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『フォール・ガイ』を観た

デヴィット・リーチ監督『フォール・ガイ』を観た。めちゃめちゃ頭が悪くてハイテンションなハリウッド娯楽大作みたいな映画が観たい気分だったので、こりゃピッタシカンカンってんで観にいったのだけれども、かなり変化球系だった。そしてそのねらいは、絶妙に失敗している印象があるが、でもオレ的には決して嫌いではない。

本作のあらすじを簡単にいうとこんな感じである。

撮影中の事故で引退生活を送っていたスタントマンに、SF超大作『メタルストーム』の出演オファーが舞い込む。
スタントマンはすっかり自信をなくしていたので断ろうとするが、
その新作映画が大好きな元カノの監督デビュー作であると知り、
スタントマンは出演を決意する。
しかしいざ現場に行ってみたら死ぬほどトラブルが起きまくっていて、
映画の完成すら危うい状況だった。
大好きな元カノのキャリアを潰すまいと、スタントマンはトラブル解決に奔走する。
果たして映画は完成するのか。そしてスタントマンと監督の恋の行方は。

こうして書き連ねてみると、いっけん超王道な、“好きな子のために頑張る系コメディ”に思える。
だが、この超王道なあらすじに反して、脚本や演出はなかなか変化球である。

たとえば、スタントマンが幻覚剤入りの酒を飲まされてトリップし、
画面内に突如としてユニコーンが現れたりとか(そしてこのユニコーンはトリップが解けるまで画面内に居続ける)、
テイラー・スウィフトやフィル・コリンズのヒット曲をドラマに呼応するようにはめ込んだり(その楽曲の歌詞が登場人物の状況や心情を説明している)、
ハリウッド娯楽大作ではちょっとお見かけしないような、軽いヒネリが加えられている。

そして、脚本にはメタ的な構造が大きく取り入れられている。
“映画制作をテーマにした映画”というのは、映画内でさらに映画を扱うという性質上、
必然的にメタ構造になりがちだ。『8 1/2』、『蒲田行進曲』、『ゲット・ショーティ』、『ラスト・ムービー』などがそうだが、このあたりを詳述するとアンドレ・バザンの映画論とかに繋がってゆくのでソレは省略する。

メタ構造っていうのはどーゆーことかというと、たとえば本作では、元カノの監督がスタントマンに映画のシナリオを口頭で伝えるシーンがあるのだが、登場人物の心情を説明すると同時に、自身の気持ちや状況も吐露する。なし崩し的にスタントマンと別れることになって、自分がどれだけ辛かったか、裏切られた気分になったかを力説する。それに対してスタントマンは、演技プランを提示すると同時に、謝罪や愛の告白を盛り込む。こういった映画“内”の現実と架空をミルフィーユ状に積み上げるようなメタ構造が、『フォールガイ』では全編にわたって組み込まれているのだ。しかも、劇中映画の『メタルストーム』も実在する作品であり、かなりの再現度で制作されていたりするので、本作は映画“外”の現実と架空さえも、そのメタ構造の中に取り込んでしまっているのだ。しつこいぐらいにはりめぐらされたメタ構造は、観客に『映画を観る』という行為を強く意識させる。

で、この映画のセクションは大きく分けて二つある。
ド派手なアクションシーンと、冗長な会話劇。
アクションとダラダラ会話劇の二本立てというとタランティーノを想起するし、
実際、デヴィット・リーチの前作『ブレット・トレイン』はかなりタランティーノっぽかったが、
『フォールガイ』における会話劇はより多彩だ。
ウディ・アレン的な皮肉めいたリアリズム、リチャード・リンクレイター的なアフォリズム、
石井克人的なタイム感など、過去のダラダラ会話劇の名手たちのエッセンスが、満遍なくまぶされているように思える。
だが、それがうまくハマっているのかといえば、ハッキリ言って微妙なところである。
アクションシーンは結構すごくてそれなりに興奮もするのだが、
会話劇パートに入ると途端にテンポが緩慢になり、画面が妙にのっぺりとしたテンションになってしまっていて、正直ダルさは否めない。
言っている内容や尺の取り方はそこそこ面白いけれども、アクションパートとのアンサンブルが噛み合っていない。『フォール・ガイ』を観ると逆に、前述した名手たちがいかに会話劇を撮ることに長けているかを痛感する。

(オレは吹き替え版で本作を鑑賞したのだが、字幕版の方がいいかもしれないと思った。単に吹き替えが失敗している可能性もある。
話は少々スリップするが、“吹き替えで観るのはガキで、字幕鑑賞こそが本当の映画体験”という意見に対してオレは反対だ。吹き替えで観た方が面白い映画と、字幕で観た方が面白い映画がある。コメディ映画はこのあたりが難しくて、ソリッドでキレのあるギャグが、吹替によって妙にマッタリとしたギャグに変換されてしまっていることがよくある)

本作は明らかに、デヴィット・リーチの“憧れ”によって駆動している。さまざまな映画的記憶を本作は喚起する。
映画、それも娯楽映画に対する、不器用な愛に溢れたぎこちないラブレターが『フォール・ガイ』だ。
前作『ブレット・トレイン』は“最高の60点”という感じだったが、
『フォール・ガイ』もそんな感じである。とても愛すべき映画だ。
失敗しているけど、でも決して悪くない。

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