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祖母が二日連続でスズメバチの大群に襲われた話
あのね〜、この話はね、僕の中で喜怒哀楽のどれに属する話か未だにカテゴライズができてない話なんですけどね、こないだかなり衝撃的な事件があったんですよ。北海道の実家のおばあちゃんの話なんですけどね。
僕のおばあちゃんはね、笑子(えみこ)ってんですけどね、今年90歳なんですよ。で、近年はまあまあ年相応にボケてきておりましてね、夕飯後に飲む血圧のクスリを二回飲んだりとか、家庭菜園で育ててる途中のトウモロコシを刈り取っちゃったりとか、そういう珍プレーを乱発するお年頃なんですけども、身体はもうすんごく頑丈なのね。
体力がすごいワケ。
こないだ帰省したときにね、『最後に風邪引いたのいつ?』って聞いたら、『四十年まえ』って答えてましたからね。
やっこさん、日本中が未曾有のバブル景気に湧いてるころから風邪ひとつ引いてないんですよ。おまけに大変な働き者でね、朝起きてから夜寝るまで、ずう〜〜〜〜〜〜〜っと一日中何かしてんの。
とにかく働いてないと気が済まないんですね。庭の草むしりとかそういうのを延々とやってんですよ。
僕ら家族がね、『もうイイ年なんだからそんな毎日毎日外出て何かしなくてもいいんだよ』って諭しても聞かないんですよ。陽が出てから沈むまではとりあえず外に出て、何かしなくっちゃいけないっていうのがもう骨身に染み付いちゃってるんですよね。
30度を超える猛暑の中でも平気で草むしりとかしてるの。
まあこの辺の性格っていうのは、子供の頃からずっと学徒動員で働いてきたとか、戦後まもなく北海道の田舎町に移住して毎日畑仕事をやっていたとか、そういう時代的な側面がかなりあると思うんで、結構リアルな話ではあるんですけどね。
でね、こないだの晩ね、北海道に住む姉から電話があったんですよ。
『ごめん、今いい?』
『いいよ、何?』
『今日の昼、ばあちゃんが庭の草むしり中にスズメバチの大群に襲われたらしい』
『え!?』
『しかも二日連続で襲われたらしい』
『ええ!!??』
『今日はすぐさま病院に担ぎ込まれて、点滴打ってもらって何とか無事だったんだけど、“全身が痛いから入院させてくれ”ってばあちゃんが自ら医者に頼み込むぐらいには具合悪かったらしい』
『えええ!!!!?? 大丈夫なん!!!!!?』
『とりあえず今晩は様子を見ようということで、仏間に布団敷いてお母さんとばあちゃん一緒に寝てるらしい。何ともないといいが』
『そうだね……』
『……まあ、とりあえず、そんな報告でした』
『……うん、ありがとう』
そして電話を切った僕は、胸がじりじりと焦げるような、いいようのない不安に襲われました。
大丈夫なのか。
大丈夫じゃないんじゃないか。
日本では毎年20人前後がスズメバチによって命を落としていると聞く。
しかもその死亡はほとんどがアレルギー性のショックである。
過去に刺されたときに体内で生成されたハチ毒に対する抗体が、次に入ってきたハチ毒に過敏に反応し、急激な血圧低下を起こして、亡くなるのだ。
もうまあまあ時間が経っているといえど、人間の生理機能の問題であるからして油断はできない。
それにあの頑健で働き者の祖母が自ら入院を訴えるほどなのだ。おそらく相当具合が悪いのだろう。
それに若くは見えるが、実際もう90歳だ。
ほんの些細なことが重大な結果に繋がったって全然おかしくない。
もし、もし万が一のことがあったらどうしよう。
そんなモヤモヤとした不安や哀しみ、悔恨が渦巻いて、その晩、僕はほとんど眠れませんでした。
で、翌朝。起き抜けに枕元のケータイが鳴りました。相手が誰かもわからぬまま、僕は寝ぼけ眼で応答しました。
『ふぁい、もしもし……』
『ごめん、今いい?』
電話の主は、姉でした。その声は何だか戸惑っているような、釈然としないようなそんな声でした。泥のような眠気はたちまち吹っ飛び、僕は不規則に波打つ心臓を抑えながら、姉に聞きました。
『ばあちゃん? ばあちゃんのこと? 何かあったん?』
『何かっていうか……うーん……』
『大丈夫なん? ばあちゃんは大丈夫なん?』
『大丈夫っていうか……あのね、ばあちゃんね……スズメバチに襲われたこと自体もう忘れたらしい』
『え!!!?』
『今朝も点滴打つ予定になってたから、ばあちゃんを病院に連れて行こうとしたら“なんで?”って言ってたらしい』
『ええ!!!??』
『二日連続でスズメバチに刺されて昨日病院に担ぎ込まれたでしょ! ってお母さんが言ったら、“そんな事実は無い”の一点張りだったらしい』
『えええ!!!!!!?? もう全部綺麗さっぱり忘れてんの?』
『うん、二日連続でスズメバチの大群に襲われたことはもう完全になかったことになってるらしい。めちゃくちゃ元気だってさ』
そしてとりあえず祖母を説き伏せてこれから病院に連れていくという旨を告げ、電話は終わりました。僕はケータイをベッドに放り投げ、ため息をつくと、窓を開け放ち、外に大声で向かってこう叫びました。
『そんなワケ、あるかーーーーーーーーーーーーっ!!!!!』
そんなワケないんですよ。そんなワケなくないですか?
