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伝説の音痴歌姫、フローレンス・フォスター・ジェンキンスの生涯


2015年、そして2016年と彼女の数奇な人生がたて続けに映画化されましたので、ご存知の方も多いでしょう。音楽史にその名を刻む伝説の歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンス。

ジェンキンスさんは20世紀前半のアメリカで活動したソプラノ歌手なんですけど、この方はとにかく大変な人気者でございました。どんぐらい人気だったかっていうと、コンサートのときに会場に入れなかった人たちが外を取り囲んでね、警官が出動したこともあったぐらいです。

さていったいなにが、聴衆をここまで突き動かしていたのかといいますと、それはそのものズバリ彼女の歌声でした。

聴衆はとにかく、彼女の歌声を聴きたかったんです。

こう書きますと、“さぞ圧倒的で、神がかり的な、ものすごい歌唱力の持ち主だったのだなぁ”と見えますが、そうではありません。

ジェンキンスさんは、圧倒的で、神がかり的な、ものすごい音痴だったんです。

もう半端ないレベルで音痴だったんです。

どんぐらい音痴だったかっていうと、かのLIFE誌に『最も完璧かつ絶対的な才能の欠如』と評されたほどです。もうあまりにも音痴すぎてそれが逆に面白いってんでバカ売れしたという、もう音楽史に残る珍プレーをかましたひとなんですよ。

彼女のコンサート会場はつねに万座の爆笑が渦巻いておりましたが、それでも彼女は、じぶんの歌に絶対の自信をもっておりました。

どんぐらい自信を持ってたかというと、レコーディングもリハ無し一発録りを信条としていたほどです。

コンサートの最中に指をさして笑われようと、口汚くヤジられようと、彼女はまったく意に介しませんでした。

それらはすべて『意地悪い同業者が聴衆に紛れ込ませたチンピラによる嫌がらせか、嫉妬によるもの』と考えていたのです。

『私が勇気を持って歌う歌は、聴衆に喜びをもたらす』と、本気でそうおもっていたのです。

観客たちの笑いは『彼ら彼女らが純粋に楽しんでいるから』ととらえていたのです。そして何より、彼女は、観客の笑顔が大好きだったのです。

そしてこのひとは、めっちゃ金持ちでした。どんぐらい金持ちかというと、歌手として活動をスタートした当初は、逆に客に金払ってたらしいです。とにかく金をバラまいてたので超駆け出しの段階からもう常にコンサートが満員だったらしいです。現在のレートで換算すると、数十億円の資産をもっていたそうです。

しかもこのひとは、めっちゃ金持ちなうえにめっちゃいいひとでした。どんぐらいいいひとだったかというと、交通事故にあったとき、事故を起こしたタクシー運転手に『事故のおかげで1オクターブ高い声が出るようになりました』っていって高級葉巻を送ってるほどです。

いいひとすぎてヤバいです。

意味わかんないぐらいいいひとです。

めっちゃ金持ちでめっちゃいいひとだった彼女は、慈善事業や若い芸術家への支援を惜しみませんでした。友人もたいへん多く、そしてその誰もが彼女を愛していたそうです。

そして1944年、カーネギーホールでのコンサートを大成功させた彼女は、その一ヶ月後に亡くなりました。

76歳でした。

彼女のパートナーでありマネージャーであったセントクレア・ベイフィールドはこう述懐します。

『人々は彼女の歌を笑ったかも知れないが、喝采は本物だった。
彼女はただ、人を幸福にすることしか考えていなかった。』

その数奇に満ちた生涯を知るにつけ、“歌”ってなんだろうなぁ、“音楽”ってなんなんだろうなぁ、と思わされるとんでもなく危険で素敵な存在、それがフローレンス・フォスター・ジェンキンスであります。最後に、彼女の言葉でもっとも僕が好きなものを紹介します。


『私が“歌えない”というひとはたくさんいるけど、私が“歌わなかった”というひとはひとりもいやしないわ。』













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