくはてっきり、同性婚の話だと思って、そして、そんな話題を持ち出してくるのは遠回しに好意を伝えてくれてるんだと思って、
「いいね! ぼくも結婚したい!!」
と力強く返事をしたのだが、よくよく聞いてみると「女性と結婚して多数派的な人生を送りたい」という意味だったとわかって消沈した。
彼は女性とはセックスはできない、とも言っていた。結婚相手とは絶対セックスをしないといけない決まりもないとは思うが、要するに、彼の言う「結婚」とは、自分はゲイだと言わずに結婚するということだ。ぼくが彼くらいの頃、ぼくよりも何十年か上の世代には、そういうゲイのおじさんたちはそれなりにいた。
それでも、ぼくらの世代では、そんな道を選ぶ必要はないんだ、という考え方が多数派になっていたと思う。それが、この令和時代に、20代の男の子がそんな考えを持つなんて。ぼくはそれがけっこうショックで、「エアラインで働いている男性ってほとんどゲイだから大丈夫だと思うよ」とは言えなかった。(※ただいまの記述には偏見がありましたことをお詫びします)
しかし、ぼくだって10代の頃は、自分の将来に不安しかなかった。ぼくは彼ほど豪胆ではなかったので(女性と)結婚はできないだろうと思ったし、そうしたら、どんな人生を送ればいいんだろう、と思っていた。
それが今は、違う形の悩みはあれど「不思議なくらい生きるの楽しい~~~」(©腐女子のつづ井さん)という感じなので、彼にもいろいろアドバイスしてあげられるだろう。彼はとにかくバイトに勉強にと忙しいようだけど、お互いの家は近いから、こうして夜遅くなっても会えるからいいな。いや、ビデオ通話すればいいのか。
ぼくは早くも、彼ともし付き合ったら、という仮定で、あれこれ想像を巡らせていた。
これはぼくのクセだ。アプリで新しく男性と知り合うたびに、まだ始まってすらいない恋愛のことをどんどん考えてしまう。良く言えば用意周到で遠望深慮、悪く言えば妄想癖が凄い。そうこう言っているうちに、ぼくはフライトアテンダントになった彼がキャリーケースを引いて出かけようとするのを玄関まで送りながら、キスをする場面を空想していた。
今度はもっと早い時間に約束して食事にでも行こう――そう言い交して別れたが、結局、それを最後に彼とは音信不通になってしまった。
20歳年下のフライトアテンダントの夫を持ち、「今日から彼はフライトです。早く帰ってきてね」とかなんとかインスタグラムに投稿してみせるという夢は、ほんのひとときで空のかなたに消えていった。というか、そんなもの、最初からありはしなかった。
*
ぼくは20代~30代の頃、まったくもって恋愛には興味がなかった。
仕事や趣味が忙しかったのもあるし、恋愛に拘泥するのはどこか古い価値観のように感じている部分もあったと思う。それでもときには誰かを好きになったこともあるし、好きになってもらったこともあり、短い恋をいくつか経験した。でも、ぼくは恋愛を一番には考えられない人間なんだ、とずっと思っていたのである。
それがどういうわけか、40代になってから、突然、謎のスイッチが入ってしまった。
「そうだ、婚活しよう」
そう思って、婚活写真を撮り、美容室に行くようになり(それまでは1000円カットの店に行っていた)、服装にも気を配り、筋トレも始めた。ぼくは今でも、「一人でいるのがさみしい」タイプではまったくないので、歳をとってさみしくなったというわけではない。ただ、気づいてしまったのだ。
ここ数年で、世の中の空気は大きく変わった。LGBT(この言葉だって最近できたのだ!)への認知が驚くほど進み、同性婚の法制化の議論がされ――それを求める声はぼくが20代の頃からすでにあったとはいえ、ここまで話が現実的になったことはなく――さらには、同性パートナーシップ制度を導入する自治体まであらわれるようになった。そして、ネットをのぞいてみれば、同性カップルのYoutubeチャンネルやらブログやらSNSアカウントやらが、いくつもあるではないか。
それで、ぼくは気づいてしまったのだ。
ぼくにも、誰かと結婚するという未来が、ありえるかもしれないということに。
気づいてしまえば、あとはお得意の妄想癖のなすがまま。
