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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第122回 冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていくとき用のBGM特集


はいどーも。

気がついたら2021年も残すところあと10ヶ月半、まさしくコーイン矢の如しってな塩梅ですけども、皆さんご機嫌はいかがですかな?

僕はといえば、相変わらずグータラしています。なんせ今年に入ってから一秒たりとも労働をしていない。毎日好きな時間に起きて、好きな時間に酒を飲み、好きな時間に眠っています。映画を観、音楽を聴き、本やマンガを読み、毎日を面白おかしく暮らしています。そんな暮らしの中で見つけた発掘良品をいくつかレコメンさせていただきます。



・ヴァイオレット・エヴァーガーデン 劇場版

もうなんだろう、完璧ですよね。なんちゅうんだろうっていうぐらい素晴らしかったです。

パンクバンドやってる友達が奥さんと観に行って滂沱たる涙を流し、ふと傍らの細君を見やったら1ミリも泣いてなかったんで、『オメーなんで泣いてねーんだよ! 泣けや!』って喧嘩したって話聞いてからずっと観たいと思ってたんですけど、近所の映画館でかかってたんで行ったんですよ。

もう嗚咽ですよ。なんかね、ずっと本気なんですよ。“いやお前ここまで感動的にしなくてもいいじゃん”っていうぐらい、凄まじい感動の嵐。ラスト30分はずっと嗚咽してましたね。泣いて泣いて泣き果てて、『ふう……ようやく泣きパート終了か…』って命からがらホッと胸を撫で下ろしてたら、そっからさらに泣きパートが8連発ぐらい波状攻撃で来たからね。

誰かが死んで悲しいから泣くとか、苦難の末に夢を叶える姿に泣くとかではなく、“愛に触れて崩落する”という感覚を久方ぶりに映画館で味わった気がしますね。

大まかに分けて、感動はケミカル/ナチュラルの2タイプに分けられます。ケミカルな感動はアタックが強いんで、シンプルにいえば“くらう”んですけど、耽溺しすぎれば精神を蝕むし、涙腺の弾力を失わせます。この辺は好みもあるんで一概には言い切れませんけど、『ヴァイオレット〜』はナチュラル100パーセントですね。真摯に“愛”と、それが起こす奇跡を、なんのてらいもなく真っ正面から描いている。もうほとんどおとぎ話ギリギリのレヴェルです。2020年にこんな物語を紡ぎあげるということ自体が驚異的です。作劇的な話をするとね、登場人物が全員大変な善人の感動的なドラマって、すげえ難しいんですよ。物語の基本は対立構造なんで、ヒールを出すとシナリオの強度が増すんですけど、『ヴァイオレット〜』はね、もう全員めっちゃくちゃ善人なんです。でもそれが故に不器用で、それが故に傷ついてて、それが故にすれ違っている。ある意味『映画ドラえもん おばあちゃんの思い出』に近いですね。

作画に関してはもういうまでもないんですけど、音響もすばらしかったです。『リズと青い鳥』もあきらかにネクストステージに到達しているな、と思ったんですけど、『ヴァイオレット〜』はそれを更に超えてますね。邦画の、しかもエンタメ作品において果敢に音響的冒険に挑んでいるのは、僕が知る限りにおいてほとんどアニメです。『ダンケルク』が公開されたとき、“音がやばい”とか言われまくってましたけど、『ガールズ&パンツァー劇場版』はそれに二年も先駆けて同じレヴェルのことやってましたからね。まあまあ、実写映画とアニメ作品の音響を比較するというのはそもそも間違いではあるんですが、ここ数年の劇場版アニメの音響実験/冒険精神は本当にすごいですね。



・ホモサピエンスの涙

ひとが口ごもる瞬間、あるいは立ち尽くす瞬間の、小さじ二杯程度の絶妙な気まずさとおかしさをパッケージングしたアンビエント・コメディの傑作。

ロイ・アンダーソンの映画はどれも眠たくなるんですよ。めちゃくちゃ美しいのに、すげえ眠たくなる。それはゴダールと同じで、『夢の映像化』をやっているからだと思います。これも映画館で観たんですけど、多分観客の半分ぐらい寝てたと思いますね。あのね、『鑑賞中、寝てしまった』というのは全くネガティヴな感想じゃないと思うんですよ。とくにそれが映画館であれば尚更です。ゴダールもアピチャッポンも明らかに“観客が寝る”ことを前提に映画を作っていると思います。ゴダールの試写会は半数以上が寝るそうです。

