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28歳の夏、とつぜんレゲエが好きになった理由(わけ)

皆さんレゲエは好きですか?
僕はけっこう好きですね。
え、あんまり好きくない感じですか?
そうか……
そうですか……


お前は一生ウチの敷居をまたぐな!!!!!!!!!!!!
二度とオレにそのツラを見せてくれるな!!!!!!!!!!!!!!
出ていけ今すぐ!!!!!
おう塩持ってこい塩!!
塩ない!?
塩ないの!?
じゃあわかったアスベストでいい!!!
アスベストでいいから持ってこい!!!
アスベストを目分量で持ってこい!!!!
よし撒くぞ、そら撒くぞ、アーーーー、ホイヤッサ!!
オオオーオオオオー(突如としてバニーガールの集団が現れて全員でひしゃくを片手にアスベストを撒き狂うが接触不良を起こしていたコンセントから火花が生じて粉塵爆発が起こり全員死亡)


すみません、取り乱しました。朝早かったんで、あんま寝てなくて。
で改めてレゲエの話なんですけど、僕レゲエけっこう好きなんですよ。別に全然詳しいとかじゃないけど、天気いい昼間に散歩したりドライヴしたりするときに聴くとかなり調子いいっすね。ヤーマンヤーマン。

そんなふうにレゲエをリスニングして愉しんでいる僕ですけども、実は28歳まではぜんっぜんレゲエが駄目だったんですよ。

レゲエの良さがまったくわからなかったんです。

『かったるいし、メロディのテンションとかもあんま好きじゃないな』と思ってました。もちろん中には好きな曲もあったし、レゲエという音楽に対するリスペクトもあるつもりでしたが、全然好んで聴く音楽ではなかったんですね。


僕がレゲエに開眼したきっかけは、28歳の夏のことであります。

そのとき僕は群馬にいました。

正確にいうと、東京から群馬に向かったのです。

当時、僕はまだ実家住んでて北海道にいたんですが、その年に小説の新人賞をいただいたんですね。で、その授賞式が東京で行われたので、何日か滞在してたんですよ。
その数日間もうギャンギャンに遊びはてていたから、授賞式んときは相当ワケわかんない状態になってましたね。『普段どんな本読んでるの?』とか聞かれたとき、『僕は、本は読みません』って島田紳助のモノマネで返したりね。一秒もウケなかったですね。
あとなんか用意してもらったホテルに世界柔道のキューバ代表チームが宿泊してたんですけど、マジで筋肉ハンパなかったね。ヤバかった。強キャラ感マジエグかったもん。で、まぁ、そんとき群馬に住んでるバンドマンの友達たちが連絡くれて、一日アテンドしてくれるというので、こりゃ重畳、ってんで群馬の地に降り立ったんですね。


で、その日、群馬がすげえ暑くて、気温38℃とかあったんですね。
太陽は剥き出しのギラッギラで、真っ白な光を刺すように照りつけているし、むせかえるような強烈な生の匂いと同時に死の気配がただよう、酷暑日にしか味わえないソリッドな現実。僕は駅に降り立つと空を見上げ、ふかく息を吸いながら、夏という季節がはらむ、たしかな奇跡の予感を味わっていたんです。


ほいで、最初は駅に迎えにきてくれた友達たちのクルマに乗り込んで、『いや〜夏真っ盛りですな〜』『なんだかステキな出会いの予感がするね!』『今日はもうね、朝まで踊り明かそうよ!』とかいってキャッキャとほたえ騒いでおったんですけれども、アレアレ何やら身体がおかしい。

異常な発汗が止まらないし、頭はぐわんぐわんするし、心臓がバックンバックンいってるし、ていうか明らかに意識がモーローとしている。

これはまさか。と思いました。

そのまさかでした。

熱中症でした。

あろうことか僕は、友達の車中で、熱中症を発症したのでありました。

もうとにかくマジで具合が悪い。たとえいま、目の前に東幹久が現れたとしてもノーリアクションで無視してしまうほどの圧倒的な体調不良。

ブルーレットおくだけを置くことすら困難。

唇を真一文字に結び、うつむいたままジッと吐き気をこらえていましたが、すぐさま限界に。僕はたまらず『ごめんヤバい! 吐く! 車停めて!』と叫びました。
ドライヴァーの友達は驚きながらもすぐさまコトの対応にあたってくれましたが、車は急に停まれない。
減速し、路肩に寄せ始めたあたりでもう完全にムリになった僕は、まだ車が止まってないのにドアを開けてそこから飛び降り、ジャッキー・チェンみたいにドアに掴まって10メートルぐらい引きずられながらゲロを吐きました。
そのゲロは澄み渡る空と同じ、目のさめるような青色でございました……。


デネ。何がデネだ。
ダッシュゲロをかましたその後、僕は友達たちの車の後部座席に横たわりながら『ごめん…ごめんね…本当に…』と虫の息で漏らし続けていました。半死半生ですよ。つい一時間前まで『朝まで踊り明かそうよ!』とか言ってた人間がこの体たらく。

