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キングコング札幌店20周年によせて

 『とりあえずキングコング行かね?』、いったい人生で何度このセリフを口にしたか解らないし、何度耳にしたか解らない。これは札幌で仲間たちと遊ぶときの合言葉みたいなモンだ。

 昼過ぎに誰かの家で目を覚まして、仲間と連絡をとって“街”に集合する。札幌で”街”といえば、大通りでもススキノでもなく狸小路のことを指す。街に集まったら手始めにコンビニで酒を買う。そして創成川か二丁目のファミマの前で乾杯して、それから件のセリフ、『とりあえずキングコング行かね?』が飛び出すわけだ。

 で、キングコング札幌店に行って、世にもくだらない身内のゴシップ話や底なしサイテーの下ネタで延々と盛り上がるっていうのが、バカでビンボーでバッドガイ(不良。というより不良品)の3Bな僕らのお定まりのコースであった。真冬に全裸で殴り合ったり、真夏に川でウンコを焼いたり、オシッコで米を炊いたり、その他ここには到底書けないようなさまざまな遊びに興じてきたけれども、だいたいいっつも、イントロダクションは同じ。集まって、酒買って、キングコング。最高の夜も最悪の夜ももっと最悪の夜も、ぜんぶその流れからはじまってきた。飲み会で『とりあえず生』っていうようなテンションで、僕らはひとまずキングコング札幌店に行く。”遊び”という不毛極まる戦いの火蓋を切って落とすために。

 この店で起きた出来事で、絶対に書くべきであろうことは山ほどあるし、絶対に書くべきでないことはその五倍ぐらいあるはずなのだが、おそるべきことに、そのほとんどは忘れようにも思い出せない。どれだけクダラナイことに終始してきたのかと我が事ながら呆れる。でも、あすこで過ごした膨大な無為は、脳細胞ではなく魂にじかに刻みつけられていて、そのミゾはポジティヴ・ヴァイブレーションの震源地になっていると思う。永遠の放課後ともいうべきあの時間のおかげで、人生にダイナミズムが生まれた。けっこう本気でそう考えている。

 でも、ここまで言っといて何だよっつう話なんだけど、僕はキングコング札幌店でレコードを買ったことは一度も無い。覚えている限り、僕がここで買ったことがあるのはジェームス・チャンスのCD2枚とラモーンズのCD1枚、それからパブリック・イメージ・リミテッドのDVD1枚。そんだけ。これまでキングコング札幌店に軽く300回以上は行っていると思うけれど、たぶん落とした金はトータルで1万円も行っていないだろう。たぶん、他の仲間たちも似たようなモンだ。客と呼ぶのかも疑わしい、実にハタ迷惑なならず者の集まり。でもそんなならず者たちを快く受け入れてくれて、一緒になって低俗の極みのようなバカ話でゲラゲラ笑ってくれるのが、この店の代表なのだ。

 代表はまごうかたなき『地元の悪いパイセン』そのもので、僕らは数えきれないぐらいお世話になっている。ガロン単位で酒を奢ってもらってきたし、ブブカ世代特有の悪趣味でゲスいダーティー・ダズンで死ぬほど笑わせてもらったし、時には切実な悩みをきいてもらったりもした。『もしこの店がなかったら、死んでいたかもしれない』というとちょっと大袈裟だが、少なくともこの店がなかったら、僕は人生をやれてなかったかもしれない。代表はヒールのレスラーみたいなモンなんで、こういうこと書くとむしろ営業妨害になるかもしれないのだが、彼は優しい人である。善人という意味ではない。優しいのだ。ずっと負け続けてきたひとや、一般社会からあぶれてしまったものたちへの、愛情のこもったまなざしがある。それはきっと代表が、人生における艱難辛苦、傷や痛みを知っているからであろう。

 僕が人生において“本当によかった”と思っていることはふたつあり、ひとつはどうしようもない仲間たちと巡り会えたこと、そしてもうひとつはそんなどうしようもない我々を受け入れてくれる場所があったということだ。あらゆる文化は皆、ストリートにたむろする不良たちが生み出してきたものだが、その裏側には必ず、ストリートに与し加担する不届きなオトナの存在がある。キングコング札幌店がまさしくそうだ。これからもどうしようもない人間たちの教会であり続けてほしいと強く願うし、そして願うまでもなくきっとそうなることだろう。

 愛と感謝を込めて。半笑いで。20周年おめでとう。


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