だって普通、二日連続でスズメバチの大群に襲われたらさ、そんなん一生覚えてない?
そんな強烈な出来事、絶対死ぬまで忘れなくない?
『いや〜オレ昔さぁ、二日連続でスズメバチの大群に襲われてさ』ってたびたび飲み会で披露しちゃうでしょ、そんなエピソード。
“死ぬかと思った出来事ランキング”かなり上位に来る事件でしょ。
やっこさん、それを忘れてんですよ。
もう元気いっぱいなんですよ。口笛吹いてスキップスキップランランランなんですよ。
僕はもう、喜怒哀楽のどれでもない感情になりました。
もちろん無事で元気になったっていう喜びはありますけど、大好きな祖母がそんぐらいボケちゃってるっていう哀しみもあるし、『ばあちゃんHPハンパね〜〜〜』っていう呆れ混じりの驚きもあるし、あと何より一連の流れが面白すぎるんですよ。
こんなときどんな顔すればいいかわからないですよ。
シンジ君も『笑えばいいと思うよ』とは言えないですよ。
安心してるし、驚いてるし、哀しいし、面白いんですよ。人生でそんな感情味わったことないですよ。悲喜こもごもとはまさにこのことですよ。
まあまあまあまあ、この話を友達にしたらね、『忘れたからこそ逆に生きてんじゃない?』つっててすごい納得しましたけどね。忘れるというのはなかったことにするということですから、二日連続でスズメバチの大群に刺されたのを全て忘れることによって、祖母は死を回避したんじゃねえかっていう仮説ですね。僕はこの考え方、完全に支持します。
我々がいま生きているこの現実も、究極的には各自の脳内で作り上げた虚構です。単なる神経伝達物質のやり取りに過ぎないワケです。我々の主観によって世界は作られてるのです。だから強い想いさえあれば、現実なんていっくらでも変えてゆけるんだ、っていうのは60年代のヒッピーのお題目ですけども、『思うこと』だけでなく『忘れること』もまた現実を変えられるということですね。
あのね、これ友達から昔聞いた話なんですけど、『最近は物忘れもひどくなったし、もう杖がないと歩くこともできん…』と嘆いていた友達のおばあちゃんが、あるとき杖を持って病院に行ったところ、その帰りには杖を持ってなかったんだそーです。友達が『杖どうしたの?』と聞いたら『あ、忘れた…』ってびっくりした顔で言ったんだと。
つまり『杖がないと歩けない』という設定を“忘れの力”によって打ち消したんですよ。
これですよ。
これが老化による“忘れの力”です。
人は忘れることで生きていけるってよく言いますけどね、実に深い言葉だと思います。なんか過去に辛い記憶があったとして、もう何年もその呪縛から逃れられなかったとしても、トシ食ったら綺麗さっぱり忘れられるかもしんないんですよ。だって二日連続でスズメバチに襲われた出来事を忘れちゃえるんだもん。生きていれば、忘れていけるんですよ。忘れちゃえるんですよ。なかったことにできるんですよ。なかったテイで生きていけるんですよ。
それは哀しく見えるかもしれませんが、でも同時に救いなのです。
揺り動かすことすら出来ない巨大な合金の塊のような現実を打ち破るのは、思い込む力、そして忘れる力なのです。