ロイ・アンダーソンの映画のすごいところは、完全なコメディであるにも関わらず、笑うに至らないんです。『笑えない』んじゃなくて、『笑わせてくれない』んです。これは僕の推測ですけど、ロイ・アンダーソンは抱腹絶倒の面白おかしいコメディを作ろうと思ったら作れる人だと思うんですよね。シチュエーションの設定や間の取り方に明らかなスキルを感じる。にも関わらずこういう映画を作るっていうのは、端的に、“これがやりたいから”ですよ。いい感じの退屈を作りたいんだと思うんです。

『退屈』ってもう現代人の価値基準に照らし合わせたらほとんどディスみたいな言葉になっちゃってますけど、『退屈』って上品だし、優雅なんですよ。『退屈』の対義語は、『焼肉食べ放題90分』とか『スティーブン・セガール』です。現代、我々は24時間ほとんど退屈せずに暮らしてます。トランスかチルアウトの二者択一です。けど、そのふたつのギアの間にある豊かな『退屈』こそが、我々を真に癒すんだと思いますね。



・ラストムービー

これはギリギリ去年観た映画ですけど、去年観た映画の中で一番面白かったです。もう全速前進でオススメします。こんなに笑える映画ないですよ。なんか“被支配者の抵抗が〜”とか“構造主義が〜”とか言われてますけど、断言してもいいです、絶対そんなこと考えてこの映画作ってないと思います。

デニス・ホッパーが『イージー・ライダー』で稼いだカネを持って、セフレ数十人を連れて南米ペルーに飛び、一年半にわたって乱行&ドラッグパーティーに明け暮れながら作った映画なんですよコレ。もうその乱痴気騒ぎときたら伝説級で、最終的にはペルー陸軍が出動して国外強制退去になってます。『スキャナー・ダークリー』とか『ラスベガスをやっつけろ』とかジャンキー映画の名作は数あれど、こと“ブッ壊れ方”に関してはこの映画は他の追随を許してません。

なんかね、もうずっとブッ壊れてるんですよ。たぶん全部その場の思いつきで撮ってるし、全部途中で飽きてる。映画にせよ音楽にせよマンガにせよダンスにせよ、すべての創作は突き詰めると『こうきたら普通こういくよね』というクリシェと、『ここでこうきたらウケない?』という変化球のバランスが肝要だと思うんですけれど、この映画はね、もうずっと変化球しか投げてないです。いや、変化球っていうかデッドボールです。『こうはならんやろ』だけで108分全速力で走りきってる。爆笑です。演技や構図やストーリーはいうに及ばず、音響も編集もめちゃくちゃ素晴らしい。異次元レヴェルの超傑作です。

あとこの映画って70年頃に制作されてんですけど、こんときすでに南米に目つけてたのもマジでセンスいいですね。60年代、サイケカルチャーの聖地といえばもっぱらインドだったんですが、70年代はペルーとかコロンビアとか中南米がメッカになったんです。これはおそらくビートルズがマハリシ・ヨギと決別したことと、『エルトポ』をジョン・レノンがフックアップしたことと大いに関係があると思うんですけどね。



まあまあまあ、他にもいろいろ観ましたがこのへんにしときます。

さてみなさん、最近どうっすか?

なんか運動不足気味じゃないっすか?

いい汗かきたくないっすか?

死ぬほど爽やかなことしたくないっすか?

それもスポーツとかじゃなくてなんかもうシンプルに走りたくないっすか?

冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていきたくないっすか?

素直になれよ!!

気づけよ本当の自分に!!

追い風に膨らんだシャツのボタンを一つ外して地図を破り捨てて自由を探しに行こうや!!!

走ろうぜ!!

パソコンぶっ壊してスマホは水洗便所に突っ込んで、今すぐ走りに行こうぜ!!!

というワケで山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第122回は、“冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていくとき用のBGM特集”と題して、冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていくときにうってつけの音楽を紹介していきたいと思います!

みんな、ついてきてね!!



