小津の「東京物語」
「東京物語」における斎藤高順(たかのぶ)の音楽に注目した吉田純子さんの朝日新聞記事を読んだ。(吉田さんはいつも音楽や音楽家方面に明るく、それに関連した記事を書いているようである。)
この小津の代表的作品は、機会あるたびに何度か見て感銘を新たにしているが、音楽については、それほど注目していなかった。ただ、時代を感じさせる、のんびりとした平和な音楽がいつも流れていて、これも実に悪くないなという程度が私の認識だった。
この記事を読み、今度見る機会があったら、もっと音楽にも耳を澄ましてみようという気になった。
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映画の終わりの方の笠の淡々とした台詞「きれいなァ夜明けじゃた。今日も暑うなるぞ」は、確かに印象に残るものだった。それは妻の死の悲しみを抑えて、できるだけ日常に戻ろうとする残された者たちの言葉にならない言葉を代表するものだと誰もが自然に理解できるものだからだろう。
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今回、私がTVで見た映像で気付いたことは、原節子の幾度となく現れるあの笑顔が、私の錯覚でなければ、ショットが切り替わる直前に時折奇妙に凍りつく瞬間があるということだった。
今までそんなことはまったく感じたことなどなかったのだが、これは小津が半ば意図的に引き出そうとしたものか、偶然の瞬間なのか私には判らないが、何かギクッとするものがあったことをここに書いておこう。
その凍りついた笑顔は、最後の方の場面で「私、ずるいんです」という未亡人役の彼女の台詞に全部繋がっているという見方は、余計であり、勝手な解釈であると言われてもよいのだが、まあ、そう取れないこともない。
それでも、笠は言う。 「いやぁ、あんたはいい人じゃよ。正直ないい人じゃよ」。何事も聞かなかったように、笑顔でそう言う。
しかし、勿論、小津のこの映画で温かく許されているのは彼女だけではない。医師の長男も、パーマ屋の長女の生き方も、皆、それぞれに許されているのだと思う。
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上の記事を書いたあと、小津の「東京物語」について書いた他の方々の「note」内の記事を読んだら、既にこの映画における原節子の「笑顔」(の裏側にある意味、またはそれが途切れた瞬間の映像)について、幾つかのたいへんに興味深い分析があることを知った。