吐いたら楽になるかと思ったんですけど、もう体調不良は度を越してすごいことになっていました。

自分が何をしゃべっているのか、しゃべったと思い込んでいるだけで本当はしゃべっていないのか、そんなことすら分からなくなっていました。何かを聞かれてもその質問の意図が理解できない。


視界はまるで粒子の粗いフィルムのように白飛びしていて、音も非常にぼんやりしている。まるでプールの底に潜ったまま水上の会話を聞いているような感じ。
身体の感覚さえなくて、ただ強烈な現在だけがある。

そんな極限状態のとき、カーステレオで流れてたのがレゲエだったんですね。正確にいえばロックステディという音楽です。トゥーツ&ザ・メイタルズというグループの『54-46・ワズ・マイ・ナンバー』という曲でした。そのとき、僕は、死にそうになりながら“この曲メッチャかっこいい”と思ったんです。
何もかもが薄ぼんやりとしているのに、音楽だけがものすごく鮮明に届いてきたんです。ベイスの弦の弾力や、スネアの皮の振動さえもありありと感じ取れるほどに。

その瞬間、僕は物事の本質を悟るようなひらめきを感じました。そのひらめきは全身をまたたくまにスパークさせ、そして突如、僕はレゲエの魅力を理解したんです。あるとき突然、自転車に乗れるようになるみたいに。
熱中症という状態に陥っていなければ、僕はこの感覚をつかむことはできなかったと思います。言葉ではなく、体験する必要があったんです。


突然ですが、レゲエのあの『ンチャ、ンチャ』っていう裏のリズムがなんで生まれたかご存知ですか?
あのリズムはジャマイカで生まれたんですが、60年代後半のジャマイカは、音楽的にいって激動の時代でした。何せ、たった数年のあいだに主流の音楽がスカ、ロック・ステディ、レゲエと移り変わったのです。

スカっていうのは早いテンポの音楽ですけど、その次のロックステディからはぐっと遅くなり、より濃密で重たいリズムになりました。

なぜこの変化が起きたかというと、ジャマイカのとあるスカ・バンドが記録的な猛暑日に野外ライヴしたんですよ。んで、もうめっちゃくちゃ暑かったから、バンドのメンバーは全員ヘバっちゃったんです。ヘバりながらも、朦朧とする意識の中で必死に演奏したんです。その結果、すっげ〜〜〜曲が遅くなったんですよ。ロック・ステディのリズムはそうやって生まれたんです。

で、遅くて重たいのって気持ちいいよね。ってことになって、さらにビートに改良を加えたのがレゲエで、またさらにバグった酩酊感を加えたのがダブです。

つまり、ジャマイカの音楽に革命をもたらしたのはミュージシャンのインスピレーションや、楽器メーカーが作った新しい機材なんかじゃなくて“暑さ”なんですね。

だからそんときの僕のレゲエ開眼経験っていうのは、歴史的にいうとすごい正統的な聴き方だったワケです。
音楽の聴き方って突き詰めていくと2タイプあって、いわゆるオーディオ・マニア的な『いい音』を追求する聴き方と、『当時の音』を模索する聴き方があると思うんですが、後者の、すごいハードコアなやつをやったというワケですね。
日本のある有名なロック・シンガーの方は、『60年代のリヴァプールのオーディオ環境』の再現に物凄い腐心をされているそーで、再生機器もレコードそのものもほとんどFBIみたいなレヴェルで調べ尽くして実践しているんですと。それで、若い頃のジョン・レノンが聴いていたR&Bを当時となるべく同じ環境で聴きたいんだって。ある種究極の"ゴッコ遊び”ですよね。

まあまあまあ、熱中症は絶対に気をつけなくてはいけませんが、もしこれをお読みの方で、レゲエという音楽がいまいち分からない。という方がいたらですな、めちゃくちゃ暑い夏の昼間に、外に出て、散歩しながら聴いてみるといいかもしれません。『あ、そーゆーことね』と腑に落ちる瞬間が突然やってくるかもしれません。音楽というのはシチュエーションと常に相互作用されるものなのであります。


で、まぁオチとしてはですな、その後、熱中症に苦しみながらもレゲエ耳を会得した僕は、命からがら友達の家に辿り着いたんですが、ソッコートイレにこもってゲロを吐き狂っておりました。そしたら心配した友達が『水分だけじゃなくて塩分も取らないとヤバいっす! これ飲んでください!』つって、アッツアツの出来立ての豚汁出してくれたんですね。その匂いを嗅いでまた猛烈に嘔吐いたしました。人生で、盛りとか冗談抜きで、本気でフィジカル的に死ぬかと思ったのはあれが最初で最後ですね。




僕がレゲエに開眼したときに流れていた楽曲。いい曲です。



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