一曲めは、アラ・パシスで『アイ・ドン・ノウ』。

えー、クラウト・ロックっちゅう音楽ジャンルがあります。テクノ・ミュージック的な、ミニマルな反復構造を持つ前衛的なドイツ産ロックのことで、まぁすげえ大雑把にいうと60〜70年代のドイツのロックは大体コレ。っつってもほぼ差し支えないと思うんですけど、そうじゃないバンドももちろんいます。このアラ・パシスがまさにそうです。

1971年に結成されたこのバンドが影響を受けたのは、なんとスティーリー・ダンであります。テクノ? ミニマル? 何それ? っていう、すっげーストレートで超グルーヴィーな熱いロックを鳴らしてます。これは彼らの81年の未発表曲をまとめた音盤なんですけども、もうブルース・スプリングスティーンもかくや。というぐらいの大変な熱量を持ったロックをやっております。当時のドイツじゃこういうロックってめちゃくちゃ株価低かったと思いますね。こんなんあったのか、って感じですけども、こんなんあったんですよ。

で、この曲、『アイ・ドン・ノウ』はもうアタマ一発のエレキ・ギターのストロークから熱血全開ですよ。熱いわダサいわカッコいいわもう大騒ぎですよ。あんまりウマいとはいえない演奏も味わい深すぎ。もう両手を広げて草原を駆け抜けたくなります。まるで昔の刑事ドラマのOPのような大変な熱血青春ぶりです。




二曲めは、プリンスで『ジャスト・アス・ロング・アス・ウィアー・トゥギャザー』。

我らがプリンスの偉大なるファースト・アルバム『フォー・ユー』の一曲でございます。

プリンスがプリンスになる前のアルバムであり、そのキャリアにおいて唯一、共同プロデュースという形ながらエグゼクティブが立てられたアルバムでもあります。そしてセールスや評価はあまり芳しいとは言えず、レコーディング予算も大幅に超過してしまったため、プリンスはこのデヴュー・アルバムでいきなり借金を負うこととなってしまいました。

とはいえリリース当時若干19歳にして、全作詞/作曲/編曲/演奏/プロデュースを手がけたプリンスの才覚たるや既にギンギンに冴え渡っております。“将来性を感じさせる程度に留まっている”とか言われたりしてますけど、僕はこのアルバムふつーに好きですね。確かに“プリンス感”は薄いですけど、だからこそプリンスに対して苦手意識ある人にこそ勧めたいアルバムです。ポップで良質なソウル/ファンクが詰まっていて、とても聴きやすいと思います。

で、この曲、『ジャスト・アス・ロング・アス・ウィアー・トゥギャザー』はもうイントロから最高ですよ。疾走感溢れるシンセ、JBへの憧憬を感じさせるキメ、高揚必死のサビなどなど満点でございます。




三曲めは、スピッツで『不死身のビーナス』。

スピッツですよ。

“冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていくとき用のBGM”つったらもうこのバンドっきゃないですよね。

このテーマに沿う楽曲なんざ腐るほどあるので悩みましたが、1994年の名盤『空の飛び方』からこの曲を選ばせていただきました。

ダイナミックに唸るワウ・ギター、ロック・マナーに則りまくったリズム隊、清涼感と疾走感を併せ持つ唯一無二のメロディラインなどなど、全く非の打ち所がありません。いやースピッツってほんとにいいもんですね。歌詞の共感性がもっとも重要視されるといわれる日本のロック/ポップスにおいて、これほど難解で文学的な詞をもつスピッツがメガ・ヒットを次から次に飛ばしたっつうのは、もうマジでアメイジングな出来事ですよね。

余談ですけど、真冬の雪が降る日に、草野マサムネさんが公園で赤いダッフルコート着てひとりで遊んでたら男にナンパされたって話はマジなんですかね? 素晴らしすぎるぐらい素晴らしくて逆にウソなんじゃねーのって思っちゃうエピソードですけど。




四曲めは、ジェイソン・ムラーズで『メイク・イット・マイン』。

ジェイソン・ムラーズですよ。

この曲はねえ、五〜六年まえかなあ、美容院でシャンプーされてるときに流れてて、それで初めて知ったんです。もうあんまりにもいい曲すぎていても立ってもいられなくなって、『痒いところございませんか〜?』って聞いてきた美容師さんに、『ねえ! ねえけどとりあえず一回止めてください!』つって、アタマをシャンプーの泡だらけにしたまま慌ててshazamした思い出がありますけどね。

まぁ大変いい曲ですよね。

キレのあるホーンセクション、ジャック・ジョンソンもかくやという風通しの良いグルーヴ、G・ラヴを彷彿とさせるヒップホップ経由の脱力メロディ・ラインなどなど、もうどれをとっても最高です。すばらしい。



というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第122回 冴え渡る青空の下、白シャツを着て両手を広げ、草原をどこまでも駆け抜けていくとき用のBGM特集、そろそろお別れのお時間となりました。次回もよろしくお願いします。



愛してるぜベイベーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





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