ドラゴンボールは冷静に読むと結構スピってる
80年代末期から90年代初頭、日本では新興宗教ブームがあり、カジュアルに宗教団体に入信する若者がめずらしくなかったという。
たしかにこの頃のメイン・カルチャーを追ってみると超能力ブームだとかピラミッドブームだとか骨法ブームだとか精神世界的なものがけっこう流行ってて、当時の特撮とかマンガにもそーゆー要素がふくまれていたりする。
1987〜88年放映の『光戦隊マスクマン』などはテーマが“気功”であったらしく、オープニングでは味方側の長官的ポジションの人が、黄金に光る仏像をバックに坐禅を組んで空中浮遊するシーンとか流れたりしている。
あと大槻ケンヂもそういう流れを汲んでるフシがある。作家としてのデビュー作である『新興宗教オモイデ教』とかまさにそのものズバリな内容だし、オウム真理教が結成された直後、つまりは世間的に知られていなかったころに書かれた『詩人オウムの世界』というのもある。大槻ケンヂはオウム真理教の存在を知らずにこの歌詞を書いたというからすごい。
しかし、もっとも顕著な例は『ドラゴンボール』だと思う。
国民的作品、というか世界的作品すぎて逆に気づかないが、ドラゴンボールはかなり精神世界的な要素が含まれている。
まず、『気』という概念。以降のバトルマンガに多大な影響を与えたこの概念は、当然ながら気功をモチーフにしている。
気功には二種類あって、内気功と外気功があるのだが、“ヨボいおじいさんが手のひらを向けて叫んだら離れたところにいる弟子がバタバタ倒れてく”みたいなやつ、あれを外気功という。『かめはめ波』の着想はここから得てるとみて間違いない。
そーゆー中国気功の世界観を、あのポージングと『かめはめ波』というネーミングに落とし込んだところに、鳥山明の天才性があらわれていると思う。というか鳥山明のネーミングセンスは絵と同レベで天才的だと思う。
『精神と時の部屋』という設定も実際かなりすごい。
その部屋は地球ぐらいの広さがある何もない空間で、その部屋での一年は外の世界での一日で、でも二日以上入ったら一生出てこれない。っていうこの設定、冷静に考えてめちゃくちゃすごいアイデアだと思う。そもそも『精神と時の部屋』というネーミングがすごい。ティモシー・リアリーの著書とかにありそう。やっぱり鳥山明は天才だと思う。
めちゃくちゃすごいのに『ドラゴンボール』という作品があまりに巨大すぎるので気づかないため、それもまたすごい。
ほかにも空中浮遊したり、神がいたり、閻魔がいたりと色々あるのだが、個人的にもっともそっち系のセンスだと思うのは『瞬間移動』。
悟空がヤードラット星人から教えてもらった、眉間のちょっと上のほうのくぼんでるところに人差し指と中指を押し当てるアレは、ヨガのあるポージングと全く同じだ。
ヨガの考え方では、人間は三つ、眼を持っているとされている。
三つ目のそれは眉間のちょっと上あたりについていて、しかも外じゃなくて身体の内側を向いているのだ。
これを第六チャクラ、もしくは第三の眼というのだが、そこに指を当て目を閉じうつむくことによって己の内側を見る、というポージングがあって、これを『内観』という。
ちなみに『サイケデリック』という言葉は本来は『自分の内側を見る』という意味なので、この二語はほぼ同義語であったりする。
そんなポージングを引用して『気を見つけて、トぶ』という技にしているのだから、鳥山明は本当に天才だと思う。