ぼくはけっこうタイプが幅広いので、年上から年下まで、いろいろな人と会った。そして、誰かと知り合うたびに、「ロマンスの神様、この人でしょうか?」(©広瀬香美)と心のなかで問いかけながら、このファーストデートの先には、いったいどんな未来が続いているんだろうということを、必死に目をこらして見通そうとした。
ある人は骨董品店の店主だった。ぼくは『骨董品入門』的な本を買った。
ある人は登山が趣味だと話した。ぼくは山登りのためにまず必要な道具はなにか調べた。
ある人は泳ぐのが好きで、(同性で)結婚式を挙げたいと言った(今度こそキタ!)。ぼくは海のあるところに新婚旅行に行こうと思った。
ある人は主夫をやりたいと言った。ぼくは帰宅する前にはLINEするのを忘れないようにしないと、と心に刻んだ。
ある人は士業資格を持っていた。ぼくは共同で事務所物件を借りて独立することを考えた。FP(ぼくはFPの資格を持ってます)はわりとどんな資格業とも相性が良いから好都合だ。
ある人は……。
それから何十人もの人に会ったが、ぼくはまだ、運命の人と出会えていない。さいわい、男女の婚活とは違って40代にもそれなりにニーズはある世界だ。とはいえ、マーケット自体が狭いので、出会うべき人はすでに出会ってしまっているという問題があった。
どうしてもっと若いうちに頑張っておかなかったんだろう。死ぬほど後悔した。「出会って10年以上経つ」などと言ってるゲイカップルを見ると羨ましくて身もだえした。
でも、仕方がなかったのだ。
こんなに妄想力にあふれているのに、どういうわけか、ぼくは10年前に「自分が誰かと結婚する」という未来を妄想することができなかったのだから。そんな可能性なんてないと思っていた。だから、きっと見逃してしまったのだ。その未来へ向かうところだったかもしれない列車を、ぼくは乗らずに見送ってしまった。
ぼくは何度も、何度も、運命を見送ってきた。
そして今。ぼくは血眼になって、次から次に列車を乗り換え、乗り継ぎ、飛び乗り、飛び降り、これも違う、この列車でもないと言いながら、乗るべき路線を見つけられないでいる。
アプリで、LINEで、返信がこなくなるたびに、路線がひとつ消えていく。
骨董品店を手伝っているぼく。彼とふたりでどこかの山の頂に立つぼく。新婚旅行で泊まった海の見えるヴィラ。家で待つ彼に帰宅のメールを打つ指先。彼と開いた事務所のカウンターに置かれた、開業祝いの花。
いくつもの、ありえたかもしれない未来。無数の、あったかもしれない可能性。それはぼくが乗らなかった、乗ることができなかった列車の行先にあったのだろう。ぼくはただ呆然と、ひとり、プラットフォームに立ちつくしている。
*
もし、ぼくが10代の頃、同性でも結婚ができる世の中だったなら、ぼくももっと早くから心の準備をして、「適齢期」に備えただろうと思う。けれど、だからと言って、「ぼくが結婚できないのはどう考えても社会が悪かった」と開き直るつもりはない。ぼくと同世代でも、パートナーを見つけている人は大勢いるのだし、令和の今でさえ、「女性と(偽装)結婚したい」と言っている20代の男の子だっていたのだ。
聖書には「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」という言葉があるそうだ。ぼくはクリスチャンではないが、信じたいと思う。「愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」。
準備をして、時を待てばいいのだ。準備なら大得意。もう結婚式の席次だって、半分はだいたい考えてあるんだから。
あの日の彼のように、ぼくがこれから出会う誰かは、待ち合わせに遅刻しているんだろう。
でも、まだ終電までには時間がある。焦らなくてもだいじょうぶ。
イライラせずに、時刻表とにらめっこするのもやめて、胸を張ってここに立っていよう。きみが来たらすぐに気がつけるように。きみと会うときは、大きく手を振って、とびきりの笑顔で迎えたい。
さあ、そろそろ次の列車が来るころだ。
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