24-33 無理と無茶

 僕の座右の銘は「生かさず殺さず」である。と良く学生に話している。少し過激な言葉を使って気を引きたいのであるが、これは「無理はさせても無茶はさせない」という思いで使っていると補足もする。これは 無理<無茶 という関係性があってこそなのだが、先日学生から、無理の方がひどい状態なんじゃないですか?と言われた40前の自分なら、無意識に反論していただろう。これは会社勤めで、種々の議論する中、自身の優位性をしっかり伝えなければいけないという習慣にも近い考え方からそうしていたに違いない。しかし、最近コミュニケーションの幅を持たせようと努力しているので、そうなの?と一旦受け止めてみた。思い起こせば、しっかりと意味を調べていなかったような気がしたので、ここで改めて「無理」と「無茶」について調べつつ、今後の使い方を検討しようと思う。

まず「無理」であるが、

「無理」ということばは、伝統的には「実現させるのがほぼ不可能な場合」「強引に実現させると大きな問題が起こる場合」などに用いられてきました。 ところが若い人を中心に、「やろうとすればできるかもしれないが、やりたくない場合」にも使われるようになってきています。「無理」には、次のような意味があります。生じることができない、達成されない、または対処されることができない。物事の筋道が立たず道理に合わないこと。やろうとすればできるかもしれないが、やりたくない場合「無理」は、伝統的には「実現させるのがほぼ不可能な場合」「強引に実現させると大きな問題が起こる場合」などに用いられてきました。また、挑戦していることが難しく挫折しそうな時や、無謀な挑戦に試みている友人に対して釘を刺すようなシーンでも使われます。「無理」の類義語には、「駄目」「有り得ない」「不能」「インポッシブル」「不可能」などがあります。

 次に「無茶」であるが、

「無茶」には、次のような意味があります。筋道が立たず、道理に合わないこと、またそのさま程度がはなはだしいこと、度を越していること、またそのさま知識がないこと、またそのさま物事の順序が筋道立っていないさま、また物事が度を越して激しいさま「無茶」の語源は仏教用語の「無作(むさ)」で、まったく手の加わっていない自然なものを意味するそうです。「無茶」を使った言葉には、次のようなものがあります。「無茶苦茶(むちゃくちゃ)」は、物事の順序の筋道が立っていないさま、物事が度を越しているさまを意味する言葉です。お茶も出さない、苦いお茶を出すという常識はずれなことを意味することもあります。「無茶振り(むちゃぶり)」は、困難な仕事を無理やり頼むことを意味します。

これだと一概にどちらが困難度が高いかわかりませんが、「無理」にある、

ところが若い人を中心に、「やろうとすればできるかもしれないが、やりたくない場合」にも使われるようになってきています。

 というニュアンスが、自分の中に強いため、無理<無茶という感覚で使っているのかもしれない。

 最近言語化、言語化と自分の中で曖昧なことを言葉にしていく中、年代、時代と共に変わりゆく言葉の変化も多くあることを感じている。時には使い方、使われ方、元々の意味、これらも理解を深めつつ言葉を選んでいかないといけないと思う。

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